近来ひそかに識者の言を聞くに、「今後日本の盛衰は人智をもって明らかに計り難しといえども、つまり、その独立を失うの患いはなかるべしや、方今目撃するところの勢いによりてしだいに進歩せば、必ず文明盛大の域に至るべしや」と言いて、これを問う者あり。あるいは「その独立の保つべきと否とは、今より二、三十年を過ぎざれば明らかにこれを期すること難かるべし」と言いて、これを疑う者あり。あるいははなはだしくこの国を蔑視したる外国人の説に従えば、「とても日本の独立は危し」と言いて、これを難ずる者あり。もとより人の説を聞いてにわかにこれを信じわが望みを失するにはあらざれども、畢竟この諸説はわが独立の保つべきと否とについての疑問なり。事に疑いあらざれば問いのよって起こるべき理なし。今試みに英国に行き、「ブリテンの独立保つべきや否や」と言いてこれを問わば、人みな笑いて答うる者なかるべし。その答うる者なきはなんぞや、これを疑わざればなり。しからばすなわちわが国文明の有様、今日をもって昨日に比すればあるいは進歩せしに似たることあるも、その結局に至りてはいまだ一点の疑いあるを免れず。いやしくもこの国に生まれて日本人の名ある者は、これに寒心せざるを得んや。今わが輩もこの国に生まれて日本人の名あり、すでにその名あればまたおのおのその分を明らかにして尽くすところなかるべからず。もとより政の字の義に限りたることをなすは政府の任なれども、人間の事務には政府の関わるべからざるものもまた多し。ゆえに一国の全体を整理するには、人民と政府と両立してはじめてその成功を得べきものなれば、わが輩は国民たるの分限を尽くし、政府は政府たるの分限を尽くし、互いに相助けもって全国の独立を維持せざるべからず。
すべて物を維持するには力の平均なかるべからず。譬えば人身のごとし。これを健康に保たんとするには、飲食なかるべからず、大気、光線なかるべからず、寒熱、痛痒、外より刺衝して内よりこれに応じ、もって一身の働きを調和するなり。今にわかにこの外物の刺衝を去り、ただ生力の働くところにまかしてこれを放頓することあらば、人身の健康は一日も保つべからず。国もまた然り。政は一国の働きなり。この働きを調和して国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外に人民の力あり、内外相応じてその力を平均せざるべからず。ゆえに政府はなお生力のごとく、人民はなお外物の刺衝のごとし。今にわかにこの刺衝を去り、ただ政府の働くところにまかしてこれを放頓することあらば、国の独立は一日も保つべからず。いやしくも人身窮理の義を明らかにし、その定則をもって一国経済の議論に施すことを知る者は、この理を疑うことなかるべし。
方今わが国の形勢を察し、その外国に及ばざるものを挙ぐれば、いわく学術、いわく商売、いわく法律、これなり。世の文明はもっぱらこの三者に関し、三者挙がらざれば国の独立を得ざること識者を俟たずして明らかなり。しかるにいまわが国において一もその体をなしたるものなし。
政府一新の時より在官の人物、力を尽くさざるにあらず、その才力また拙劣なるにあらずといえども、事を行なうに当たり如何ともすべからざるの原因ありて、意のごとくならざるもの多し。その原因とは人民の無知文盲すなわちこれなり。政府すでにその原因のあるところを知り、しきりに学術を勧め、法律を議し、商法を立つるの道を示す等、あるいは人民に説諭し、あるいはみずから先例を示し、百方その術を尽くすといえども、今日に至るまでいまだ実効の挙がるを見ず、政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ。あるいはわずかに進歩せしことあるも、これがため労するところの力と費やすところの金とに比すれば、その奏功見るに足るもの少なきはなんぞや。けだし一国の文明はひとり政府の力をもって進むべきものにあらざるなり。
人あるいはいわく、「政府はしばらくこの愚民を御するに一時の術策を用い、その智徳の進むを待ちて後にみずから文明の域に入らしむるなり」と。この説は言うべくして行なうべからず。わが全国の人民数千百年専制の政治に窘しめられ、人々その心に思うところを発露すること能わず、欺きて安全を偸み、詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払いて尽きたり、豈国を思うに遑あらんや。政府はこの悪弊を矯めんとしてますます虚威を張り、これを嚇しこれを叱し、強いて誠実に移らしめんとしてかえってますます不信に導き、その事情あたかも火をもって火を救うがごとし。ついに上下の間隔絶しておのおの一種無形の気風をなせり。その気風とはいわゆるスピリットなるものにて、にわかにこれを動かすべからず。近日に至り政府の外形は大いに改まりたれども、その専制抑圧の気風は今なお存せり。人民もやや権利を得るに似たれども、その卑屈不信の気風は依然として旧に異ならず。この気風は無形無体にして、にわかに一個の人につき一場の事を見て名状すべきものにあらざれども、その実の力ははなはだ強くして、世間全体の事跡に顕わるるを見れば、明らかにその虚にあらざるを知るべし。