← Library‹ 学問のすすめ 七編 国民の職分を論ず

第だい六ろく編へんに国法こくほうの貴とうときを論ろんじ、「国民こくみんたる者ものは一人ひとりにて二人ふたり前まえの役目やくめを勤きんむるものなり」と言いえり。今いままたこの役目やくめ職分しょくぶんの事ことにつき、なおその詳つまびらかなるを説ときて六ろく編へんの補遺ほいとなすこと左ひだりのごとし。

およそ国民こくみんたる者ものは一人ひとりの身みにして二にヵ条かじょうの勤つとめあり。その一いちの勤つとめは政府せいふの下したに立たつ一人ひとりの民たみたるところにてこれを論ろんず、すなわち客きゃくのつもりなり。その二にの勤つとめは国くに中ちゅうの人民じんみん申もうし合あわせて、一いち国こくと名なづくる会社かいしゃを結むすび、社しゃの法ほうを立たててこれを施ほどこし行おこなうことなり、すなわち主人しゅじんのつもりなり。譬たとえばここに百ひゃく人にんの町人ちょうにんありてなんとかいう商社しょうしゃを結むすび、社中しゃちゅう相談そうだんのうえにて社しゃの法ほうを立たて、これを施ほどこし行おこなうところを見みれば、百ひゃく人にんの人ひとはその商社しょうしゃの主人しゅじんなり。すでにこの法ほうを定さだめて、社中しゃちゅうの人ひといずれもこれに従したがい違背いはいせざるところを見みれば、百ひゃく人にんの人ひとは商社しょうしゃの客きゃくなり。ゆえに一いち国こくはなお商社しょうしゃのごとく、人民じんみんはなお社中しゃちゅうの人ひとのごとく、一人ひとりにて主客しゅきゃく二に様ようの職しょくを勤きんむべき者ものなり。

第だい一いち 客きゃくの身分みぶんをもって論ろんずれば、一いち国こくの人民じんみんは国法こくほうを重おもんじ人間にんげん同等どうとうの趣意しゅいを忘わするべからず。他人たにんの来きたりてわが権けん義よしを害がいするを欲ほっせざれば、われもまた他人たにんの権けん義よしを妨ぐべからず。わが楽たのしむところのものは他人たにんもまたこれを楽たのしむがゆえに、他人たにんの楽たのしみを奪うばいてわが楽たのしみを増ますべからず、他人たにんの物ものを盗ぬすんでわが富とみとなすべからず、人ひとを殺ころすべからず、人ひとを讒ざんすべからず、まさしく国法こくほうを守まもりて彼我ひが同等どうとうの大義たいぎに従したがうべし。また国くにの政体せいたいによりて定さだまりし法ほうは、たといあるいは愚おろかなるも、あるいは不便ふべんなるも、みだりにこれを破やぶるの理りなし。師いくさを起おこすも外国がいこくと条約じょうやくを結むすぶも政府せいふの権けんにあることにて、この権けんはもと約束やくそくにて人民じんみんより政府せいふへ与あたえたるものなれば、政府せいふの政せいに関係かんけいなき者ものはけっしてそのことを評議ひょうぎすべからず。

人民じんみんもしこの趣意しゅいを忘わすれて、政府せいふの処置しょちにつきわが意いに叶かなわずとて恣ほしいままに議論ぎろんを起おこし、あるいは条約じょうやくを破やぶらんとし、あるいは師いくさを起おこさんとし、はなはだしきは一騎いっき先駆さきがけ、自刃じじんを携たずさえて飛とび出だすなどの挙動きょどうに及およぶことあらば、国くにの政まつりごとは一日ついたちも保たもつべからず。これを譬たとえばかの百ひゃく人にんの商社しょうしゃ兼かねて申もうし合あわせのうえ、社中しゃちゅうの人物じんぶつ十じゅう人にんを選えらんで会社かいしゃの支配しはい人にんと定さだめ置おき、その支配しはい人にんの処置しょちにつき、残のこり九十きゅうじゅう人にんの者ものどもわが意いに叶かなわずとて銘々めいめいに商法しょうほうを議ぎし、支配しはい人にんは酒さけを売うらんとすれば九十きゅうじゅう人にんの者ものは牡丹餅ぼたもちを仕入しいれんとし、その評議ひょうぎ区々くくにて、はなはだしきは一いち了簡りょうけんをもって私わたくしに牡丹餅ぼたもちの取引とりひきを始はじめ、商社しょうしゃの法ほうに背そむきて他人たにんと争論そうろんに及およぶなどのことあらば、会社かいしゃの商売しょうばいは一日ついたちも行おこなわるべからず。ついにその商社しょうしゃの分散ぶんさんするに至いたらば、その損亡そんもうは商社しょうしゃ百ひゃく人にん一様いちようの引受ひきうけなるべし。愚ぐもまたはなはだしきものと言ゆうべし。ゆえに国法こくほうは不正ふせい不便ふべんなりといえども、その不正ふせい不便ふべんを口実こうじつに設もうけてこれを破やぶるの理りなし。もし事実じじつにおいて不正ふせい不便ふべんの箇条かじょうあらば、一いち国こくの支配しはい人にんたる政府せいふに説とき勧すすめて静しずかにその法ほうを改あらためしむべし。政府せいふもしわが説せつに従したがわずんば、かつ力ちからを尽つくしかつ堪忍かんにんして時節じせつを待まつべきなり。

第だい二に 主人しゅじんの身分みぶんをもって論ろんずれば、一いち国こくの人民じんみんはすなわち政府せいふなり。そのゆえは一いち国こく中ちゅうの人民じんみん悉皆しっかい政せいをなすべきものにあらざれば、政府せいふなるものを設もうけてこれに国政こくせいを任まかせ、人民じんみんの名代なしろとして事務じむを取とり扱あつかわしむべしとの約束やくそくを定さだめたればなり。ゆえに人民じんみんは家元いえもとなり、また主人しゅじんなり。政府せいふは名代みょうだい人にんなり、また支配しはい人にんなり。譬たとえば商社しょうしゃ百ひゃく人にんのうちより選えらばれたる十じゅう人にんの支配しはい人にんは政府せいふにて、残のこり九十きゅうじゅう人にんの社中しゃちゅうは人民じんみんなるがごとし。この九十きゅうじゅう人にんの社中しゃちゅうは自分じぶんにて事務じむを取とり扱あつかうことなしといえども、己おのが代人だいにんとして十じゅう人にんの者ものへ事ことを任まかせたるゆえ、己おのれの身分みぶんを尋たずぬればこれを商社しょうしゃの主人しゅじんと言いわざるを得えず。またかの十じゅう人にんの支配しはい人にんは現在げんざいの事ことを取とり扱あつかうといえども、もと社中しゃちゅうの頼たのみを受うけその意いに従ついて事ことをなすべしと約束やくそくしたる者ものなれば、その実じつは私わたくしにあらず、商社しょうしゃの公務こうむを勤きんむる者ものなり。いま世間せけんにて政府せいふに関かかわることを公務こうむと言いい公用こうようと言ゆうも、その字じのよって来きたるところを尋たずぬれば、政府せいふの事ことは役人やくにんの私事しじにあらず、国民こくみんの名代なしろとなりて一いち国こくを支配しはいする公おおやけの事務じむという義ぎなり。

右みぎの次第しだいをもって、政府せいふたるものは人民じんみんの委任いにんを引ひき受うけ、その約束やくそくに従ついて一いち国こくの人ひとをして貴賤きせん上下じょうげの別べつなくいずれもその権けん義よしを逞たくましゅうせしめざるべからず、法ほうを正ただしゅうし罰ばつを厳げんにして一いち点てんの私曲しきょくあるべからず。今いまここに一群いちぐんの賊徒ぞくと来きたりて人ひとの家いえに乱入らんにゅうするとき、政府せいふこれを見みてこれを制せいすること能あたわざれば政府せいふもその賊ぞくの徒党ととうと言いいて可かなり。政府せいふもし国法こくほうの趣意しゅいを達たっすること能あたわずして人民じんみんに損亡そんもうを蒙こうむらしむることあらば、その高たかの多少たしょうを論ろんぜずその事ことの新旧しんきゅうを問とわず、必かならずこれを償つぐなわざるべからず。譬たとえば役人やくにんの不ふ行届ゆきとどきにて国内こくないの人ひとか、または外国がいこく人にんへ損亡そんもうをかけ、三さん万まん円えんの償金しょうきんを払はらうことあらん。政府せいふにはもとより金かねのあるべき理りなければ、その償金しょうきんの出いずるところはかならず人民じんみんなり。この三さん万まん円えんを日本にっぽん国こく中ちゅうおよそ三千さんぜん万まん人にんの人口じんこうに割わり付つくれば、一人前いちにんまえ十じゅう文ぶんずつに当あたる。役人やくにんの不ふ行届ゆきとどき十じゅう度どを重おもぬれば、人民じんみんの出金しゅっきん一人ひとり前ぜん百ひゃく文ぶんに当あたり、家内かない五ご人にんの家いえなれば五百ごひゃく文ぶんなり。田舎いなかの小しょう百姓ひゃくしょうに五百ごひゃく文ぶんの銭ぜにあれば、妻子さいし打うち寄より、山家さんか相応そうおうの馳走ちそうを設もうけて一夕いっせきの愉快ゆかいを尽つくすべきはずなるに、ただ役人やくにんの不ふ行届ゆきとどきのみにより、全ぜん日本にっぽん国こく中ちゅう無辜むこの小しょう民みんをしてその無上むじょうの歓楽かんらくを失うしなわしむるは実じつに気きの毒どくの至いたりならずや。人民じんみんの身みとしてはかかる馬鹿ばからしき金かねを出でだすべき理りなきに似にたれども、如何いかんせん、その人民じんみんは国くにの家元いえもと主人しゅじんにて、最初さいしょより政府せいふへこの国くにを任まかせて事務じむを取とり扱あつかわしむるの約束やくそくをなし、損得そんとくともに家元いえもとにて引ひき受うけくべきはずのものなれば、ただ金かねを失うしないしときのみに当あたりて、役人やくにんの不調ふちょう法ほうをかれこれと議論ぎろんすべからず。ゆえに人民じんみんたる者ものは平生へいぜいよりよく心こころを用もちい、政府せいふの処置しょちを見みて不ふ安心あんしんと思おもうことあらば、深切しんせつにこれを告つげ、遠慮えんりょなく穏おだやかに論ろんずべきなり。

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