← Library‹ 黒死館殺人事件 第三篇 黒死館精神病理学 三、莫迦、ミュンスターベルヒ!

一同いちどうが再ふたたび旧もとの室へやに戻もどると、法水のりみずはさっそく真しん斎さいを呼よぶように命めいじた。間まもなく、足萎あしなえの老人ろうじんは四よん輪りん車しゃを駆かってやって来きたが、以前いぜんの生気せいきはどこへやらで、先刻せんこくうけた呵責かしゃくのため顔かおは泥色どろいろに浮腫むくんでいて、まるで別人べつじんとしか思おもわれぬような憔悴やつれ方かただった。この老ろう史学しがく家かは指ゆびを神経しんけい的てきに慄ふるわせ、どことなく憂色ゆうしょくを湛たたえていて、明あきらかに再度さいどの喚問かんもんを忌怖きふするの情じょうを示しめしていた。法水ほうすいは自分じぶんから残酷ざんこくな生理せいり拷問ごうもんを課かしたにかかわらず、空々そらぞらしく容体ようだいを見舞みまった後あとで、きりだした。

「実じつは田郷たごうさん、僕ぼくには、この事件じけんが起おこらない以前いぜんから知しりたい事ことがあったのですよ。と云いうのは、殺ころされたダンネベルグ夫人ふじんをはじめ四よん人にんの異国いこく人にんに関かんする事ことなんですが、いったいどうして算哲さんてつ博士はかせは、あの人ひと達たちを幼少ようしょうの頃ころから養やしなわねばならなかったのでしょうか?」

「それが判わかれば」と真ま斎ときはホッと安堵あんどの色いろを泛うかべたが、先刻せんこくとは異ことなり率直そっちょくな陳述ちんじゅつを始はじめた。「この館やかたが、世間せけんから化物ばけもの屋敷やしきのようには云いわれませんじゃろう。御ご承知しょうちかもしれませんが、あの四よん人にんの方々かたがたは、まだ乳離ちばなれもせぬ揺籃ようらんの頃ころ、それぞれ本国ほんごくにいる算哲さんてつ様さまの友人ゆうじんの方々かたがたから送おくられてまいったそうです。しかし、日本にっぽんに着ついてからの四十よんじゅう年ねん余あまりの間あいだと云いうものは、確たしかに美衣びい美食びしょくと高たかい教程きょうていでもって育はぐくまれていったのですから、外見がいけんだけでは、十分じゅうぶん宮廷きゅうてい生活せいかつと申もうせましょう。ですが、儂わしにはそう申もうすよりも、むしろそういう高貴こうきな壁かべで繞めぐらされた、牢獄ろうごくと云いった方ほうが適ふさわしいような感かんじがしますのじゃ。ちょうどそれが、「ハイムスクリングラ(オーディン神しんより創はじめまっている古代こだい諾威のるうぇー王おう歴代れきだい記き)」にある、僧正そうじょうテオリディアルの執事しつじそっくりじゃ。あの当時とうじの日ひ払はらい租税そぜいのために、一生いっしょう金きん勘定かんじょうをし続つづけたと云いうザエクス爺おやじと同様どうよう、あの四よん人にんの方々かたがたも、この構内こうないから一いち歩ほの外出がいしゅつすら許ゆるされていなかったのです。それでも、永年えいねんの慣習しきたりというものは恐おそろしいもので、かえって御ご当人とうにん達たちには、人ひとに接せっするのを嫌きらう――いわば厭人えんじんとでも云いうような傾向けいこうが強つよくなってまいりました。年ねんに一いち度どの演奏えんそう会かいでさえも、招まねかれた批評ひひょう家か達たちには、演奏えんそう台だいの上うえから目礼もくれいするのみのことで、演奏えんそうが終おわれば、サッサと自室じしつに引ひっ込こんでしまうといった風ふうなのでした。ですから、あの方々かたがたが、何故なぜ揺籃ようらんのうちにこの館やかたに連つれて来こられ、そうして鉄てつの籠かごの中なかで、老おいの始はじまるまで過すごさねばならなかったかということは、もう今日きょうでは、過すぎ去さった古話ザガにすぎません。ただそういった記録きろくだけを残のこしたままで、算哲さんてつ様さまは、そっくりの秘密ひみつを墓場はかばの中なかへ運はこばれてしまうのです」

「ああ、ロエブみたいなことを……」と法水ほうすいは、道化おどけたような嘆息たんそくをしたが、「いま貴方あなたは、あの人ひと達たちの厭人えんじん癖くせを植物向転性トロピズムみたいにお考かんがえでしたね。しかし、たぶんそれは、単位たんいの悲劇ひげきなんでしょう」

「単位たんい? 無論むろん四重奏クワルテット団だんとしては、一団いちだんをなしておられたでしょうが」と真ま斎ときは単位たんいと云いった法水ほうすいの言葉ことばに、深遠しんえんな意義いぎが潜ひそんでいるのを知しらなかった。「ところで、あの方々ほうぼうとお会あいになられましたかな。どなたも冷厳れいげんなストイシャンです。よしんば傲慢ごうまんや冷酷れいこくはあっても、あれほど整美せいびされた人格じんかくが、真性しんせいの孤独こどく以外いがいに求もとめられようとは思おもわれませんな。ですから、日常にちじょう生活せいかつでは、たいしてお互たがいが親密しんみつだと云いうほどでもなく、若わかい頃ころにも密接みっせつした生活せいかつにかかわらず、いっこう恋愛れんあい沙汰さたなど起おこらなかったのでしたよ。もっとも、お互たがいに接近せっきんしようとする意識いしきのないせいもあるでしょうが、感情かんじょうの衝突しょうとつなどということは、あの一団いちだんにも、また異い人種じんしゅの吾々われわれに対たいしても、かつて見みたことがないというほどですのじゃ。とにかく、やはり算哲さんてつ様さまでしょうかな――あの四よん人にんの方々かたがたが、一番いちばん親愛しんあいの情じょうを感かんじていた人物じんぶつと云いえば」

「そうですか、博士はかせに……」といったん法水のりみずは意外いがいらしい面持おももちをしたが、烟けむりをリボンのように吐はいて、ボードレールを引用いんようした。

「では、さしずめその関係かんけいと云いうのが、吾が懐かしき魔王よオー・モン・シェル・ベルゼビュットなんでしょうか」

「そうです。まさに吾なんじを称えんジュ・タドール――じゃ」真しん斎さいは微かすかに動揺どうようしたが、劣おとらず対句ついくで相槌あいづちを打うった。

「しかし、ある場合ばあいは」と法水ほうすいはちょっと思案しあん気きな顔かおになり、「洒落者や阿諛者はひしめき合ってゼ・ボー・エンド・ウイットリング・ペリシュト・イン・ゼ・スロング――」と云いいかけたが、急きゅうにポープの『髪盗みレープ・オヴ・ゼ・ロック』を止とめて『ゴンザーゴ殺ころし』(ハムレット中ちゅうの劇中げきちゅう劇げき)の独白せりふを引ひき出だした。

「どのみち、汝真夜中の暗きに摘みし草の臭き液よザウ・ミクスチュア・ランク・オヴ・ミッドナイト・ウイーズ・コレクテッド――でしょうからね」

「いや、どうして」と真ま斎ときは頸くびを振ふって、「三たび魔神の呪詛に萎れ、毒気に染みぬるウイズ・ヘキッツ・バン・スライス・プラステッド・スライス・インフェクテッド――とは、けっして」と次じ句くで答こたえたが、異様いような抑揚よくようで、ほとんど韻律いんりつを失うしなっていた。のみならず、何故なぜか周章あわてふためいて復誦ふくしょうしたが、かえってそれが、真しん斎さいを蒼白そうはくなものにしてしまった。法水ほうすいは続つづけて、

「ところで田郷たごうさん、事ことによると、僕ぼくは幻覚げんかくを見みているのかもしれませんが、この事件じけんに――しかるに上天の門は閉されバット・ジ・イシリアル・ゲート・クローズト――と思おもわれる節ふしがあるのですが」と法水ほうすいは、門ゲートという一いち字じをミルトンの『失しつ楽園らくえん』の中なかで、ルシファの追放ついほうを描えがいている一句いっくに挾はさんだ。

「ところが、このとおり」真しん斎さいは平然へいぜんとしながらも、妙みょうに硬苦かたくるしい態度たいどで答こたえた。「隠扉かくしどもなければ、揚蓋あげぶたも秘密ひみつ階段かいだんもありません。ですから、確実かくじつに、再び開く事なしナット・ロング・ディヴィジブル――なのです」

「ワッハハハハ、いやかえって、異常に空想が働き、男自ら妊れるものと信ずるならんメン・プルーヴ・ウイズ・チャイルド・アズ・パワーフル・ファンシイ・ウォークス――かもしれませんよ」と法水のりみずが爆笑ばくしょうを揚あげたので、それまで、陰性いんせいのものがあるように思おもわれて、妙みょうに緊迫きんぱくしていた空気くうきが、偶然ぐうぜんそこで解ほぐれてしまった。真しん斎さいもホッとした顔かおになって、

「それより法水のりみずさん、この方ほうを儂わしは、処女は壺になったと思い三たび声を上げて栓を探すエンド・メイド・ターンド・ボットルス・コール・アラウド・フォア・コークス・スライス――だと思おもうのですが」

この奇き様ような詩文しぶんの応答おうとうに、側がわの二人ふたりは唖然あぜんとなっていたが、熊くま城じょうは苦々にがにがしく法水ほうすいに流眄ながしめをくれて、事務じむ的てきな質問しつもんを挾はさんだ。

「ところで、お訊たずねしたいのは、遺産いさん相続そうぞくの実状じつじょうなんです」

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