← Library‹ 黒死館殺人事件 第七篇 法水は遂に逸せり⁉ 一、シャビエル上人の手が……

故意こいに、法水のりみずが音おとを押おさえて、扉ドアを開ひらいた時ときだった。その時ときレヴェズは、煖炉だんろの袖そでにある睡椅子ねむりいすに腰こしを下くだしていて、顔かおを両膝りょうひざの間あいだに落おとし、その顳顬こめかみを両りょうの拳こぶしで犇ひしと押おさえていた。そのグローマン風ふうに分わけた長ながい銀色ぎんいろをした頭髪かみのけの下したには、狂暴きょうぼうな光ひかりに燃もえて紅あかい煨おきを凝然じいっと瞶みつめている二ふたつの眼めがあった。いつもなら、あの憂鬱ゆううつな厭世えんせい家かめいたレヴェズ――いまその全身ぜんしんを、かつて見みるを得えなかった激情げきじょう的てきなものが覆おおい包つつんでいる。彼かれは絶たえず、小こびんの毛けを掻かき毟むしっては荒あらい吐息といきをつき、また、それにつれて刻きざみ畳たたまれた皺しわが、ひくひくと顔かお一面いちめんに引ひきっ痙つれくねってゆくのだった。その妖怪ようかいめいた醜みにくさ――とうていそのような頭蓋ずがい骨こつの下したには、平静へいせいとか調和ちょうわとか云いうものが、存そんし得えよう道理どうりはないのである。たしか、レヴェズの心中しんじゅうには、何なんか一ひとつの狂的きょうてきな憑着ひょうちゃくがあるに相違そういない。そして、それがこの中老ちゅうろう紳士しんしを、さながら獣けもののように喘あえぎ狂くるわせているらしく思おもわれるのだった。

しかし、法水のりみずを見みると、その眼めから懊悩おうのうの影かげが消きえて、レヴェズは朦朧もうろうと山やまのように立たち上のぼった。その変化うつりかわりには、まるで、別個べっこのレヴェズが現あらわれたのではないか――と思おもわれたほどに鮮あざやかなものがあった。また、態度たいどにも意外いがいとか嫌悪けんおとか云いうものがなくて、相あい変かわらず白しろっぽい霞かすみのかかったような、それでいて、その顔かおの見みえない方ほうの側がわには、悪狡わるがしこい片眼かためでも動うごいていそうな……という、いつも見みる茫漠ぼうばくとした薄うす気味きみ悪わるさで、またそれには、法水ほうすいの無む作法さほうを責せめるような、峻厳しゅんげんな素もと振ぶりもないのであった。まったく、レヴェズの異風いふうな性格せいかくには、文字もじどおりの怪物かいぶつという以外いがいに評ひょうし得とくようもないであろう。

その室へやは、雷かみなり文様もんようの浮彫うきぼりにモスク風ふうを加味かみした面取作りラスチック・スタイルで、三みつ並ならびの角張かどばった稜りょうが、壁かべから天井てんじょうまで並行へいこうな襞ひだをなし、その多おおくの襞ひだが格子こうしを組くんでいる天井てんじょうの中央ちゅうおうからは、十じゅう三さん燭しょく形けいの古風こふうな装飾灯シャンデリヤが下くだっていた。そして、妙みょうに妖怪ようかいめいた黄色きいろっぽい光ひかりが、そこから床ゆかの調度ちょうど類るいに降ふり注そそがれているのだった。法水ほうすいは叩ノックしなかったことを鄭重ていちょうに詫わびてから、レヴェズと向むき合あわせの長ちょう椅子いすに腰こしを下くだした。すると、まずレヴェズの方ほうで、老獪ろうかいそうな空咳からせきを一ひとつしてから切きり出だした。

「時じに、先刻せんこく遺言ゆいごん書しょを開封かいふうなさったそうですな。すると、この室へやにお出いでになったのも、儂わしにその内容ないようを講釈こうしゃくなさろうというおつもりで。ハハハハ、だが法水のりみずさん、たしかあれは莫迦ばかげた遊戯ゲームのはずで、いや今いまですからお話はなしますがね。実じつを云いいますと、開封かいふうすなわち遺言ゆいごんの実行じっこうなのです。つまり、あれには期限きげんの到来とうらいを示しめす意味いみしかなくて、しかも、その内容ないようは即刻そっこく実行じっこうされねばならんのですよ」

「なるほど……。いかにもあのままでは、偏見へんけんはおろか、錯覚さっかくさえも起おこす余地よちはありますまい。だが、しかしレヴェズさん、とうとうあの遺言ゆいごん書しょ以外いがいに、僕ぼくは動機どうきの深淵しんえんを探さぐり当あてましたよ」と法水ほうすいは、微笑びしょうの中なかに妙みょうに棘々とげとげしいものを隠かくして、相手あいてに向むけた。「ところで、それについて、ぜひにも貴方あなたの御ご助力じょりょくが必要ひつようになりましてな。実じつを云いうと、その底そこ深ふかい淵ふちの中なかから、奇異ふしぎな童謡どうようが響ひびいてくるのを聴きいたのでしたよ。ああ、あの童謡どうよう――それは事実じじつ僕ぼくの幻聴げんちょうではなかったのです。勿論もちろん、それ自みずからはすこぶる非ひ論理ろんり的てきなもので、けっして単独たんどくでは測定そくていを許ゆるされません。しかし、その射影しゃえいを追おうて観察かんさつしてゆくうちに、偶然ぐうぜんその中なかから、一ひとつの定数ていすうが発見はっけんされたのでした。つまりレヴェズさん、その値ヴァリューを、貴方あなたに決定けっていして頂いただきたいと思おもうのですが……」

「なに、奇異ふしぎな童謡どうようを⁉」といったんは吃驚びっくりして、煖炉だんろの煨おきから法水のりみずの顔かおに視線しせんを跳はね上あげたが、「ああ、判わかりましたとも法水のりみずさん、とにかく、見みえ透すいた芝居しばいだけは、やめにしてもらいますかな。なんで、貴方あなたのような兇猛きょうもう無比むひ――まるでケックスホルム擲弾てきだん兵へいみたいな方ほうが。唱うたうに事欠ことかいて惨みじめな牧歌マドリガーレとは……。ハハハハ、無双むそうの人ひとよ! 冀こいねがわくは、威風堂々マエステヴォルメンテとあれ!」と相手あいての策謀さくぼうを見透みすかして、レヴェズは痛烈つうれつな皮肉ひにくを放はなった。そして、早はやくも警戒けいかいの墻壁しょうへきを築きずいてしまったのである。しかし、法水のりみずは微動びどうもせぬ白々しらじらしさで、いよいよ冷静れいせいの度どを深ふかめていった。

「なるほど、僕ぼくの弾はじき出だしが、幾分いくぶん表情的エスプレッシヴォに過すぎたかもしれません。しかし、こう云いうと、あるいは僕ぼくの浅学せんがくをお嗤わらいになるでしょうが、事実じじつ僕ぼくは、未いまだもって『Discorsiディスコルシ』(十じゅう六ろく世紀せいきの前半ぜんはんフィレンツェの外交がいこう家かマキァヴェリ著ちょ「陰謀いんぼう史し」)さえも読よんでいないのですよ、ですから、御覧ごらんのとおりの開あけっ放ぱなしで、勿論もちろん陥穽わなも計謀たくらみもありっこないのです。いや、いっそこの際さい、事件じけんの帰趨きすうをお話はなして、御ご存ぞんじのない部分ぶぶんまでお耳みみに入いれましょう。そして、その上うえで、さらに御ご同意どういを得えるとしますかな」と肱ひじを膝ひざの上うえでずらし、相手あいてを見据みすえたまま法水ほうすいは上体じょうたいを傾かしげた。

「で、それと云いうのは、この事件じけんの動機どうきに、三みつの潮流ちょうりゅうがあるということなのです」

「なんですと、動機どうきに三みつの潮流ちょうりゅうが……。いや、たしかそれは一ひとつのはずです。法水のりみずさん、貴方あんたは津つ多子たしを――遺産いさんの配分はいぶんに洩もれた一人ひとりをお忘わすれかな」

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