← Library‹ 如是我聞 三

謀叛むほんという言葉ことばがある。また、官軍かんぐん、賊軍ぞくぐんという言葉ことばもある。外国がいこくには、それとぴったり合あうような感かんじの言葉ことばが、あまり使用しようせられていないように思おもわれる。裏切うらぎり、クーデタ、そんな言葉ことばが主ぬしとして使用しようせられているように思おもわれる。「ご謀叛むほんでござる。ご謀叛むほんでござる。」などと騒さわぎまわるのは、日本にっぽんの本能ほんのう寺じあたりにだけあるように思おもわれる。そうして、所謂いわゆる官軍かんぐんは、所謂いわゆる賊軍ぞくぐんを、「すべて烏合うごうの衆しゅうなるぞ」と歌うたって気勢きせいをあげる。謀叛むほんは、悪徳あくとくの中なかでも最もっとも甚はなはだしいもの、所謂いわゆる賊軍ぞくぐんは最もっともけがらわしいもの、そのように日本にっぽんの世よの中なかがきめてしまっている様子ようすである。謀叛むほん人にんも、賊軍ぞくぐんも、よしんば勝かったところで、所謂いわゆる三み日か天下てんかであって、ついには滅亡めつぼうするものの如ごとく、われわれは教おしえられてきているのである。考かんがえてみると、これこそ陰惨いんさんな封建ほうけん思想しそうの露出ろしゅつである。

むかしも、あんなことをやった奴やつがあって、それは権勢けんせい慾よく、或あるいは人気にんきとりの軽業かるわざに過すぎないのであって、言いわせておいて黙だまっているうちに、自滅じめつするものだ、太宰だざいも、もうこれでおしまいか、忠告ちゅうこくせざるべからず、と心配しんぱいして下くださる先輩せんぱいもあるようであるが、しかも古来こらい、負まけるにきまっていると思おもわれている所謂いわゆる謀叛むほん人にんが、必かならずしも、こんどは、負まけないところに民主みんしゅ革命かくめいの意義いぎも存そんするのではあるまいか。

民主みんしゅ主義しゅぎの本質ほんしつは、それは人ひとによっていろいろに言いえるだろうが、私わたくしは、「人間にんげんは人間にんげんに服従ふくじゅうしない」あるいは、「人間にんげんは人間にんげんを征服せいふく出来できない、つまり、家来けらいにすることが出来できない」それが民主みんしゅ主義しゅぎの発祥はっしょうの思想しそうだと考かんがえている。

先輩せんぱいというものがある。そうして、その先輩せんぱいというものは、「永遠えいえんに」私わたくしたちより偉えらいもののようである。彼かれらの、その、「先輩せんぱい」というハンデキャップは、殆ほとんど暴力ぼうりょくと同おなじくらいに荒々あらあらしいものである。例たとえば、私わたくしが、いま所謂いわゆる先輩せんぱいたちの悪口わるぐちを書かいているこの姿すがたは、ひよどり越こえのさか落おとしではなくて、ひよどり越こえのさか上のぼりの態ていのようである。岩いわ、かつら、土つちくれにしがみついて、ひとりで、よじ登のぼって行いくのだが、しかし、先輩せんぱいたちは、山やまの上うえに勢せいぞろいして、煙草たばこをふかしながら、私わたくしのそんな浅間あさましい姿すがたを見みおろし、馬鹿ばかだと言いい、きたならしいと言いい、人気にんきとりだと言いい、逆上ぎゃくじょう気味きみと言いい、そうして、私わたくしが少すこし上うえに登のぼりかけると、極きわめて無む雑作ぞうさに、彼かれらの足あしもとの石いしころを一ひとつ蹴落けおとしてよこす。たまったものではない。ぎゃっという醜態しゅうたいの悲鳴ひめいとともに、私わたくしは落下らっかする。山やまの上うえの先輩せんぱいたちは、どっと笑わらい、いや、笑わらうのはまだいいほうで、蹴落けおとして知しらぬふりして、マージャンの卓たくを囲かこんだりなどしているのである。

私わたくしたちがいくら声こえをからして言いっても、所謂いわゆる世よの中なかは、半信はんしん半疑はんぎのものである。けれども、先輩せんぱいの、あれは駄目だめだという一言ひとことには、ひと頃ころの、勅語ちょくごの如ごとき効果こうかがある。彼かれらは、実じつにだらしない生活せいかつをしているのだけれども、所謂いわゆる世よの中なかの信用しんようを得えるような暮くらし方かたをしている。そうして彼かれらは、ぬからず、その世よの中なかの信頼しんらいを利用りようしている。

永遠えいえんに、私わたくしたちは、彼かれらよりも駄目だめなのである。私わたくしたちの精せい一いっぱいの作品さくひんも、彼かれらの作品さくひんにくらべて、読よまれたものではないのである。彼かれらは、その世よの中なかの信頼しんらいに便乗びんじょうし、あれは駄目だめだと言いい、世よの中なかの人ひとたちも、やっぱりそうかと容易よういに合点がてんし、所謂いわゆる先輩せんぱいたちがその気きならば、私わたくしたちを気狂きちがい病院びょういんにさえ入いれることが出来できるのである。

奴隷どれい根性こんじょう。

彼かれらは、意識いしきしてか或あるいは無む意識いしきか、その奴隷どれい根性こんじょうに最大さいだい限げんにもたれかかっている。

彼かれらのエゴイズム、冷つめたさ、うぬぼれ、それが、読者どくしゃの奴隷どれい根性こんじょうと実じつにぴったりマッチしているようである。或ある評論ひょうろん家かは、ある老大らおたい家かの作品さくひんに三さん拝はい九拝きゅうはいし、そうして曰いわく、「あの先生せんせいにはサーヴィスがないから偉えらい。太宰だざいなどは、ただ読者どくしゃを面白おもしろがらせるばかりで、……」

奴隷どれい根性こんじょうも極きわまっていると思おもう。つまり、自分じぶんを、てんで問題もんだいにせず恥はじしめてくれる作家さっかが有あり難がたいようなのである。評論ひょうろん家かには、このような謂いわば「半可通はんかつう」が多おおいので、胸むねがむかつく。墨絵すみえの美うつくしさがわからなければ、高尚こうしょうな芸術げいじゅつを解かいしていないということだ、とでも思おもっているのであろうか。光琳こうりんの極ごく彩色さいしきは、高尚こうしょうな芸術げいじゅつでないと思おもっているのであろうか。渡辺わたなべ崋山かざんの絵えだって、すべてこれ優やさしいサーヴィスではないか。

頑固がんこ。怒いかり。冷淡れいたん。健康けんこう。自己じこ中心ちゅうしん。それが、すぐれた芸術げいじゅつ家かの特質とくしつのようにありがたがっている人ひともあるようだ。それらの気質きしつは、すべて、すこぶる男性だんせい的てきのもののように受取うけとられているらしいけれども、それは、かえって女性じょせいの本質ほんしつなのである。男おとこは、女おんなのように容易よういには怒おこらず、そうして優やさしいものである。頑固がんこなどというものは、無む教養きょうようのおかみさんが、持もっている頗すこぶる下等かとうな性質せいしつに過すぎない。先輩せんぱいたちは、も少すこし、弱よわいものいじめを、やめたらどうか。所謂しょい「文明ぶんめい」と、最もっとも遠とおいものである。それは、腕力わんりょくでしかない。おかみさんたちの、井戸いど端たん会議かいぎを、お聞ききになってみると、なにかお気き附つきになる筈はずである。

後輩こうはいが先輩せんぱいに対たいする礼れい、生徒せいとが先生せんせいに対たいする礼れい、子こが親おやに対たいする礼れい、それらは、いやになるほど私わたくしたちは教おしえられてきたし、また、多少たしょう、それを遵奉じゅんぽうしてきたつもりであるが、しかし先輩せんぱいが後輩こうはいに対たいする礼れい、先生せんせいが生徒せいとに対たいする礼れい、親おやが子こに対たいする礼れい、それらは私わたくしたちは、一言ひとことも教おしえられたことはなかった。

民主みんしゅ革命かくめい。

私わたくしはその必要ひつようを痛感つうかんしている。所謂いわゆる有能ゆうのうな青年せいねん女子じょしを、荒あらい破壊はかい思想しそうに追おいやるのは、民主みんしゅ革命かくめいに無む関心かんしんなおまえたち先輩せんぱいの頑固がんこさである。

若わかいものの言いい分ぶんも聞きいてくれ! そうして、考かんがえてくれ! 私わたくしが、こんな如是我聞にょぜがもんなどという拙文せつぶんをしたためるのは、気きが狂くるっているからでもなく、思おもいあがっているからでもなく、人ひとにおだてられたからでもなく、況いわんや人気にんきとりなどではないのである。本気ほんきなのである。昔むかし、誰だれそれも、あんなことをしたね、つまり、あんなものさ、などと軽かるくかたづけないでくれ。昔むかしあったから、いまもそれと同おなじような運命うんめいをたどるものがあるというような、いい気きな独断どくだんはよしてくれ。

Click a word · hold for the whole sentence 0%