法水が十二宮から引き出した解答――大階段の裏には、その場所と符合するものに、二つの小室があった。一つは、テレーズ人形の置いてある室で、もう一つは、それに隣り合っていて、内部は調度一つない空部屋になっていた。法水はまず後者を択んで把手に手を掛けたが、それには鍵も下りていず、スウッと音もなく開かれた。構造上窓が一つもないので、内部は漆黒の闇である。そして、煤けた冷やかな空気が触れてくる。ところが、先に立った熊城が、懐中電燈をかざしながら壁際を歩いているうちに、ふと何を聴いたものか、背後の検事が突然立ち止った。彼は、なにかしら慄然としたように息を詰め、聴耳を立てはじめたのであるが、やがて法水に、幽かな顫えを帯びた声で囁いた。
「法水君、君はあれが聴えないかね。隣りの室から、鈴を振るような音が聴えてくるんだ。凝然と耳をすましてい給え。そら、どうだ。ああたしか、あれはテレーズの人形が歩いているんだ……」
なるほど、検事の云うとおり、熊城が踏む重い靴音に交って、リリンリリンと幽かに顫えるような音が伝わってくる。無生物である人形の歩み――まさに、魂の底までも凍てつけるような驚愕だった。しかし、当然そうなると、人形の側にある何者かを想像しなくてはならない。そこで三人は、かつて覚えたことのない昂奮の絶頂にせり上げられてしまった。もはや躊躇する時機ではない――熊城が狂暴な風を起して、把手を引きちぎらんばかりに引いた時、その時なんと思ってか、法水が突如けたたましい爆笑を上げた。
「ハハハハ支倉君、実は君の云う海王星が、この壁の中にあるのだよ。だって、あの星は最初から既知数ではなかったのだからね。憶い出し給え、古代時計室にあった人形時計の扉に、いったい何という細刻が記されていたか。四百年の昔に、千々石清左衛門がフィリップ二世から拝領したという梯状琴は、その後所在を誰一人知る者がなかったのだよ。たぶんあの音は、截たれた絃が、震動で顫え鳴ったのだろう――。最初は、重い人形が隣室の壁際を歩んだ。そして、次は今の熊城君だ。つまり、大階段の裏――の解答と云うのは、この隣室との境にある壁のことなんだよ」
しかし、その壁面にはどこを探っても、隠し扉が設けてあるような手掛りはなかった。そこでやむなく、その一部を破壊することになった。熊城は最初音響を確かめてから、それらしい部分に手斧を振って、羽目に叩きつけると、はたしてそこからは、無数の絃が鳴り騒ぐような音が起った。そして、木片が砕け飛び、その一枚を手斧とともに引くと、羽目の蔭からは冷えびえとした空気が流れ出てくる――そこは、二つの壁面に挾まれた空洞だった。その瞬間、悪鬼の秘密な通路が闇の中から掴み取られそうな気がして、三人の唾を嚥む音が合したように聴えた。打ち下す音とともに、梯状琴の絃の音が、狂った鳥のような凄惨な響を交える。それは、周囲の羽目を、熊城が破壊しはじめたからだった。ところが、やがてその一劃から埃まみれになって抜け出してくると、彼は激しい呼吸の中途で大きな溜息を吐き、法水に一冊の書物を手渡した。そして、グッタリとした弱々しい声で云った。
「何もない――隠し扉も秘密階段も揚蓋もないんだ。たったこの一冊だけが収穫だったのだよ。ああ、こんなものが、十二宮秘密記法の解答だなんて」
法水も、この衝撃からすぐに恢復することは困難だった。明らかにそれは、二重に重錘の加わった、失望を意味するのだから。では、何故かと云うに、ディグスビイが設計者だったということから、ほとんど疑う余地のなかった秘密通路の発見に、まずまんまと失敗してしまった――それは、無論云うまでもないことである。けれども、それと同時に、事件の当初ダンネベルグ夫人が自筆で示したところの、人形の犯行という仮定を、わずかそれ一筋で繋ぎ止めていた顫音の所在が明白になった。それなので、いよいよ明瞭とここで、あのプロヴィンシヤ人の物々しい鬼影を認めなければならなくなってしまったのだ。しかし、以前の室に戻ってその一冊を開くと、法水は慄然としたように身を竦めた。けれども、その眼には、まざまざと驚嘆の色が現われた。
「ああ、驚くべきじゃないか。これは、ホルバインの『死の舞踏』なんだよ。しかも、もう稀覯に等しい一五三八年里昂の初版なんだ」
それには、四十年後の今日に至って、黒死館に起った陰惨な死の舞踊を予言するかのように、明瞭とディグスビイの最終の意志が示されていた。その茶の犢皮で装幀された表紙を開くと、裏側には、ジャンヌ・ド・ツーゼール夫人に捧げたホルバインの捧呈文が記され、その次葉に、ホルバインの下図を木版に移したリュッツェンブルガーの、一五三〇年バーゼルにおける制作を証明する一文が載せられていた。しかし、頁を繰っていって、死神と屍骸で埋められている多くの版画を追うているうちに、法水の眼は、ふとある一点に釘付けされてしまった。その左側の頁には、大身槍を振った髑髏人が、一人の騎士の胴体を芋刺しにしている図が描かれ、また、その右側のは、大勢の骸骨が長管喇叭や角笛を吹き筒太鼓を鳴らしたりして、勝利の乱舞に酔いしれている光景だった。ところが、その上欄に、次のような英文が認められてあった。それはインキの色の具合と云い、初めて見るディグスビイの自筆に相違なかったのである。
“Quean locked in Kains. Jew yawning in knot. Knell karagoz! Jainists underlie below inferno.”
――(訳文)。尻軽娘はカインの輩の中に鎖じ込められ、猶太人は難問の中にて嘲笑う。凶鐘にて人形(カラギヨス――土耳古(トルコ)の操人形)を喚び覚ませ、奢那教徒ども(仏教と共通点の多い姉妹的宗教)は地獄の底に横たわらん。(以上は、判読的意訳である)
そして、次の一文が続いていた。それは文意と云い、創世記に皮肉嘲説を浴びせているようなものだった。