← Library‹ 黒死館殺人事件 第六篇 算哲埋葬の夜 二、大階段の裏に……

法水のりみずが十二宮ゾーディアックから引ひき出だした解答かいとう――大階段の裏ビハインド・ステイアスには、その場所ばしょと符合ふごうするものに、二ふたつの小室こしつがあった。一ひとつは、テレーズ人形にんぎょうの置おいてある室へやで、もう一ひとつは、それに隣となり合あっていて、内部なかは調度ちょうど一ひとつない空部屋あきべやになっていた。法水ほうすいはまず後者こうしゃを択えらんで把手ノッブに手てを掛かけたが、それには鍵かぎも下おりていず、スウッと音おともなく開ひらかれた。構造こうぞう上じょう窓まどが一ひとつもないので、内部なかは漆黒しっこくの闇やみである。そして、煤すすけた冷ひややかな空気くうきが触ふれてくる。ところが、先さきに立たった熊くま城じょうが、懐中かいちゅう電燈でんとうをかざしながら壁際かべぎわを歩あるいているうちに、ふと何なんを聴きいたものか、背後はいごの検事けんじが突然とつぜん立たち止どまった。彼かれは、なにかしら慄然りつぜんとしたように息いきを詰つめ、聴耳ききみみを立たてはじめたのであるが、やがて法水ほうすいに、幽かすかな顫ふるえを帯おびた声こえで囁ささやいた。

「法水のりみず君くん、君きみはあれが聴きこえないかね。隣となりの室へやから、鈴すずを振ふるような音おとが聴きこえてくるんだ。凝然じっと耳みみをすましてい給たまえ。そら、どうだ。ああたしか、あれはテレーズの人形にんぎょうが歩あるいているんだ……」

なるほど、検事けんじの云いうとおり、熊くま城じょうが踏ふむ重おもい靴音くつおとに交かって、リリンリリンと幽かすかに顫ふるえるような音おとが伝つたわってくる。無む生物せいぶつである人形にんぎょうの歩あゆみ――まさに、魂たましいの底そこまでも凍いてつけるような驚愕おどろきだった。しかし、当然とうぜんそうなると、人形にんぎょうの側かたわらにある何者なにものかを想像そうぞうしなくてはならない。そこで三さん人にんは、かつて覚おぼえたことのない昂奮こうふんの絶頂ぜっちょうにせり上あげられてしまった。もはや躊躇ちゅうちょする時機じきではない――熊くま城じょうが狂暴きょうぼうな風かぜを起おこして、把手ノッブを引ひきちぎらんばかりに引ひいた時とき、その時ときなんと思おもってか、法水のりみずが突如とつじょけたたましい爆笑ばくしょうを上あげた。

「ハハハハ支倉はせくら君くん、実じつは君きみの云いう海王かいおう星せいが、この壁かべの中なかにあるのだよ。だって、あの星ほしは最初さいしょから既知きち数すうではなかったのだからね。憶おもい出だし給たまえ、古代こだい時計とけい室しつにあった人形にんぎょう時計とけいの扉ドアに、いったい何なんという細ほそ刻こくが記しるされていたか。四百よんひゃく年ねんの昔むかしに、千々石ちぢわ清左衛門せいざえもんがフィリップ二に世せいから拝領はいりょうしたという梯状琴クラヴィ・チェンバロは、その後ご所在しょざいを誰だれ一人ひとり知しる者ものがなかったのだよ。たぶんあの音おとは、截たたれた絃いとが、震動しんどうで顫ふるえ鳴なったのだろう――。最初さいしょは、重おもい人形にんぎょうが隣室りんしつの壁際かべぎわを歩あゆんだ。そして、次つぎは今いまの熊くま城じょう君くんだ。つまり、大階段の裏ビハインド・ステイアス――の解答かいとうと云いうのは、この隣室りんしつとの境さかいにある壁かべのことなんだよ」

しかし、その壁面へきめんにはどこを探さぐっても、隠かくし扉とびらが設もうけてあるような手掛てがかりはなかった。そこでやむなく、その一部いちぶを破壊はかいすることになった。熊くま城じょうは最初さいしょ音響おんきょうを確たしかめてから、それらしい部分ぶぶんに手斧ておのを振ふって、羽目パネルに叩たたきつけると、はたしてそこからは、無数むすうの絃げんが鳴なり騒さわぐような音おとが起おこった。そして、木片もくへんが砕くだけ飛とび、その一いち枚まいを手斧ちょうなとともに引ひくと、羽目パネルの蔭かげからは冷ひえびえとした空気くうきが流ながれ出でてくる――そこは、二ふたつの壁面へきめんに挾はさまれた空洞くうどうだった。その瞬間しゅんかん、悪鬼あくきの秘密ひみつな通路つうろが闇やみの中なかから掴つかみ取とられそうな気きがして、三さん人にんの唾つばを嚥のむ音おとが合あわしたように聴きこえた。打うち下くだす音おととともに、梯状琴クラヴィ・チェンバロの絃げんの音おとが、狂くるった鳥とりのような凄惨せいさんな響ひびきを交まじえる。それは、周囲しゅういの羽目パネルを、熊くま城じょうが破壊はかいしはじめたからだった。ところが、やがてその一劃いっかくから埃ほこりまみれになって抜ぬけ出だしてくると、彼かれは激はげしい呼吸こきゅうの中途ちゅうとで大おおきな溜息ためいきを吐はき、法水ほうすいに一いち冊さつの書物しょもつを手渡てわたした。そして、グッタリとした弱々よわよわしい声こえで云いった。

「何なんもない――隠かくし扉ドアも秘密ひみつ階段かいだんも揚蓋あげぶたもないんだ。たったこの一いち冊さつだけが収穫しゅうかくだったのだよ。ああ、こんなものが、十じゅう二に宮ぐう秘密ひみつ記法きほうの解答かいとうだなんて」

法水のりみずも、この衝撃しょうげきからすぐに恢復かいふくすることは困難こんなんだった。明あきらかにそれは、二に重じゅうに重錘おもしの加くわわった、失望しつぼうを意味いみするのだから。では、何故なぜかと云いうに、ディグスビイが設計せっけい者しゃだったということから、ほとんど疑うたがう余地よちのなかった秘密ひみつ通路つうろの発見はっけんに、まずまんまと失敗しっぱいしてしまった――それは、無論むろん云いうまでもないことである。けれども、それと同時どうじに、事件じけんの当初とうしょダンネベルグ夫人ふじんが自筆じひつで示しめしたところの、人形にんぎょうの犯行はんこうという仮定かていを、わずかそれ一筋ひとすじで繋つなぎ止とめていた顫音せんおんの所在しょざいが明白めいはくになった。それなので、いよいよ明瞭はっきりとここで、あのプロヴィンシヤ人にんの物々ものものしい鬼おに影かげを認みとめなければならなくなってしまったのだ。しかし、以前いぜんの室へやに戻もどってその一いち冊さつを開ひらくと、法水のりみずは慄然りつぜんとしたように身みを竦すくめた。けれども、その眼めには、まざまざと驚嘆きょうたんの色いろが現あらわれた。

「ああ、驚おどろくべきじゃないか。これは、ホルバインの『死の舞踏トーテン・タンツ』なんだよ。しかも、もう稀覯きこうに等ひとしい一いち五ご三さん八はち年ねん里昂リオンの初版しょはんなんだ」

それには、四十よんじゅう年ねん後ごの今日きょうに至いたって、黒死こくし館かんに起おこった陰惨いんさんな死しの舞踊ぶようを予言よげんするかのように、明瞭はっきりとディグスビイの最終さいしゅうの意志いしが示しめされていた。その茶ちゃの犢こうし皮で装幀そうていされた表紙ひょうしを開ひらくと、裏側うらがわには、ジャンヌ・ド・ツーゼール夫人ふじんに捧ささげたホルバインの捧呈文デディケーションが記しるされ、その次葉じように、ホルバインの下図デザインを木版もくはんに移うつしたリュッツェンブルガーの、一いち五ご三さん〇れい年ねんバーゼルにおける制作せいさくを証明しょうめいする一いち文ぶんが載のせられていた。しかし、頁ページを繰くっていって、死神しにがみと屍骸しがいで埋うめられている多おおくの版画はんがを追おうているうちに、法水ほうすいの眼めは、ふとある一いち点てんに釘付くぎづけされてしまった。その左側ひだりがわの頁ぺーじには、大身槍おおみのやりを振ふった髑髏人どくろじんが、一人ひとりの騎士きしの胴体どうたいを芋刺いもざしにしている図ずが描えがかれ、また、その右側みぎがわのは、大勢おおぜいの骸骨がいこつが長管喇叭トロムパや角笛ホルンを吹ふき筒太鼓ケットル・ドラムを鳴ならしたりして、勝利しょうりの乱舞らんぶに酔よいしれている光景こうけいだった。ところが、その上欄じょうらんに、次つぎのような英文えいぶんが認したためられてあった。それはインキの色いろの具合ぐあいと云いい、初はじめて見みるディグスビイの自筆じひつに相違そういなかったのである。

“Queanクイーン lockedロックト inイン Kainsケインス. Jewジュー yawningヨウニング inイン knotノット. Knellネル karagozカラギヨス! Jainistsジャイニスツ underlieアンダーライ belowビロウ infernoインフェルノ.”

――(訳文やくぶん)。尻軽しりがる娘むすめはカインの輩ともがらの中なかに鎖くさりじ込こめられ、猶太人ジュウは難問なんもんの中なかにて嘲笑あざけわらう。凶きょう鐘しょうにて人形にんぎょう(カラギヨス――土耳古とるこ(トルコ)の操みさお人形にんぎょう)を喚よび覚さませ、奢那ジャイナ教きょう徒とども(仏教ぶっきょうと共通きょうつう点てんの多おおい姉妹しまい的てき宗教しゅうきょう)は地獄じごくの底そこに横よこたわらん。(以上いじょうは、判読はんどく的てき意訳いやくである)

そして、次つぎの一いち文ぶんが続つづいていた。それは文意ぶんいと云いい、創世そうせい記きに皮肉ひにく嘲あざけり説せつを浴あびせているようなものだった。

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