← Library‹ 正義と微笑

わがあしかよわく  けわしき山路やまじ

のぼりがたくとも  ふもとにありて

たのしきしらべに  たえずうたわば

ききていさみたつ  ひとこそあらめ

さんびか第だい百ひゃく五十ごじゅう九きゅう

四よん月がつ十じゅう六ろく日にち。金曜きんよう日ひ。

すごい風かぜだ。東京とうきょうの春はるは、からっ風かぜが強つよくて不ふ愉快ゆかいだ。埃ほこりが部屋へやの中なかにまで襲来しゅうらいし、机つくえの上うえはざらざら、頬ほっぺたも埃ほこりだらけ、いやな気持きもちだ。これを書かき終おえたら、風呂ふろへはいろう。背中せなかにまで埃ほこりが忍しのび込こんでいるような気持きもちで、やり切きれない。

僕ぼくは、きょうから日記にっきをつける。このごろの自分じぶんの一いち日にち一日ついたちが、なんだか、とても重大じゅうだいなもののような気きがして来きたからである。人間にんげんは、十じゅう六ろく歳さいと二十歳はたちまでの間あいだにその人格じんかくがつくられると、ルソオだか誰だれだか言いっていたそうだが、或あるいは、そんなものかも知しれない。僕ぼくも、すでに十じゅう六ろく歳さいである。十じゅう六ろくになったら、僕ぼくという人間にんげんは、カタリという音おとをたてて変かわってしまった。他ほかの人ひとには、気きが附つくまい。謂いわば、形而上けいじじょうの変化へんかなのだから。じっさい、十じゅう六ろくになったら、山やまも、海うみも、花はなも、街まちの人ひとも、青空あおぞらも、まるっきり違ちがって見みえて来きたのだ。悪あくの存在そんざいも、ちょっとわかった。この世よには、困難こんなんな問題もんだいが、実じつに、おびただしく在あるのだという事ことも、ぼんやり予感よかん出来できるようになったのだ。だから僕ぼくは、このごろ毎日まいにち、不機嫌ふきげんなんだ。ひどく怒おこりっぽくなった。智慧ちえの実じつを食たべると、人間にんげんは、笑わらいを失うしなうものらしい。以前いぜんは、お茶目ちゃめで、わざと間抜まぬけた失敗しっぱいなんかして見みせて家中かちゅうの人ひとたちを笑わらわせて得意とくいだったのだが、このごろ、そんな、とぼけたお道化どうけが、ひどく馬鹿ばからしくなって来きた。お道化どうけなんてのは、卑屈ひくつな男子だんしのする事ことだ。お道化どうけを演えんじて、人ひとに可愛かわいがられる、あの淋さびしさ、たまらない。空虚くうきょだ。人間にんげんは、もっと真面目まじめに生いきなければならぬものである。男子だんしは、人ひとに可愛かわいがられようと思おもったりしては、いけない。男子だんしは、人ひとに「尊敬そんけい」されるように、努力どりょくすべきものである。このごろ、僕ぼくの表情ひょうじょうは、異様いように深刻しんこくらしい。深刻しんこくすぎて、とうとう昨夜さくや、兄あにさんから忠告ちゅうこくを受うけた。

「進すすむは、ばかに重厚じゅうこうになったじゃないか。急きゅうに老ふけたね。」と晩ばんごはんのあとで、兄あにさんが笑わらいながら言いった。僕ぼくは、深ふかく考かんがえてから、答こたえた。

「むずかしい人生じんせい問題もんだいが、たくさんあるんだ。僕ぼくは、これから戦たたかって行いくんです。たとえば、学校がっこうの試験しけん制度せいどなどに就ついて、――」

と言いいかけたら、兄あにさんは噴ふき出だした。

「わかったよ。でも、そんなに毎日まいにち、怖こわい顔かおをして力りきんでいなくてもいいじゃないか。このごろ少すこし痩やせたようだぜ。あとで、マタイの六ろく章しょうを読よんであげよう。」

いい兄あにさんなのだ。帝大ていだいの英文えいぶん科かに、四よん年ねん前まえにはいったのだけれども、まだ卒業そつぎょうしない。いちど落第らくだいしたわけなんだが、兄あにさんは平気へいきだ。頭あたまが悪わるくて落第らくだいしたんじゃないから、決けっして兄あにさんの恥辱ちじょくではないと僕ぼくも思おもう。兄あにさんは、正義せいぎの心こころから落第らくだいしたのだ。きっとそうだ。兄あにさんには、学校がっこうなんか、つまらなくて仕様しようが無ないのだろう。毎晩まいばん、徹夜てつやで小説しょうせつを書かいている。

ゆうべ兄あにさんから、マタイ六ろく章しょうの十じゅう六ろく節せつ以下いかを読よんでもらった。それは、重大じゅうだいな思想しそうであった。僕ぼくは自分じぶんの現在げんざいの未熟みじゅくが恥はずかしくて、頬ほおが赤あかくなった。忘わすれぬように、その教おしえをここに大おおきく書かき写うつして置おこう。

「なんじら断食だんじきするとき、偽善ぎぜん者しゃのごとく、悲かなしき面容おももちをすな。彼かれらは断食だんじきすることを人ひとに顕あらわさんとて、その顔色かおいろを害そこなうなり。誠まことに汝なんじらに告つぐ、彼かれらは既すでにその報むくいを得えたり。なんじは断食だんじきするとき、頭かしらに油あぶらをぬり、顔かおを洗あらえ。これ断食だんじきすることの人ひとに顕あらわれずして、隠かくれたるに在います汝なんじの父ちちにあらわれん為ためなり。さらば隠かくれたるに見みたまう汝なんじの父ちちは報むくい給たまわん。」

微妙びみょうな思想しそうだ。これに較くらべると、僕ぼくは、話はなしにも何なんもならぬくらいに単純たんじゅんだった。おっちょこちょいの、出でしゃばりだった。反省はんせい、反省はんせい。

「微笑ほほえもて正義せいぎを為なせ!」

いいモットオが出来できた。紙かみに書かいて、壁かべに張はって置おこうかしら。ああ、いけねえ。すぐそれだ。「人ひとに顕あらわさんとて、」壁かべに張はろうとしています。僕ぼくは、ひどい偽善ぎぜん者しゃなのかも知しれん。よくよく気きをつけなければならぬ。十じゅう六ろくから二十にじゅうまでの間あいだに人格じんかくが決定けっていされるという説せつもある事ことだ。本当ほんとうに、いまは大事だいじな時ときなのである。

一ひとつには、わが混沌こんとんの思想しそう統一とういつの手助てだすけになるように、また一ひとつには、わが日常にちじょう生活せいかつの反省はんせいの資料しりょうにもなるように、また一ひとつには、わが青春せいしゅんのなつかしい記録きろくとして、十じゅう年ねん後ご、二十にじゅう年ねん後ご、僕ぼくが立派りっぱな口鬚くちひげでもひねりながら、こっそり読よんでほくそ笑えむの図ずなどをあてにしながら、きょうから日記にっきをつけましょう。

けれども、あまり固かたくなって、「重厚じゅうこう」になりすぎてもいけない。

微笑ほほえもて正義せいぎを為なせ! 爽快そうかいな言葉ことばだ。

以上いじょうが僕ぼくの日記にっきの開巻かいかん第だい一いちペエジ。

それからきょうの学校がっこうの出来事できごとなどを、少すこし書かこうと思おもっていたのだが、ああもう、これはひどい埃ほこりです。口くちの中なかまで、ざらざらして来きた。とても、たまらぬ。風呂ふろへはいろう。いずれまた、ゆっくり、などと書かいて、ふと、なあんだ誰だれもお前まえを相手あいてにしちゃいないんだ、と思おもって、がっかりした。誰だれも読よんでくれない日記にっきなんだもの、気取きどって書かいてみたって、淋さびしさが残のこるばかりだ。智慧ちえの実じつは、怒いかりと、それから、孤独こどくを教おしえる。

きょう学校がっこうの帰かえり、木村きむらと一緒いっしょにアズキを食くいに行いって、いや、これは、あす書かこう。木村きむらも孤独こどくな男おとこだ。

四よん月がつ十じゅう七なな日にち。土曜どよう日ひ。

Click a word · hold for the whole sentence 0%