一同が再び旧の室に戻ると、法水はさっそく真斎を呼ぶように命じた。間もなく、足萎の老人は四輪車を駆ってやって来たが、以前の生気はどこへやらで、先刻うけた呵責のため顔は泥色に浮腫んでいて、まるで別人としか思われぬような憔悴れ方だった。この老史学家は指を神経的に慄わせ、どことなく憂色を湛えていて、明らかに再度の喚問を忌怖するの情を示していた。法水は自分から残酷な生理拷問を課したにかかわらず、空々しく容体を見舞った後で、きりだした。
「実は田郷さん、僕には、この事件が起らない以前から知りたい事があったのですよ。と云うのは、殺されたダンネベルグ夫人をはじめ四人の異国人に関する事なんですが、いったいどうして算哲博士は、あの人達を幼少の頃から養わねばならなかったのでしょうか?」
「それが判れば」と真斎はホッと安堵の色を泛べたが、先刻とは異なり率直な陳述を始めた。「この館が、世間から化物屋敷のようには云われませんじゃろう。御承知かもしれませんが、あの四人の方々は、まだ乳離れもせぬ揺籃の頃、それぞれ本国にいる算哲様の友人の方々から送られてまいったそうです。しかし、日本に着いてからの四十年余りの間と云うものは、確かに美衣美食と高い教程でもって育まれていったのですから、外見だけでは、十分宮廷生活と申せましょう。ですが、儂にはそう申すよりも、むしろそういう高貴な壁で繞らされた、牢獄と云った方が適わしいような感じがしますのじゃ。ちょうどそれが、「ハイムスクリングラ(オーディン神より創まっている古代諾威王歴代記)」にある、僧正テオリディアルの執事そっくりじゃ。あの当時の日払租税のために、一生金勘定をし続けたと云うザエクス爺と同様、あの四人の方々も、この構内から一歩の外出すら許されていなかったのです。それでも、永年の慣習というものは恐ろしいもので、かえって御当人達には、人に接するのを嫌う――いわば厭人とでも云うような傾向が強くなってまいりました。年に一度の演奏会でさえも、招かれた批評家達には、演奏台の上から目礼するのみのことで、演奏が終れば、サッサと自室に引っ込んでしまうといった風なのでした。ですから、あの方々が、何故揺籃のうちにこの館に連れて来られ、そうして鉄の籠の中で、老いの始まるまで過さねばならなかったかということは、もう今日では、過ぎ去った古話にすぎません。ただそういった記録だけを残したままで、算哲様は、そっくりの秘密を墓場の中へ運ばれてしまうのです」
「ああ、ロエブみたいなことを……」と法水は、道化たような嘆息をしたが、「いま貴方は、あの人達の厭人癖を植物向転性みたいにお考えでしたね。しかし、たぶんそれは、単位の悲劇なんでしょう」
「単位? 無論四重奏団としては、一団をなしておられたでしょうが」と真斎は単位と云った法水の言葉に、深遠な意義が潜んでいるのを知らなかった。「ところで、あの方々とお会いになられましたかな。どなたも冷厳なストイシャンです。よしんば傲慢や冷酷はあっても、あれほど整美された人格が、真性の孤独以外に求められようとは思われませんな。ですから、日常生活では、たいしてお互いが親密だと云うほどでもなく、若い頃にも密接した生活にかかわらず、いっこう恋愛沙汰など起らなかったのでしたよ。もっとも、お互いに接近しようとする意識のないせいもあるでしょうが、感情の衝突などということは、あの一団にも、また異人種の吾々に対しても、かつて見たことがないというほどですのじゃ。とにかく、やはり算哲様でしょうかな――あの四人の方々が、一番親愛の情を感じていた人物と云えば」
「そうですか、博士に……」といったん法水は意外らしい面持をしたが、烟をリボンのように吐いて、ボードレールを引用した。
「では、さしずめその関係と云うのが、吾が懐かしき魔王よなんでしょうか」
「そうです。まさに吾なんじを称えん――じゃ」真斎は微かに動揺したが、劣らず対句で相槌を打った。
「しかし、ある場合は」と法水はちょっと思案気な顔になり、「洒落者や阿諛者はひしめき合って――」と云いかけたが、急にポープの『髪盗み』を止めて『ゴンザーゴ殺し』(ハムレット中の劇中劇)の独白を引き出した。
「どのみち、汝真夜中の暗きに摘みし草の臭き液よ――でしょうからね」
「いや、どうして」と真斎は頸を振って、「三たび魔神の呪詛に萎れ、毒気に染みぬる――とは、けっして」と次句で答えたが、異様な抑揚で、ほとんど韻律を失っていた。のみならず、何故か周章いて復誦したが、かえってそれが、真斎を蒼白なものにしてしまった。法水は続けて、
「ところで田郷さん、事によると、僕は幻覚を見ているのかもしれませんが、この事件に――しかるに上天の門は閉され――と思われる節があるのですが」と法水は、門という一字をミルトンの『失楽園』の中で、ルシファの追放を描いている一句に挾んだ。
「ところが、このとおり」真斎は平然としながらも、妙に硬苦しい態度で答えた。「隠扉もなければ、揚蓋も秘密階段もありません。ですから、確実に、再び開く事なし――なのです」
「ワッハハハハ、いやかえって、異常に空想が働き、男自ら妊れるものと信ずるならん――かもしれませんよ」と法水が爆笑を揚げたので、それまで、陰性のものがあるように思われて、妙に緊迫していた空気が、偶然そこで解れてしまった。真斎もホッとした顔になって、
「それより法水さん、この方を儂は、処女は壺になったと思い三たび声を上げて栓を探す――だと思うのですが」
この奇様な詩文の応答に、側の二人は唖然となっていたが、熊城は苦々しく法水に流眄をくれて、事務的な質問を挾んだ。
「ところで、お訊ねしたいのは、遺産相続の実状なんです」