← Library‹ 黒死館殺人事件 第七篇 法水は遂に逸せり⁉ 二、光と色と音――それが闇に没し去ったとき

ああ、シャビエル上人しょうにんの手て! それがこの、二に重じゅうの鍵かぎに鎖さされた扉ドアを開ひらいたとは……。事実じじつ、法水ほうすいの透視とうし神経しんけいが微妙びみょうな放出ほうしゅつを続つづけて、築きずき上あげた高こう塔とうがこれだったのか。しかし、検事けんじも熊くま城じょうも、痺しびれたような顔かおになって容易よういに言葉ことばも出でなかった。と云いうのは、これがはたして法水ほうすいの神技かみわざであるにしても、とうていそのままを鵜呑うのみに出来できなかったほど――むしろ狂気きょうきに近ちかい仮説かせつだったからである。津つ多子たしはそれを聴きくと、眩暈めまいを感かんじたように倒たおれかかって、辛からくも鉄柵てっさく扉とびらで支ささえられた。が、その顔かおは死人しにんのように蒼白あおじろく、彼女かのじょは、絶たえ入いらんばかりに呼吸いきせきつつ、眼めを伏ふせてしまった。法水のりみずもさもしてやったりという風ふうに、会心かいしんの笑わらいを泛うかべて、

「ですから夫人おくさん、あの夜よるの貴女あなたは、妙みょうに糸いととか線せんとか云いうものに運命うんめいづけられていたのですよ。しかし、その方法ほうほうとなると、相あい変かわらず一いち年ねん一日ついたちのごとくで……。いやとにかく、僕ぼくの考かんがえていることを実験じっけんしてみますかな」

それから、符ふ表ひょうと文字もじ盤ばんを覆おおうている、鉄製てつせいの函はこを開ひらく鍵かぎを、真ま斎ときから借かりて、まず鉄てつ函はこを開ひらき、それから文字もじ盤ばんを、右みぎに左ひだりにまた右みぎに合あわせると、扉ドアが開ひらかれた。すると、扉とびらの裏側うらがわには、背面はいめんが露出ろしゅつしている羅針儀式マリナース・コムパスの機械きかい装置そうちが現あらわれたが、それに法水のりみずは、表面ひょうめんでは文字もじ盤ばんの周囲しゅういに当あたる、飾かざり突起とっきに糸いとを捲まき付つけ、その一端いったんを固定こていさせた。

「ところで、この羅針儀式マリナース・コムパスの特性とくせいが、貴女あなたの詭計トリックに最もっとも重大じゅうだいな要素ようそをなしているのです。と云いうのは、この合あわせ文字もじを、閉とじる時ときの方向ほうこうと逆ぎゃくに辿たどってゆくと、三さん回かいの操作そうさで閂かんぬきが開ひらく。また、それを反対はんたいに行おこなうと、掛金かけきんが閂かんぬき孔こうの中なかに入はいってしまうのですからね。つまり、開ひらく時ときの基点きてんは閉とざす時ときの終点しゅうてんであり、また、閉とじる時ときの基点きてんは開ひらく時ときの終点しゅうてんに相当そうとうする訳わけなのです。ですから、実行じっこうはしごく単純たんじゅんで、要ようするに、その左右さゆう廻転かいてんを恰好かっこうに記録きろくするものがあって、またそれに、文字もじ盤ばんの方ほうへ逆ぎゃくに及およぼす力ちからさえあれば……。そうすれば、理論りろん上じょう鎖さされた閂かんぬきが開ひらくということになりましょう。勿論もちろん内部ないぶからでは、あの鉄てつ函はこの鍵かぎは問題もんだいではないのですよ。で、その記録きろく筒とうと云いうのが、何なんあろう、あの廻転琴オルゴールなのでした」

と法水ほうすいは、糸いとを人形にんぎょう時計とけいの方ほうへ引ひいて行いって、観音かんのん開びらきを開ひらき、その音色ねいろを弾ひく廻転かいてん筒とうを、報時ほうじ装置そうちに続つづいている引ひっ掛かけから外はずした。そして、その円筒えんとうに無数むすうと植うえつけられている棘とげの一ひとつに、糸いとの一端いったんを結むすび付つけて、それをピインと張はらせ、さてそうしてから検事けんじに云いった。

「支倉はせくら君くん、君きみは外そとから文字もじ盤ばんを廻まわして、この符ふ表ひょうどおりに扉ドアを閉しめてくれ給たまえ」

すると、検事けんじの手てによって文字もじ盤ばんが廻転かいてんしてゆくにつれて、廻転琴オルゴールの筒つつが廻まわりはじめた。そして、右みぎ転てんから左ひだり転てんに移うつる所ところには、その切きり返かえしが他ほかの棘とげに引ひっ掛かかって、三さん回かいの操作そうさが、そうして見事みごとに記録きろくされたのである。それが終おわると、法水のりみずはその筒つつに、旧もとどおり報時ほうじ装置そうちの引ひっ掛かけを連続れんぞくさせた。それが、ちょうど八はち時じに二十にじゅう秒びょうほど前まえであった。機械きかい部ぶに連つらなった廻転かいてん筒とうは、ジイッと弾条ぜんまいの響ひびきを立たてて、今いま行おこなったとは反対はんたいの方向ほうこうに廻まわりはじめる。その時とき固唾かたずを嚥のんで見守みまもっていた一同いちどうの眼めに、明あきらかな駭おどろきの色いろが現あらわれた。何故なぜなら、その廻転かいてんにつれて、文字もじ盤ばんが、左ひだり転てん右みぎ転てんを鮮あざやかに繰くり返かえしてゆくではないか。そうしているうちに、ジジイッと、機械きかい部ぶの弾条ぜんまいが物懶ものうげな音おとを立たてると同時どうじに、塔とう上じょうの童子どうじ人形にんぎょうが右手みぎてを振ふり上あげた。そして、カアンと鐘チャペルに撞木しゅもくが当あたる、とその時ときまさしく扉ドアの方角ほうがくで、秒びょう刻こくの音おとに入いり混まざって明瞭はっきりと聴きき取とれたものがあった。ああ、再ふたたび扉とびらが開ひらかれたのだった。一同いちどうはフウと溜ためていた息いきを吐はき出だしたが、熊くま城じょうは舌したなめずりをして、法水ほうすいの側がわに歩あゆみ寄よった。

「なんて、君きみという人物じんぶつは、不思議ふしぎな男おとこだろう」

しかし法水ほうすいは、それには見向みむきもせずに、すでに観念かんねんの色いろを泛うかべている津つ多子たしの方ほうを向むいて、「ねえ夫人おくさん、つまり、この詭計トリックの発因と云いうのが、博士はかせにかけられた貴女きじょの電話でんわにあったのですよ。しかし、それを僕ぼくに濃こく匂におわせたのは、現げんに抱水ほうすいクロラールを嚥のまされているにもかかわらず、貴女きじょが、実じつに不可解ふかかいな防ぼう温おん手段しゅだんを施ほどこされていたということなんです。あの、まるで木乃伊ミイラのように、毛布もうふをクルクル捲まき付つけられていなければ、恐おそらく貴女きじょは、数すう時間じかんのうちに凍死とうししていたでしょう。痲酔よい剤ざいを嚥のませた、しかし、殺害さつがいの意志いしがない――。そういう解かいしきれない矛盾むじゅんが、僕ぼくの懸念けねんを濃厚のうこうにしたのでした。ところで夫人おくさん、あの夜よる貴女あなたがこの扉ドアを開ひらかれて、さてそれからどこへ行いかれたものか、当あててみましょうか。いったい、薬物やくぶつ室しつの酸化さんか鉛なまりの瓶びんの中なかには、何なんがあったのでしょう。あの褪あせやすい薬物やくぶつの色いろを、依然いぜん鮮あざやかに保たもたせていたのは……」

「ですけど」津つ多子たしはすっかり落着おちついていて、静しずかな重味おもみのある声音こわねでいった。「あの薬物やくぶつ室しつの扉ドアが、私わたくしがまいりましたときには、すでに開ひらかれておりました。それに、抱水ほうすいクロラールにも、その以前いぜんに手てを付つけたらしい形跡けいせきが残のこっていたのですわ。もう申もうし上あげる必要ひつようはございませんでしょうが、あの酸化さんか鉛なまりの罎びんの中なかには、容器ようきに蔵おさめた二にグラムのラジウムが隠かくされてあったのです。それを私わたくしは、かねて伯父おじから聴きいておりましたので、押鐘おしがねの病院びょういん経営けいえいを救すくうために、ある重大じゅうだいな決意けついをいたさねばなりませんでした。そして、一いち月がつほど前まえから、この館やかたを離はなれずに――。ああ、その間かん、私わたくしにはあらゆる意味いみでの、視線しせんが注そそがれました。しかし、それさえもじっと耐こらえて、私わたくしは絶たえず、実行じっこうの機会きかいを狙ねらっていたのでございます。ですから、私わたくしがこの室へやで試こころみましたいっさいのものは、無論むろん愚おろかな防衛ぼうえい策さくなのでございます。もしも、ラジウムの紛失ふんしつが気きづかれた際さいに、その場合ばあい仮空かくうの犯人はんにんを、一人ひとり作つくるつもりだったのでした。どうか法水ほうすいさん、あの、あのラジウムをお取とり戻もどしなすって――先刻せんこく押鐘おしがねが持もち帰かえりましたのですから。けれども、この点てんだけは断言だんげんいたしますわ。いかにも、私わたくしは盗ぬすんだに相違そういないのですが、しかし、私わたくしの犯行はんこうと同時どうじに起おこった殺人さつじん事件じけんには、絶対ぜったい関係かんけいがございませんのですから」

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