わが輩今日慶応義塾にありて明治七年一月一日に逢えり。この年号はわが国独立の年号なり、この塾はわが社中独立の塾なり。独立の塾に居て独立の新年に逢うを得るはまた悦ばしからずや。けだしこれを得て悦ぶべきものは、これを失えば悲しみとなるべし。ゆえに今日悦ぶの時において他日悲しむの時あるを忘るべからず。
古来わが国治乱の沿革により政府はしばしば改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失わざりし所以は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃、外国に関することなかりしをもってなり。外国に関係あらざれば、治も一国内の治なり、乱も一国内の乱なり、またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、いまだ他に対して鋒を争いしものにあらず。これを譬えば、小児の家内に育せられていまだ外人に接せざる者のごとし。その薄弱なることもとより知るべきなり。
今や外国の交際にわかに開け、国内の事務一としてこれに関せざるものなし。事々物々みな外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、古来わが国人の力にてわずかに達し得たる文明の有様をもって、西洋諸国の有様に比すれば、ただに三舎を譲るのみならず、これに倣わんとしてあるいは望洋の歎を免れず、ますますわが独立の薄弱なるを覚ゆるなり。
国の文明は形をもって評すべからず。学校と言い、工業と言い、陸軍と言い、海軍と言うも、みなこれ文明の形のみ。この形を作るは難きにあらず、ただ銭をもって買うべしといえども、ここにまた無形の一物あり、この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、売買すべからず、貸借すべからず、あまねく国人の間に位してその作用はなはだ強く、この物あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のものなり。けだしその物とはなんぞや。いわく、人民独立の気力、すなわちこれなり。
近来わが政府、しきりに学校を建て工業を勧め、海陸軍の制も大いに面目を改め、文明の形、ほぼ備わりたれども、人民いまだ外国へ対してわが独立を固くしともに先を争わんとする者なし。ただにこれと争わざるのみならず、たまたまかの事情を知るべき機会を得たる人にても、いまだこれを詳らかにせずしてまずこれを恐るるのみ。他に対してすでに恐怖の心をいだくときは、たとい、我にいささか得るところあるもこれを外に施すに由なし。畢竟、人民に独立の気力あらざれば、かの文明の形もついに無用の長物に属するなり。
そもそもわが国の人民に気力なきその原因を尋ぬるに、数千百年の古より全国の権柄を政府の一手に握り、武備・文学より工業・商売に至るまで、人間些末の事務といえども政府の関わらざるものなく、人民はただ政府の嗾するところに向かいて奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるがごとし。すでに無宿の食客となりてわずかにこの国中に寄食するを得るものなれば、国を視ること逆旅のごとく、かつて深切の意を尽くすことなく、またその気力を見わすべき機会をも得ずして、ついに全国の気風を養いなしたるなり。
しかのみならず今日に至りては、なおこれよりはなはだしきことあり。おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞する者はあるべからざるの理なり。今、日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に赴けり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔、足利・徳川の政府においては民を御するにただ力を用い、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服するにあらず、ただこれを恐れて服従の容をなすのみ。今の政府はただ力あるのみならず、その智恵すこぶる敏捷にして、かつて事の機に後るることなし。一新の後、いまだ十年ならずして、学校・兵備の改革あり、鉄道・電信の設あり、その他石室を作り、鉄橋を架する等、その決断の神速なるとその成功の美なるとに至りては、実に人の耳目を驚かすに足れり。しかるにこの学校・兵備は、政府の学校・兵備なり、鉄道・電信も、政府の鉄道・電信なり、石室・鉄橋も、政府の石室・鉄橋なり。人民はたしてなんの観をなすべきや。人みな言わん、「政府はただに力あるのみならず兼ねてまた智あり、わが輩の遠く及ぶところにあらず、政府は雲上にありて国を司り、わが輩は下にいてこれに依頼するのみ、国を患うるは上の任なり、下賤の関わるところにあらず」と。概してこれを言えば、古の政府は力を用い、今の政府は力と智とを用ゆ。古の政府は民を御するの術に乏しく、今の政府はこれに富めり。古の政府は民の力を挫き、今の政府はその心を奪う。古の政府は民の外を犯し、今の政府はその内を制す。古の民は政府を視ること鬼のごとくし、今の民はこれを視ること神のごとくす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。この勢いに乗じて事の轍を改むることなくば、政府にて一事を起こせば文明の形はしだいに具わるに似たれども、人民にはまさしく一段の気力を失い文明の精神はしだいに衰うるのみ。
いま政府に常備の兵隊あり、人民これを認めて護国の兵となし、その盛んなるを祝して意気揚々たるべきはずなるに、かえってこれを威民の具とみなして恐怖するのみ。いま政府に学校、鉄道あり、人民これを一国文明の徴として誇るべきはずなるに、かえってこれを政府の私恩に帰し、ますますその賜に依頼するの心を増すのみ。人民すでに自国の政府に対して萎縮震慄の心をいだけり、豈外国に競うて文明を争うに遑あらんや。ゆえにいわく、人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、かえって民心を退縮せしむるの具となるべきなり。