幼児用のショート・パンツが見るからに小さい。その小ささを、可愛い、と形容してもいい。写真のなかの三歳の男のこが、そのショート・パンツを身につけて、砂浜に立っている。男のこはTシャツを着ている。体にぴったりしたTシャツだ。ぜんたいにわたって、規則的に横の縞模様だ。そのスナップ写真は白黒のプリントだから、たとえば縞模様の縞がなに色なのか、わからない。
「横縞の色は赤」と、アルバムの台紙に貼ってあるその写真のすぐそばに、英語でひと言、書き添えてある。台紙は黒だ。書き添えた文字の色は色鉛筆の白だ。僕の父親が書いた。僕がまだ三歳だった頃に。貼ってあるスナップ写真のなかの男のこは、この僕だ。
三歳の僕は海を背にして立っている。鎌倉の海だ。僕にとって初めて見る海だった。写真のなかの僕は、明らかにべそをかいている。いまにも泣き出しそうな顔だ。あるいは、ついさっきまで泣いていて、ようやく泣きやんだ顔のように見える。その僕からうしろへ十数メートルのところが、波打ち際だ。
鎌倉には父親が借りていた夏の家があった。三歳のとき僕はその家へ初めていった。そして初めて海というものを見た。曇った日だった。海は灰色を混ぜた重い緑色をしていた。僕の嫌いな野菜ジュースにそっくりの色だった。こんなにたくさん野菜ジュースがある、というのが海を初めて見た僕の感想だ。
写真のなかの僕は裸足で海岸に立っている。誰かに手を引かれて、小さなショート・パンツに小さな赤い横縞のTシャツを着た僕は、砂浜を波打ち際に向けて歩いたのだ。そして僕は泣き出した。波が怖い、と言って僕は泣いた。そのとき見た波の記憶が、頭のなかの記憶空間のずっと後方に、いまもかすかに残っている。
曇ってはいるけれどごく平凡な夏の日に、波打ち際に寄せて来る、ごくおだやかな砕け波のいちばん最後の部分だ。寄せて来るその波は、僕の視界を左右いっぱいにふさいで、横一列に立ち上がっていた。三歳の子供の視点から見ると、せいぜい二、三十センチの波でも、高くて大きなものに見えたはずだ。それにその波は横に長くつながって、自分に向けて動いて来る。それまで聞いたことのない怖い音を立ててもいた。波打ち際へ波が寄せて来るときの、あの音だ。
三歳の僕は立ちどまった。手を引かれても動こうとはしなかった。そして泣き出した。海が怖いと言って僕は泣いた。父親がいっしょにいたことは記憶している。ほかに誰がいたのか、僕は知らない。写真もない。アルバムに貼ってあるのは、べそをかいている僕の写真一枚だけだ。
鎌倉へいくまえに、すでに僕はかなり強くそのことを嫌がった、という話を僕は聞いたことがある。鎌倉の海へいくのだと言って、父親は僕に地図を見せた。いま住んでいる家があるのは東京のここで、鎌倉は海のすぐ近くのここだよと、父親は地図のなかの鎌倉を指さした。この青いところはみんな海なんだ、と父親はつけ加えた。地図の上で見ると、鎌倉というところは、その大きな海のすぐそばだった。そんなに海のそばまでいったら海に落ちるから嫌だ、と僕は言ったそうだ。
鎌倉の海岸でべそをかいている僕の写真は、白い縁に囲まれた一辺が五センチほどの正方形だ。経過していく時間のなかで、その白黒のプリントは、ぜんたいがかすかに黄ばみ始めている。この写真が貼ってあるページから何ページかあとに、海岸にいる僕の写真がもう一枚、貼ってある。この写真のなかの僕は、十三歳の夏の僕だ。
これも白黒のスナップ・ショットだ。おなじく正方形で、さきほどのプリントにくらべると、ふたまわりほど大きい。白い縁に囲まれているが、縁の外側は不規則な波のようなかたちをしている。ぎざぎざでもなければゆったりでもない、その微妙な中間の波型だ。
海岸は晴天の日のワイキキだ。僕がひとりで写っている。十三歳の僕は水泳トランクスをはき、身長の二倍もありそうな波乗りのボードの一端を砂に立て、自分に向けて傾いて来るそのボードを、両腕をのばして支えている。その様子を横から撮った写真だ。僕は写真機に顔を向けて笑っている。
きみは今日は波乗りをするのだと父親は言い、自動車に僕を乗せてワイキキへ向かった。父親が子供の頃から知っていたアーネスト・フジシゲという二世の男性の自宅に立ち寄った。アーネストもいっしょにワイキキへいった。ほかにも誰かいたような気がするけれど、僕は記憶していない。
晴天と言うよりもかんかん照りのワイキキ・ビーチは、裸足の足に砂が強烈に熱かった。アーネストがロング・ボードを一本、どこからか借りて来た。重いボードだった。波打ち際へ持っていき、浮かべたボードに腹ばいになり、アーネストは両腕によるパドリングの要領を僕に教えてくれた。
代わって僕が腹ばいとなり、アーネストと父親にボードを押してもらい、僕は覚えたばかりのパドリングの真似事をしながら、沖へ出ていった。沖と言っても、あの遠浅のリーフの存分に内側だ。リーフの内側の浅瀬を、砕け波の最後の部分が、ワイキキの海岸に向かっていく。その波に乗って、と言うよりも表面にくっついて、岸まで運んでいってもらうだけだ。
僕が腹ばいになっているボードを、アーネストと父親がタイミングを取り、力いっぱいに押し出してくれた。ボードは波に乗った。効果のほとんどないパドリングを僕は懸命に続けた。砕け波の最後の部分とは言え、それなりの速度を持っていた。その速度で、海のほうから海岸に向けて進んでいくのは、たいへん爽快な、しかも初めての体験だった。波打ち際のすぐ近くまで、僕は到達した。
ボードを降りて向きを変え、腹ばいになり、僕は沖に向けてパドリングをおこなった。いっこうに前へ進まない様子に、アーネストと父親が波の向こうで笑っていた。泳いで来た彼らが、うしろからボードを押してくれた。さきほどとおなじ位置までいき、そこで再びボードの方向を転換させた。そして大人たちふたりの助けを借りて、僕は砕け波に乗った。