← Library‹ 黒死館殺人事件 第五篇 第三の惨劇 一、犯人の名は、リュッツェン役の戦歿者中に

Salamander soll gluhen(火精ザラマンダーよ、燃もえたけれ)

黒死こくし館かんを真黒まっくろな翼つばさで覆おおうている眼めに見みえない悪鬼あくきが、三さん度たびファウスト博士はかせを気取きどって五ご芒ぼう星せい呪文じゅもんの一句いっくを送おくって来きた。それには、なにより熊城くましろが、まず云いいようのない侮辱ぶじょくを覚おぼえずにはいられなかった。事実じじつ、残のこされた四よん人にんの家族かぞくは熊くま城じょうの部下ぶかによって、さながらゴート式しき甲冑かっちゅうのように、身動みうごきも出来できぬほど装甲そうこうされているのである。それにもかかわらず、不敵ふてききわまりない偏執狂的マニアックな実行じっこうを宣言せんげんして、ダンネベルグ夫人ふじんと易介えきすけに続つづく、三さん回かい目めの惨劇さんげきを予告よこくしているのではないか。そうなると、熊くま城じょうの作つくり上あげた人間にんげんの塁壁るいへきが、第だい一いちどうなってしまうのであろう。ほとんど犯罪はんざいの続行ぞっこうを不ふ可能かのうに思おもわせるほどの完璧かんぺきな砦とりででさえも、犯人はんにんにとっては、わずか冷笑れいしょうの塵ごみにすぎないではないか。のみならず、そういう触ふれれば破滅はめつを意味いみしている、決定けってい的てきな危険きけんを冒おかしてまでも敢行かんこうしようという、恐おそらく狂くるったのでなければ意志いしに表あらわせぬような決けつ慮を示しめしているのであるから、その不敵ふてきさに度胆どぎもを抜ぬかれた形かたちになってしまって、三さん人にんがしばらくの間あいだ声こえを奪うばわれていたのも無理むりではなかった。その日ひは何なん日にち目めかの快晴かいせいだった。和なごやかな陽ひ差さが、壁面へきめんを飾かざっている「倫敦ロンドン大火たいか之の図ず」の下方かほう――ちょうどブリクストン附近ふきんに落おちていて、それがしだいにテムズを越こえて、一面いちめんに黒煙こくえんの漲みなぎる、キングスクロスの方ほうへ這はい上のぼって行いこうとしている。しかしそれに引ひき換かえ室内しつないの空気くうきは、打うてば金属かねのように響ひびくかと思おもわれるほどに緊張きんちょうしきっていたが、法水のりみずは何なんか成算せいさんのあるらしい面持おももちで、ゆったりと眼めを瞑とじ黙想もくそうに耽ふけりながらも、絶たえず微笑びしょうを泛うかべ独どく算さん気きな頷うなずきを続つづけていた。やがて、熊くま城じょうが無理むりに力味りきみ出だしたような声こえを出だした。

「僕ぼくは真しん斎さいじゃないがね。虚妄うその烽火のろしには驚おどろかんよ。あの無む分別ぶんべつ者しゃの行動こうどうも、いよいよこれで終熄しゅうそくさ。だって考かんがえて見み給たまえ。現在げんざい僕ぼくの部下ぶかは、あの四よん人にんの周囲しゅういを盾たてのように囲かこんでいる。けれども、その反面はんめんの意味いみが、同時どうじに犯人はんにんの行動こうどう記録きろく計けいの役やくも勤つとめていることになるんだぜ。ハハハハ法水ほうすい君くん、なんという皮肉ひにくだろう。もしかしたら、犯人はんにんにも護衛ごえいを附つけてないとも限かぎらんのだからね」

検事けんじは相あい変かわらず憂鬱ゆううつな顔かおで、熊くま城じょうの過信かしんに反対はんたいの見解けんかいを述のべた。

「どうして、あの四よん人にんをバラバラに離はなしてみたところで、とうていこの惨劇さんげきは終おわりそうもないよ。人間にんげんの力ちからでは、どうしても止とめることが不ふ可能かのうのような気きがする。事実じじつ僕ぼくには、まだ誰だれか知しられてない人物じんぶつが、黒死こくし館かんのどこかに潜ひそんでいるような気きがしてならないんだ」

「すると君きみは、ディグスビイが蘭貢ラングーンで死しんだのではないと云いうのか」熊くま城じょうは眼めを睜みはって、身体しんたいを乗のり出だした。

「とにかく、冗談じょうだんはやめてもらおう。それほど算哲さんてつの遺骸いがいが気きになるのだったら、その発掘はっくつは、この事件じけんの大詰おおづめが済すんでからのことにしようじゃないか」

「うん、神経しんけいかもしれないが。けっして小説しょうせつ的てきな空想くうそうじゃないよ。結局けっきょくこの神秘しんぴ的てきな事件じけんが、そこまで辿たどり着ついて行いきそうな気きがするだけだけどもね」とそれなりで検事けんじは、彼かれの譫妄うわごとめいたものを口くちには出ださなかったけれども、それには背後はいごから追おい迫せまって来くる、悪夢あくむのような不思議ふしぎな力ちからが潜ひそんでいた。割合わりあい夢想むそう的てきな法ほう水すいでさえも、その――ディグスビイの生死せいしいかんにかけた疑問ぎもんと算哲さんてつの遺骸いがい発掘はっくつ――という二ふたつの提題ていだいからは、瞬間しゅんかんではあったが、疼うずき上あげてくるようなものを感かんじたことは事実じじつだった。検事けんじは椅子いすをグイと後あとに倒たおして、なおも嘆息たんそくを続つづけた。

「ああ、今度こんどは火精ザラマンダーか⁉ すると、拳銃ピストルか石いし火矢ひやかい。それとも、古ふる臭くさいスナイドル銃じゅうか四十よんじゅう二に磅ポンド砲ほうでも向むけようという寸法すんぽうかね」

法水ほうすいはその時とき不意ふいに瞼まぶたを開ひらいて、唆そそられたように半身はんしんを卓上たくじょうに乗のり出だした。

「四十よんじゅう二に磅ポンドの加農砲キャノン! そうだ支倉はぜくら君くん。しかし、君きみがそれを意識いしきして云いったのなら、たいしたものだよ。今度こんどの火精ザラマンダーには、けっして今いままでのような陰険いんけん朦朧もうろうたるものはないと思おもうのだ。きっと犯人はんにんの古典クラシック好このみから、ロドマンの円弾まるだまが海盤車ひとでのような白煙はくえんを上あげて炸裂さくれつするだろうよ」

「ああ、相あい変かわらず豪壮ごうそうな喜歌劇オペレッタかね。それなら、どうでもいいが」と熊くま城じょうはいったん忌々いまいましそうに舌打したうちしたが、坐すわり直なおした。「しかし、論拠ろんきょのあるものなら、一応いちおうは聴きかせてもらおう」

「勿論もちろんあるともさ」法水ほうすいは無む雑作ぞうさに頷うなずいたが、その顔かおには制せいしきれない昂奮こうふんの色いろが現あらわれていた。「と云いうのは、今度こんどの火精ザラマンダーだけに、水精ウンディヌス・風精ジルフス――と前例ぜんれいのある、性別せいべつ転換てんかんが行おこなわれてないという事ことなんだ。ところで、あの五ご芒ぼう星せい呪文じゅもんに現あらわれている四よんつの精霊せいれいだが、それぞれに水精ウンディネ・風精ジルフェ・火精ザラマンダー・地精コボルト――と、物質ぶっしつ構造こうぞうの四よん大だい要素ようそを代表だいひょうしている。云いうまでもなく、中世ちゅうせいの錬金道士パラツェリストが仮想かそうしていた、元素精霊エレメンタリー・スピリットには違ちがいない。そして今いままでは、水精ウンディヌスと扉とびらを開ひらいた水みず、風神ジルフスと倍音ばいおん演奏えんそう――と云いっただけの、云いわば要素ようそ的てきな符合ふごうしか判わかってはいなかったのだ。けれども、いったんそれに性別せいべつ転換てんかんの解釈かいしゃくを加くわえると、あのいかにも秘密教エルメチスムめいていたものが、たちどころに公式こうしき化かされてしまうのだ。ねえ熊くま城じょう君くん、水精ウンディヌスと男性だんせいに変かえなければ、どうしてあの扉ドアを開ひらくことが出来できなかったのだろうか。そこに、犯罪はんざい方程ほうてい式しきの一部いちぶが精密せいみつな形かたちで透すかし見みえていたのを、僕ぼく等とうは、今いままで何故なぜに看過かんかしていたのだろうか」

「なに犯罪はんざい方程ほうてい式しき⁉」法水ほうすいの意外いがいな言ことばに、熊くま城じょうは胸むねを灰はいだらけにして叫さけんだ。けれども、だいたいが真理しんりなどと云いうものは、往々おうおうに、牽強けんきょう附会ふかいこの上うえなしの滑稽劇バーレスクにすぎない場合ばあいがある。しかも、きまっていつも、それは平凡へいぼんな形かたちで足下あしもとに落おちているものではないか。続つづいて、法水のりみずが曝露ばくろしたその一いち側面そくめんと云いうのが、いかに二人ふたりを唖然あぜんたらしめたことか……。

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