← Library‹ 黒死館殺人事件 第八篇 降矢木家の壊崩 二、伸子よ、運命の星の汝の胸に

足許あしもとには小ちいさな階段かいだんが一ひとつあって、そこから漆うるしのような闇やみが覗のぞいている。永年えいねん外気がいきに触ふれたことのない陰湿いんしつな空気くうきが、さながら屍かばね温おんのようなぬくもりと、一種いっしゅ名状めいじょうの出来できぬ黴かび臭さとを伴ともなって、ドロリと流ながれ出でてくる――文字もじどおりの鬼気ききだった。法ほう水すい等とう三さん人にんは、さっそく懐中かいちゅう電燈でんとうを点ともして、肩かたを狭せばめながら階段かいだんを下おりて行いった。すると、そこは半畳はんじょう敷しきほどの板敷いたじきになっていて、そこまで来くると、今いままでは光線こうせんの加減かげんで見みえなかったスリッパの跡あとが、床ゆかに幾いくつとなく発見はっけんされた。しかし、その中なかにはきわめて新あたらしい一ひとつがあって、それが一いち直線ちょくせんに階段かいだんの上うえまで続つづいているけれども、その小判こばん形がたの痕あとには、たぶん静しずかに歩あるいたせいでもあろうか、前後ぜんごの特徴とくちょうさえも残のこっていないのである。したがって、はたしてそれが階段かいだんから下おりて来きたものか、それとも、奥おくの坑道こうどうから辿たどり来きったものか、勿論もちろんその識別しきべつは不ふ可能かのうなのであった。その時とき、周囲しゅういを照てらしていた熊くま城じょうがアッと叫さけんだ。見みると、右手みぎての上方かみがたに、凄愴せいそうな生はえ際ぎわを見みせた魔王まおうバリ(印度いんどヴイシユヌ化身けしん伝説でんせつに現あらわれる悪魔あくまの名な)の木彫きぼり面めんが掛かかっていて、その左眼ひだりめの瞳ひとみが、五ご分ふんばかり棒ぼうのような形かたちで突つき出でている。それを押おすと、反対はんたいに右みぎの方ほうが持もち上あがってきて、上うえから差さし込こむ光線こうせんが狭せばめられていった――積せき石せきが旧もとの位置いちに戻もどったからである。それから法水のりみずは、そのスリッパの跡あとと歩幅ほはばの間隔かんかくとを計はかってから、前方ぜんぽうに切きり開ひらかれている短冊たんざく形けいの闇やみの中なかへ入はいって行いった。実じつにそれからが、往昔おうせき羅馬ローマ皇帝こうていトラヤヌスの時代じだいに、執政官コンスルプリニウスが二人ふたりの女執事デアコノを使つかって、カリストゥス地下ちか聖せい廊ろうを探さぐらせた際さいの、光景こうけいを髣髴ほうふつとするものであった。

坑道こうどうの天井てんじょうからは、永年えいねんの埃ほこりの堆積たいせきが鍾乳しょうにゅう石せきのような形かたちで垂たれ下さがっていて、呼吸こきゅうをするごとに細ほそ塵ごみが飛散ひさんしてきて、咽喉のどが擽くすぐられるように咽むせっぽかった。それでなくても、空気くうきが新鮮しんせんでないために、妙みょうに息苦いきぐるしく、もしこの際さい松火たいまつを使つかったとしたら、それは、輝かがやかずに燻くすぶり消きえるだろうと思おもわれた。それに、館やかた中ちゅうの響ひびきがこの空間くうかんには異様いように轟とどろいてきて、時折ときおり岐路えだみちではないかと思おもったり、また、人声ひとごえのようにも聴きこえたりして、胸むねを躍おどらすのもしばしばであった。しかし、スリッパの跡あとはどこまでも消きえずに彼かれ等らを導みちびいていった。その足許あしもとには、雪ゆきを踏ふみしだくような感かんじで埃ほこりの堆積たいせきが崩くずれ、それを透すかして、檞かしの冷つめたい感触かんしょくが、頭あたまの頂辺てっぺんまで滲しみ透とおるのだった。こうして、この隧道タンネル旅行りょこうは、かれこれ二十にじゅう分ふんあまりも続つづいた。坑道こうどうは右みぎに左ひだりに、また、ある部分ぶぶんは坂さかをなし、ほとんど記憶きおくできぬほど曲折きょくせつの限かぎりを尽つくして、最後さいごに左ひだりに曲まがると、そこは袋ふくろ戸棚とだなのような行いき詰づまりになっていた。そして、そこにも魔王まおうバリの面めんが発見はっけんされた。ああ、その石壁いしかべ一ひと重えの彼方かなたは、館やかたの何処いずこであろうか。法水ほうすいは固唾かたずを呑のんで面めんの片眼かためを押おした。すると、その右みぎの扉ドアは、熊くま城じょうの肩かたを微かすかに掠かすって開ひらかれたが、前方ぜんぽうにも依然いぜんとして闇やみは続つづいている。しかし、どこからとなく、寛ゆるやかな風かぜが訪おとずれてきて、そこが広ひろい空間くうかんであるのを思おもわせるのだった。

法水ほうすいは前方ぜんぽうの空間くうかんを目めがけて、斜ななめに高たかく光ひかりを投なげた。けれども、その光ひかりは、闇やみの中なかを空むなしく走はしったのみで、何なんも映うつらなかった。それで、今度こんどは一いち歩ほ踏ふみ込こんで、頭上ずじょうに向むけると、そこには、醜みにくい苦渋くじゅうな相貌そうぼうをした三さん人にんの男おとこの顔かおが現あらわれた。法水ほうすいはそれによって、いっさいを知しることが出来できたのである。聖せいパウロ、殉教じゅんきょう者しゃイグナチウス、コルドバの老証道人コンフェッサーホシウス……と壁面へきめんの彫像柱アトランテスを、三みつまでは数かぞえたが、その声こえに俄然がぜん顫ふるえが加くわわってきて、

「墓𥥔クリプトだよ、とうとう僕ぼく等とうは算哲さんてつの墓𥥔クリプトにやって来きてしまったんだ」と狂くるわしげに叫さけんだ。

その声こえと同時どうじに、熊くま城じょうは二、三にさん歩ほ進すすんでいって、円まるい灯あかりで前方ぜんぽうを一いちの字じに掃はいた。すると、その中なかに幾いくつか石棺せっかんの姿すがたが明滅めいめつして、明あきらかにこの一劃いっかくが、算哲さんてつの墓𥥔クリプトに相違そういないことが分わかった。三さん人にんは切きれ切ぎれに音おと高たかい呼吸こきゅうを始はじめた。いつぞやレヴェズが法水ほうすいに云いった、地精よ、いそしめコボルト・ジッヒ・ミューエン――の解釈かいしゃくが、今いまや幻まぼろしから現実げんじつに移うつされようとしている。しかも、スリッパの跡あとは、中央ちゅうおうにあってひときわ巨大きょだいな、算哲さんてつの棺台かんだいを目めがけて、一いち文字もじに続つづいているのだ。その蓋ふたには、軽けい鉄てつで作つくられた守護しゅご神聖セントゲオルヒが横よこたわっていて、それは軽かるく擡もたげられた。恐おそらく、その時とき三さん人にんの心中しんじゅうには……算哲さんてつの棺台かんだいのみに脚あしがなくて、それが大理だいり石せきの石積いしつみで作つくられていることから、たしか棺かん中ちゅうにはファウスト博士はかせの姿すがたはなくて、そこからまた、地下ちかに続つづく新あたらしい坑道こうどうが設もうけられているように思おもわれていた。

ところが、蓋ふたが擡もたげられて、円まるい光ひかりがサッと差さし入いれられた時とき――思おもわず三さん人にんは、慄然りつぜんとしたものを感かんじて、跳とび退のいた。見みよその中なかには、異形いぎょうな骸骨がいこつが横よこたわっているではないか。静しずか臥ふしているはずの膝ひざが高たかく折おり曲まげられていて、両手りょうては宙ちゅうに浮うき、指ゆびは何物なにものかを掻かかんとするもののように、無残むざんな曲まげ方かたをしている。しかも、三さん人にんが跳とび退しりぞいた機はずみに、それがカサコソと鳴なって、おまけになお薄うす気味きみ悪わるいことには、肋骨ろっこつの端はしが一、二いちに本ほんポロリと欠かけ落おちて、それも灰はいのようにひしゃ潰つぶれてしまうのだった。しかし、左ひだり肋骨ろっこつには創傷そうしょうの跡あとが残のこっていて、明あきらかにそれは、算哲さんてつの遺骸いがいに相違そういないのだった。

「算哲さんてつはやはり死しんでいたのだ。すると、いったいあの指痕ゆびあとは、誰だれのものなんだろうか」と熊くま城じょうを顧かえりみて、検事けんじは唸うなるような声こえで呟つぶやいた。がその時とき、法水ほうすいの眼めに妖あやしい光ひかりが閃ひらめいたかと思おもうと、顔かおを算哲さんてつの肋骨あばらぼねに押おし付つけて、動うごかなくなってしまった。実じつに意外いがい千万せんばんにも、その胸骨きょうこつには縦たてに刻きざまれている、異様いような文字もじがあったのである。

PATERパテル! HOMOホモ SUMスム!

「父ちちよ、吾われも人ひとの子こなり――」と法水ほうすいは、その一行いっこうの羅甸ラテン文字もじを邦訳ほうやくして口誦くちずさんだが、異様いような発見はっけんはなおも続つづけられた。と云いうのは、その彫字ちょうじの縁えんに、所々ところどころ金色こんじきをした微粒びりゅうが輝かがやいているのと、もう一ひとつは、欠かけ落おちた歯はの隙すきに、たぶん小鳥ことりらしいと思おもわれる、骸骨がいこつが突つっ込こまれていることだった。法水ほうすいはその微粒びりゅうを手てに取とって、しばらく眺ながめすかしていたが、

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