← Library‹ 黒死館殺人事件 第四篇 詩と甲胄と幻影造型 二、Salamander soll gluhen(火精よ燃え猛れ)

しかし、法水のりみずは、いったん止とめた動作どうさを再ふたたび開始かいしして、両側りょうがわの扉とびらを一杯いっぱいに開ひらききると、なかには左右さゆうの壁際かべぎわに、奇妙きみょうな形かたちをした古代こだい時計とけいがズラリと配列はいれつされていた。外光がいこうが薄うすくなって、奥おくの闇やみと交まじわっている辺あたりには、幾いくつか文字もじ面めんの硝子がらすらしいものが、薄うす気味きみ悪わるげな鱗うろこの光ひかりのように見みえ、その仄ほのかな光ひかりに生動せいどうが刻きざまれていく。と云いうのは、所々ところどころに動うごいている長ながい短冊たんざく振子しんしが、絶たえず脈動みゃくどうのような明滅めいめつを繰くり返かえしているからであった。この墓窖はかあなのような陰々いんいんたる空気くうきの中なかで、時代じだいの埃ほこりを浴あびた物もの静しずけさが、そして、様々さまざまな秒びょう刻こくの音おとが、未いまだに破やぶられないのは、恐おそらく誰だれ一人ひとりとして、つめきった呼吸いきを吐はき出ださないからであろう。が、その時とき、中央ちゅうおうの大おおきな象嵌ぞうがん柱はしら身みの上うえに置おかれた人形にんぎょう時計とけいが、突然とつぜん弾条ぜんまいの弛ゆるむ音おとを響ひびかせたかと思おもうと、古風こふうなミニュエットを奏かなではじめたのであった。廻転琴オルゴール(反対はんたいの方向ほうこうに動うごく二ふたつの円筒えんとうを廻転かいてんせしめ、その上うえにある無数むすうの棘とげをもって、梯はしご状じょうに並ならんでいる音おん鋼こうを弾ひく自動じどう楽器がっき)が弾はじき出だした優雅ゆうがな音色ねいろが、この沈鬱ちんうつな鬼気ききを破やぶったとみえて、再ふたたび一同いちどうの耳みみに、あの引ひき摺ずるように重おもたげな音響おんきょうが入はいってきた。

「灯あかりを‼」熊くま城じょうは吾われに返かえったかのごとくに呶鳴どなった。真しん斎さいの手てで壁かべの開閉器スイッチが捻ひねられると、はたして法水ほうすいの神かみ測そくが適中てきちゅうしていた。と云いうのは、奥おくの長櫃キャビネットの上うえで、津つ多子たし夫人ふじんは生死せいしを四よん人にんの賽さいの目めに賭かけて、両手りょうてを胸むねの上うえで組くみ、長々ながながと横よこたわっているのであった。その端正たんせいな美うつくしさは、とうてい陶器とうきで作つくった、ベアトリチェの死し像ぞうと云いうほかにないであろう。しかし、引ひき摺ずるような鈍にぶい音響おんきょうは、まさに、津つ多子たし夫人ふじんが横よこたわっている附近ふきんから発はっせられてくる。薄うす気味きみ悪わるい地動ちどうのような鼾いびき声、それも病的びょうてきな喘鳴ぜいめいでも交かっているかのような……。ああ、法水のりみずが死体したいと推測すいそくした津つ多子たし夫人ふじんは、未いまだに生動せいどうを続つづけているではないか。皮膚ひふはまったく活かつ色いろを失うしない、体温たいおんは死し温おんに近ちかいほどに低下ていかしているけれども、微かすかに呼吸こきゅうを続つづけ、微弱びじゃくながらも心音しんおんが打うっている。そして、顔かおだけを除のぞいて、全身ぜんしんを木乃伊ミイラのように毛布もうふで巻まき付つけられているのだった。その時とき、廻転琴オルゴールのミニュエットが鳴なり終おわると、二ふたつの童子どうじ人形にんぎょうは、かわるがわる右手みぎての槌つちを振ふり上あげて、鐘チャペルを叩たたいた。そして、八はち時じを報ほうじたのであった。

「抱水ほうすいクロラールだ」法水ほうすいは呼気こきを嗅かいだ顔かおを離はなすと、元気げんきな声こえで云いった。「瞳孔どうこうも縮小しゅくしょうしているし、臭においもそれに違ちがいない。だが、生いきていてくれてなによりだったよ。ねえ熊くま城じょう君くん、津つ多子たし夫人ふじんの恢復かいふくで、この事件じけんのどこかに明あかるみが差さすかもしれないぜ」

「なるほど、薬物やくぶつ室しつの調査ちょうさは無駄むだじゃなかったろうがね」と熊くま城じょうは苦にがいものに触ふれたような顔かおになって、

「だが、おかげさまで、とんだ悲報ひほうを聴きかされてしまったよ。物凄ものすごい幻滅げんめつだ。あの銅版どうはん刷すりみたいに鮮あざやかな動機どうきを持もった女おんなが、なんという莫迦ばかげた大砲たいほうを向むけてきたんだい。一ひとつ君くんに、霊媒れいばいでも呼よんでもらおうかね」

事実じじつ熊くま城じょうが云いったように、遺産いさん配分はいぶんからただ一人ひとり除のぞかれていて、最もっとも濃厚のうこうな動機どうきを持もっているはずの押鐘おしがね津つ多子たし夫人ふじんには、どこかに脆もろい、破やれ目めでも出来できそうなところがあるように思おもわれていた。その矢先やさきに、兇悪きょうあく無惨むざんな夢中むちゅうの人物じんぶつとなって現あらわれたばかりでなく、しかも、法水ほうすいの推測すいそくを覆くつがえして、今度こんどは不可解ふかかいな昏睡こんすい状態じょうたいに、微妙びみょうな推断すいだんを要求ようきゅうしているのだった。その予想よそうを許ゆるされない逆転ぎゃくてん紛糾ふんきゅうには、ひとり熊くま城じょうならずとも、まったくたまらない事件じけんに違ちがいないのである。検事けんじも腹立はらだたしげに吐息といきして云いった。

「ただただ驚おどろくばかりさ。僅々きんきん二十にじゅう時間じかんあまりの間あいだに、二人ふたりの死者ししゃと二人ふたりの昏倒こんとう者しゃが出来できてしまったんだ。どのみち、問題もんだいになるのは、文字もじ盤ばんが廻まわされる以前いぜんさ。それまでに、犯人はんにんは昏倒こんとうさせた津つ多子たしを、ここへ運はこび入いれたのだろう」と云いって、法水のりみずを確信かくしんありげな表情ひょうじょうで見みて、「しかし法水ほうすい君くん、だいたいの薬量やくりょうが判わかれば、それを咽喉のどに入いれた時刻じこくの見当けんとうがつくだろう。そこに僕ぼくは、何なんかあるのじゃないかと思おもうよ。この昏睡こんすいには、きっと裏うらのまたその裏うらがあるに違ちがいないのだ」と意気いき地ちなくも検事けんじも、やはり津つ多子たし夫人ふじんに纏まつわる、動機どうきの確固かっこたる重おもさに引ひき摺ずられるのだった。

「たしかに明察めいさつだ」法水ほうすいは満足まんぞくそうに頷うなずいたが、「だが、薬量やくりょうなどはどうでもいい事ことなんだよ。何なんより問題もんだいなのは、犯人はんにんにこの人ひとを殺ころす意志いしがなかったという事ことだ」

「なに、殺ころす意志いしがない⁉」検事けんじは思おもわず鸚鵡おうむ返かえしに叫さけんだが、すぐに異議いぎを唱となえた。「しかし、薬量やくりょうの誤ご測そくということは、当然とうぜんないとは云いえまい」

「ところが支倉はせくら君くん、この出来事できごとには、薬量やくりょうが根本こんぽんから問題もんだいではないのだ。ただ眠ねむらせてこの室へやに抛ほうり込こんでおきさえすれば、それが論ろんなしに致死ちし量りょうになってしまうのだよ。多量たりょうの抱水ほうすいクロラールには、いちじるしく体温たいおんを低下ていかさせる性能せいのうがあるのだ。それにこの室むろは、石いしと金属きんぞくとで囲かこまれていて、非常ひじょうに温度おんどが低ひくい。だから、窓まどを開ひらいて外気がいきを入いれさえすれば、この室むろの気温きおんが、ちょうど凍死とうしに恰好かっこうな条件じょうけんになってしまうじゃないか。ところが犯人はんにんは、そういう最もっとも安全あんぜんな方法ほうほうを択えらばないばかりでなく、現在げんざい見みるとおり木乃伊ミイラみたいに包くるんでいて、不可解ふかかいな防ぼう温おん手段しゅだんを施ほどこしているんだよ」と相あい変かわらず法水ほうすいは、奇矯ききょうをきわめる謎なぞの中なかから、さらにまた異様いような疑問ぎもんを摘出てきしゅつするのだった。

ところが、はたして彼かれの言ことばのごとく、窓まどの掛金かけきんには石筍せきじゅんのような錆さびがこびり付ついていて、しかも、清掃せいそうされている室内しつないには、些細ささいの痕跡こんせきすら留とめられていない。法水ほうすいは、運はこび出だされてゆく津つ多子たし夫人ふじんを凝然ぎょうぜんと見送みおくりながら、なにかしら慄然りつぜんとしたような顔かおになって云いった。

「たぶん明日あす一日ついたちおけば、充分じゅうぶん訊問じんもんに耐たえられるだろうとは思おもうが、しかしこの一事いちじだけは、どうあっても記憶きおくしておかなけりゃならん。何故なぜに犯人はんにんが、津つ多子たし夫人ふじんの自由じゆうを奪うばって拘禁こうきんしたか――という事ことなんだ。あるいは僕ぼくの思おもい過すごしかもしれないがね。そういう手段しゅだんを採とるに至いたった陰険いんけんな企たくらみと云いうのが、もしかしたら、意識いしきが恢復かいふくしてから吐はかれる、言葉ことばの中なかにあるのではないかと思おもわれるんだよ。どうして、破やれ目めがありそうだと、そこにはきまって陥穽わながあるんだから」

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