← Library‹ 黒死館殺人事件 第五篇 第三の惨劇 二、宙に浮んで……殺さるべし

法水のりみずがクリヴォフ夫人ふじんに猶太人虐殺ポグロムを試こころみて、しきりと十二宮ゾーディアック秘密ひみつ記法きほうの解読かいどくをしている頃ころだった。一方いっぽう私服しふくの楯たてで囲かこまれている黒死こくし館かんでは、その隙すきをどう潜もぐったものか、世よにもまたとない幻術げんじゅつ的てきな惨劇さんげきが起おこったのである。それが二に時じ四十よんじゅう分ふんの出来事できごとで、当とうの被害ひがい者しゃクリヴォフ夫人ふじんは、ちょうど前庭ぜんていに面めんした本館ほんかんの中央ちゅうおう――すなわち尖塔せんとうのまっすぐ下したに当あたる二に階かいの武具ぶぐ室しつの中なかで、折おりからの午後ごごの陽ひ差さを満身まんしんに浴あびながら、窓際まどぎわの石せき卓たくに倚より読書どくしょしていた。すると、突然とつぜん背後はいごから何者なにものかの手てで、装飾そうしょく品ひんの一ひとつであったフィンランダー式しき火術弩かじゅつどが発射はっしゃされたのだが、運うんよくその箭やは、彼女かのじょの頭部とうぶをわずかに掠かすめて毛髪もうはつを縫ぬった。そして、その強きょう猛たけしな直進ちょくしん力りょくは、瞬間しゅんかん彼女かのじょを宙ちゅうに吊つり、そのまま直前ちょくぜんの鎧扉よろいどに命中めいちゅうしたので、その機はずみを喰くって、クリヴォフ夫人ふじんは鞠まりのように窓外そうがいに投なげ出だされたのだった。しかし、その刺叉形さすまたがたをした鬼箭おにやが、確しかと棧さんの間あいだに喰くい入いっていたので、また後尾こうびの矢筈やはずに絡からみついている彼女かのじょの頭髪とうはつも、これまた執拗しつように離はなれなかったので、夫人ふじんの身体からだはその一いち本ほんの矢やに釣つられて宙吊ちゅうづりとなり、しかも、虚空こくうの中なかでキリキリ独楽こまのように廻転かいてんを始はじめたのであった。まさに、ダンネベルグ夫人ふじん――易えき介すけと続つづいた、血ちみどろの童話どうわ風景ふうけいである。あの底そこ知しれぬ妖術ようじゅつのような魔力まりょくを駆使くしして、犯人はんにんはこの日ひにもまた、クリヴォフ夫人ふじんを操人形マリオネットのように弄もてあそんだ。そして、相あい変かわらず五彩ごさい絢爛けんらんとした、超ちょう理法りほう超ちょう官能かんのうの神話しんわ劇げきを打うったのであった。恐おそらくその光景こうけいは、クリヴォフ夫人ふじんの赤毛あかげが陽ひに煽あおられて、それがクルクル廻転かいてんするところは、さながら焔ほのおの独楽こまのようにも思おもえたであろうし、また、怒いかったゴルゴン(メドウーサら三さん姉妹しまい)の頭髪とうはつを髣髴ほうふつとさせるほどに、凄惨せいさん酷烈こくれつをきわめたものに違ちがいなかった。そして、その時ときクリヴォフ夫人ふじんが、もし無我むが夢中むちゅうの裡うちに窓框まどわくに片手かたてを掛かけなかったなら、あるいは、そのうちに矢筈やはずが萎しなび鏃やじりが抜ぬけるかして、結局けっきょく直下ちょっか三さん丈じょうの地上ちじょうで粉砕ふんさいされたかもしれなかったのである。しかし、悲鳴ひめいを聴ききつけられて、クリヴォフ夫人ふじんはただちに引ひき上あげられたけれども、頭髪とうはつはほとんど無残むざんにも引ひき抜ぬかれていて、おまけに毛根もうこんからの出血しゅっけつで、昏倒こんとうしている彼女かのじょの顔かおは、一面いちめんに赭丹しゃたんを流ながしたよう素地そじを見みることが出来できなかったそうであった。

その惨事さんじが発生はっせいしてから、わずか三十さんじゅう五ご分ぶんの後あとに、法水ほうすい一行いっこうは黒死こくし館かんに到着とうちゃくしていた。館やかたに入はいると、彼かれはすぐにクリヴォフ夫人ふじんの病床びょうしょうを見舞みまった。すると、折おりよく医師いしの手てで意識いしきが恢復かいふくされていて、上述じょうじゅつの事情じじょうを、杜絶とぎれながらも聴きくことが出来できた。しかし、それ以上いじょうの真相しんそうは、混沌こんとんの彼方かなたで犯人はんにんが握にぎっていた。その当時とうじ彼女かのじょは、窓まどを正面しょうめんに椅子いすの背せを扉ドアの方ほうへ向むけていたので、自然しぜん背後はいごにいた人物じんぶつの姿すがたは見みることが出来できなかったと云いう始末しまつだし、また、その室へやに入はいる左右さゆうの廊下ろうかには、それぞれ一人ひとり宛ずつの私服しふくが曲まがり角かどの所ところで頑張がんばっていたのだったけれども、誰だれしもそこを出入でいりした人物じんぶつはなかったと云いうのだった。言葉ことばを換かえて云いうと、その室むろはほとんど密閉みっぺいされた函室はこむろに等ひとしく、したがって、私服しふくの眼めから外はずれて、いやしくも形体けいたいを具そなえた生物せいぶつなら、出入でいりは絶対ぜったい不ふ可能かのうであるに相違そういなかったのである。法水ほうすいは聴取ちょうしゅを終おわると、クリヴォフ夫人ふじんの病室びょうしつを出でて、さっそく問題もんだいの武具ぶぐ室しつを点検てんけんした。

その室むろは前面ぜんめんから見みると、正確せいかくに本館ほんかんの真中央まんまんなかに当あたり、二条にじょうの張出間アプスに挾はさまれていて、二ふたつある硝子がらす窓まどはそれだけが他ほかとは異ことなり、十じゅう八はち世紀せいき末期まっきの二に段だん上下じょうげ式しきになっている。また、室内しつないも北方ほっぽうゴート風ふうの玄武げんぶ岩がんで畳たたみ上あげた積石造つみいしづくりで、周囲しゅういは一抱ひとかかえもある角石かどいしで築きずき上あげられ、それが、暗くらく粗暴そぼうな蒙昧もうまいな、いかにも重々おもおもしげなテオドリック朝あさあたりを髣髴ほうふつとさせるものであった。そして、室内しつないには陳列ちんれつ品ひんのほかに、巨大きょだいな石せき卓たくと、天蓋てんがいのない背長椅子バルダキンが一ひとつあるのみにすぎなかった。しかも、その暗澹あんたんとした雰囲気ふんいきを、さらにいちだん物々ものものしくしているのが、周囲しゅういの壁面へきめんを飾かざっている各かく時代じだいの古代こだい武具ぶぐだったのである。それには、さして上古じょうこのものはなかったけれども、小型こがたのモルガルテン戦争せんそう当時とうじの放射式投石機カタプルトしきパリスタ、屯田兵ヘールバン常備じょうびの乗のり入いり梯子はしご、支那しな元代げんだい投なげ火か機きのようなやや型かたの大おおきい戦機せんきに類るいするものから、手て砲ほう用よう鞍形楯ハヴィルゼほか十じゅう二、三にさんの楯たて類るい、テオドシウス鉄てつ鞭むち、アラゴン時代じだいの戦槌かけや、ゲルマン連枷れんか、ノルマン型がた大身鎗おおみのやりから十六世紀鎗アガサイにいたる、十じゅう数すう種しゅの長ちょう短たん直じか叉さを混こんじた鎗戟そうげき類るい。また、歩兵ふひょう用よう戦斧せんふをはじめに、洋剣サーベルの類るいも各かく年代ねんだいにわたっていて、ことに、ブルガンディ鎌かま刀かたなやザバーゲン剣けんが珍奇ちんきなものだった。そして、その所々ところどころに、ヌーシャテル甲冑かっちゅうやマキシミリアン型がた、それにファルネスやバイヤール型がたなどの中世ちゅうせい甲冑かっちゅうが陳列ちんれつされていて、銃器じゅうきと云いえば、わずかに初期しょきの手砲ハンドキャノンを二ふたつ三みつ見みるにすぎなかった。しかし、それ等ら陳列ちんれつ品ひんを巡視じゅんししているうちに、恐おそらく法水ほうすいは、彼かれが珍蔵ちんぞうしているグロースの「古代こだい軍器ぐんき書しょ」を、この際さい持参じさんしなかったことが悔くやまれたに違ちがいない。何故なぜなら、彼かれは時折ときおり嘆息たんそくし、あるいは細ほそめた眼めを、細さい刻こくや紋章もんしょうに近ちかづけたりなどして、たしかにこの戦いくさ具ぐ変遷へんせんの魅力みりょくは、彼かれの職務しょくむを忘わすれさせたほどに、恍惚こうこつとさせたに相違そういなかったのである。

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