ハリー・オカモトのガレージへいき、借りていたままだったオールズモビール・カトラスを僕は返却し、賃貸料金を支払った。父親の使っていた自動車の修理が出来ている、とハリーは言った。スターターの調子が悪いと言い、他界する一週間前、父親は自分の自動車をハリー・オカモトのガレージに預けたのだ。
修理代金を支払い、僕はその自動車を引き取った。シヴォレーのカプリース・クラシック・クーペ。一九七四年のモデルだ。平たくて大きい。見るからに重そうだ。しかし、造形のぜんたいは、まあなんとかきれいな線と面とで、無理なくまとまっている。これを父親は、ハリーの経営するディーラーショップから、新車で買ったという。
色調を深めきったような印象のある緑色をしていた。強く明るい陽ざしを受けとめると、車体ぜんたいに漂う重さの印象は、さらに増幅された。車体のあらゆる部分が、おなじひとつの緑色だった。パワー・フロント・ディスク・ブレーキ。ターボ・ハイドラマティック・トランスミッション。パワー・ステアリング。このクーペの仕様すべてを片仮名で書いていったら、それはどんな読み物になるだろうか、と僕は思った。
「きみはストーリーを書くのが仕事なのだって?」
ハリーが言った。深い皺も浅い皺も、すべてその底まで陽焼けしている彼の顔を、僕は見た。
「優先順位としては写真です。僕はフォトグラファーです。自分の撮った写真に自分で文章を添えることもありますから、文章も書きます。写真と文章をひとりでこなす仕事を、僕としてはいちばん好いています」
「その仕事は東京でしてるのかね」
「そうです」
「書く文章は日本語だね」
「はい」
自分の頭の奥にアイディアがひとつ閃くのを、僕は感じた。自動車のストーリーは面白いのではないか、というアイディアだ。
ハワイで知り合うさまざまな人たちの、あの自動車そしてこの自動車のストーリー。一冊の本にするといい。右から開く日本語の本だとして、左のページにカラー印刷で自動車の写真を、そして右のページには、所有者から聞いたその自動車にまつわるストーリーを、一ページに収まる短い文章で添えていく。ページを開くごとに、違う自動車の違ったストーリーが、読者の目の前にあらわれる。東京から奥さんとともにオアフ島の北海岸へ来ている、サーファーの友人が使っている古いビートルは、絶好の材料のひとつではないか。父親が使っていたこのカプリース・クラシック・クーペも、いい材料だ。ハワイの風土に完全に溶け込んでいる様子を、自動車ごとに正しく工夫して撮るなら、一冊の本として充分に成立する。
「一〇〇マイル・カーというものは、いまでもあるのですか」
と、僕はハリーに訊いた。
「あるよ」
「ここにもありますか」
「何台かあるよ。中古車売り場の、いちばん向こうの奥に、ならんでるよ。ウインド・シールドにそう書いてあるから、見ればすぐにわかる」
「見て来ます」
修理ガレージの脇に父親のカプリースを残して、僕は中古車売り場に向けて陽ざしのなかを歩いた。空から直射する太陽光と、足もとのコンクリート敷きから照り返して来る熱とのあいだにはさまれて、僕は自動車の列のなかを歩いた。
淡い色の泥水のような絵具で、一〇〇マイル・カー、とウインド・シールドに大書したセダンやステーション・ワゴンが十台ほど、中古車売り場の奥の片隅にならんでいた。あとさらに一〇〇マイルの走行は保証するけれど、それ以上に関しては如何ともしがたいという種類の、格安の中古車だ。
かつてはヒッピーたちが、このような自動車をしばしば買った。いまも類似の人たちが買っていく。もっとも中心的な顧客は、サーファーたちだった。ひとりずつ二十ドル、三十ドルと出し合って、数人で一台の一〇〇マイル・カーを手に入れる。自分たちで整備し修理をほどこし、一〇〇マイルを軽く越えてさらに何マイルとも知れず、こき使う。
ここにあるこれらの一〇〇マイル・カーは、やがてどれもが、誰かに買われていくのだろうか。すでに充分にストーリーを蓄積させているセダンやステーション・ワゴンは、一〇〇マイル・カーとしてさらにストーリーを獲得していくのだろうか。いまはただ陽ざしを受けとめて反射させるだけの、静止した古い自動車を観察しながら、僕は自動車のストーリーを自分で一冊の本にすることについて思った。
ハリー・オカモトのオフィスに向けて、僕は引き返していった。歩きながら僕は、東京に住んでいる知人のことを思った。僕よりも十歳は年上の、女性の詩人だ。詩人であり文章家でもある彼女は、絵も描く。両親から引き継いだ家に、彼女はひとりで住んでいる。世田谷にある広い敷地のなかの、風情のある家だ。その庭に、一台の自動車が、風化するにまかせて、置いてある。
一九五四年のデソートのクーペだ。かつて彼女の父親が使っていた自動車だ。ガレージはなく、父親はそのクーペをいつも庭に停めていた。彼が他界してからは、庭に停められたままとなった。白と赤に塗り分けた、目も覚めるほどに鮮やかな、流麗な造形のクーペだ。そのクーペが、だれにも使われないままに、時間の経過とともに少しずつ風化していった。
五年ほど前、そのクーペと詩人の彼女を、僕は仕事で写真に撮った。彼女の庭、そしてそこですっかり風化したデソートのクーペを、そのとき僕は初めて見た。植え込みに囲まれて静かな、ほどよく手入れされた、雰囲気のいい広い庭だ。その庭の奥に、朽ちていく過程の後半に入ったとおぼしき状態で、クーペは庭と完全に溶け合ってひとつだった。場所はハワイではないけれど、あの自動車も本のなかに加えるといい、と僕は思った。