← Library‹ 黒死館殺人事件 第二篇 ファウストの呪文 三、易介は挾まれて殺さるべし

ところが、法水のりみずはすぐ鼻先はなさきの拱廊そでろうかへは行いかずに、円えん廊ろうを迂回うかいして、礼拝れいはい堂どうの円蓋ドームに接せっしている鐘楼しゅろう階段かいだんの下したに立たった。そして、課員かいん全部ぜんぶをその場所ばしょに召集しょうしゅうして、まずそこを始はじめに、屋上おくじょうから壁かべ廓くるわ上じょうの堡楼ほろうにまで見張みはりを立たて、尖塔せんとう下かの鐘楼しゅろうを注視ちゅうしさせた。こうしてちょうど二に時じ三十さんじゅう分ふん、鐘鳴器カリリヨンが鳴なり終おわってからわずかに五ご分ぶんの後あとには、蟻ありも洩もらさぬ緊密きんみつな包囲ほうい形けいが作つくられたのであった。そのすべてが神速しんそくで集中しゅうちゅう的てきであり、もう事件じけんがこれで終おわりを告つげるのではないかと思おもわれたほどに、結論けつろんめいた緊張きんちょうの下したに運はこばれていったのだった。けれども、勿論もちろん法水ほうすいの脳髄のうずいを、截たち割わって見みないまでは、はたして彼かれが何事なにごとを企図きとしているのか――予測よそくを許ゆるさぬことは云いうまでもないのである。

ところで読者どくしゃ諸君しょくんは、法水ほうすいの言動げんどうが意表いひょうを超絶ちょうぜつしている点てんに気きづかれたであろう。それがはたして的中てきちゅうしているや否いなやは別べつとしても、まさに人間にんげんの限界げんかいを越こしさんばかりの飛躍ひやくだった。鐘鳴器カリリヨンの音おとを聴きいて、易えき介すけの死体したいを拱廊そでろうかの中なかに想像そうぞうしたかと思おもうと、続つづいて行動こうどうに現あらわれたものは、鐘楼しゅろうを目もくしている。しかし、その晦つごもり迷めい錯綜さくそうとしたものを、過去かこの言動げんどうに照てらしし合あわせてみると、そこに一縷いちる脈絡みゃくらくするものが発見はっけんされるのである。と云いうのは、最初さいしょ検事けんじの箇条かじょう質問しつもん書しょに答こたえた内容ないようであって、その後ご執事しつじの田郷たごう真まこと斎さいに残酷ざんこくな生理せいり拷問ごうもんを課かしてまでも、なおかつ後刻ごこくに至いたって彼かれの口くちから吐はかしめんとした、あの大おおきな逆説パラドックスの事ことであった。勿論もちろんその共きょう変法へんぽうじみた因果いんが関係かんけいは、他たの二人ふたりにも即座そくざに響ひびいていた。そして、その驚おどろくべき内容ないようが、たぶん真しん斎さいの陳述ちんじゅつを俟またずとも、この機会きかいに闡明せんめいされるのではないかと思おもわれるのだった。が、指令しれいを終おわった後あとの法水ほうすいの態度たいどは、また意外いがいだった。再ふたたび旧もとの暗くらい顔色がんしょくに帰かえって、懐疑かいぎ的てきな錯乱さくらんしたような影かげが往来おうらいを始はじめた。それから拱廊そでろうかの方ほうへ歩あゆんで行いくうちに、思おもいがけない彼かれの嘆声たんせいが、二人ふたりを驚おどろかせてしまった。

「ああ、すっかり判わからなくなってしまったよ。易えき介すけが殺ころされて犯人はんにんが鐘楼しゅろうにいるのだとすると、あれほど的確てきかくな証明しょうめいが全然ぜんぜん意味いみをなさなくなる。実じつを云いうと、僕ぼくは現在げんざい判わかっている人物じんぶつ以外いがいの一人ひとりを想像そうぞうしていたんだが、それがとんだ場所ばしょへ出現しゅつげんしてしまった。まさかに別個べっこの殺人さつじんではないだろうがね」

「それじゃ、何なんのために僕ぼく等とうは引ひっ張ぱり廻まわされたんだ?」検事けんじは憤激ふんげきの色いろを作なして叫さけんだ。「だいたい最初さいしょに君きみは、易えき介すけが拱廊きょうろうの中なかで殺ころされていると云いった。ところが、それにもかかわらず、その口くちの下もとで見当けんとう違ちがいの鐘楼しゅろうを見張みはらせる。軌道きどうがない。全然ぜんぜん無む意味いみな転換てんかんじゃないか」

「さして、驚おどろくには当あたらないさ」と法水ほうすいは歪ゆがんだ笑わらいを作つくって云いい返かえした。「それと云いうのが、鐘鳴器カリリヨンの讃詠アンセムなんだよ。演奏えんそう者しゃは誰だれだか知しらないが、しだいに音おとが衰おとろえてきて、最終さいしゅうの一節いっせつはついに演奏えんそうされなかったのだ。それに最後さいごに聞きこえた、日午ひるは――のところが、不思議ふしぎにも倍音ばいおん(ド・レミ・ファと最終さいしゅうのドを基音きおんにした、一いちオクターヴ上うえの音階おんかい)を発はっしている。ねえ、支倉はせくら君くん、これは、けだし一般いっぱん的てきな法則ほうそくじゃあるまいと思おもうよ」

「では、とりあえず君きみの評価ひょうかを承うけたまわろうかね」と熊くま城じょうが割わって入はいると、法水ほうすいの眼めに異常いじょうな光輝こうきが現あらわれた。

「それが、まさに悪夢あくむなんだ。怖おそろしい神秘しんぴじゃないか。どうして、散文さんぶん的てきに解わかる問題もんだいなもんか」と一旦いったんは狂熱きょうねつ的てきな口調くちょうだったのが、しだいに落着おちついてきて、「ところで、最初さいしょ易えき介すけが、すでにこの世よの人ひとでないとしてだ――勿論もちろん何なん秒びょうか後あとには、その厳然げんぜんたる事実じじつが判わかるだろうと思おもうが、さてそうなると、家族かぞく全部ぜんぶの数かずに一ひとつの負数ふすうが剰あまってしまうのだ。で、最初さいしょは四よん人にんの家族かぞくだが、演奏えんそうを終おわってすぐ礼拝れいはい堂どうを出でたにしても、それから鐘楼しゅろうへ来くるまでの時間じかんに余裕よゆうがない。また、真しん斎さいはあらゆる点てんで除外じょがいされていい。すると、残のこったのは伸子しんしと久我こがの鎮子ちんしになるけれども、一方いっぽう、鐘鳴器カリリヨンの音おとがパタリと止やんだのではなく、しだいに弱よわくなっていった点てんを考かんがえると、あの二人ふたりがともに鐘楼しゅろうにいたという想像そうぞうは、全然ぜんぜん当あたらないと思おもう、勿論もちろんその演奏えんそう者しゃに、何なんか異常いじょうな出来事できごとが起おこったには違ちがいないけれども、その矢先やさき、讃詠アンセムの最後さいごに聞きこえた一節いっせつが、微かすかながら倍音ばいおんを発はっしたのだ。云いうまでもなく、鐘鳴器カリリヨンの理論りろん上じょう倍音ばいおんは絶対ぜったいに不ふ可能かのうなんだよ。すると熊くま城じょう君くん、この場合ばあい鐘楼しゅろうには、一人ひとりの人間にんげんの演奏えんそう者しゃ以外いがいに、もう一人ひとり、奇蹟きせき的てきな演奏えんそうを行おこなえる化か性せいのものがいなければならない。ああ、あいつはどうして鐘楼しゅろうへ現あらわれたのだろうか?」

「それなら、何故なぜ先さきに鐘楼しゅろうを調しらべないのだね?」と熊くま城じょうが詰なじり掛かかると、法水のりみずは、幽ゆうに声こえを慄ふるわせて、

「実じつは、あの倍音ばいおんに陥穽かんせいがあるような気きがしたからなんだ。なんだか微妙びみょうな自己じこ曝露ばくろのような気きがしたので、あれを僕ぼくの神経しんけいだけに伝つたえたのにも、なんとなく奸計たくらみがありそうに思おもわれたからなんだよ。第だい一いち犯人はんにんが、それほど、犯行はんこうを急いそがねばならぬ理由りゆうが判わからんじゃないか。それに熊くま城じょう君くん、僕ぼく等とうが鐘楼しゅろうでまごまごしている間あいだ、階下かいかの四よん人にんはほとんど無む防禦ぼうぎょなんだぜ。だいたいこんなダダっ広ひろい邸やしきの中なかなんてものは、どこもかしこも隙すきだらけなんだ。どうにも防ふせぎようがない。だから、既往きおうのものは致いたし方かたないにしても、新あたらしい犠牲ぎせい者しゃだけは何なんとかして防ふせぎ止とめたいと思おもったからなんだ。つまり、僕ぼくを苦くるしめている二ふたつの観念かんねんに、各々それぞれ対策たいさくを講こうじておいたという訳わけさ」

「フム、またお化ばけか」と検事けんじは下唇したくちびるを噛かみしめて呟つぶやいた。「すべてが度外どはずれて気違きちがいじみている。まるで犯人はんにんは風かぜみたいに、僕ぼく等とうの前まえを通とおり過すぎては鼻はなを明あかしているんだ。ねえ法水ほうすい君くん、この超ちょう自然しぜんはいったいどうなるんだい。ああ徐々だんだんに、鎮子ちんしの説せつの方ほうへまとまってゆくようじゃないか」

未いまだ現実げんじつに接せっしていないにもかかわらず、すべての事態じたいが、明白めいはくに集束しゅうそくして行いく方向ほうこうを指さし示しめしている。やがて、開あけ放はなたれた拱廊そでろうかの入口いりぐちが眼前がんぜんに現あらわれたが、突当つきあたりの円えん廊ろうに開ひらいている片方かたほうの扉とびらが、いつの間あいだにか鎖くさりじられたとみえて、内部なかは暗黒あんこくに近ちかかった。その冷れいやりと触ふれてくる空気くうきの中なかで、微かすかに血ちの臭気しゅうきが匂におってきた。それが、捜査そうさ開始かいし後ご、未まだ四よん時間じかんにすぎないのである。それにもかかわらず、法ほう水すい等とうが暗中あんちゅう摸索もさくを続つづけているうちに、その間かん犯人はんにんは隠密おんみつな跳梁ちょうりょうを行おこない、すでに第だい二にの事件じけんを敢行かんこうしているのだ。

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