これほどまでに見事な林檎をいま自分は初めて見る、と十歳の僕は思った。そのときのことをいまでも僕は記憶している。あまりにも見事な出来ばえだったから、ひょっとしてこれは作り物かもしれない、と僕は思った。八百屋の主人はいつも笑ったような顔をした小柄な好人物だった。作り物の林檎を店にならべ、野菜や果物を買いに来た人たちに冗談をしかけているのかもしれない。
鉄道の線路のスロープを背後に、八百屋の主人とその奥さん、そしてふたりの娘が住んでいる、小さな木造の家があった。その家とは別棟で、家のすぐ前に、八百屋の店があった。ありあわせの木材を使って素人が建てたような、店と言うよりもそれは小屋だった。道の向こうから店のぜんたいを観察すると、小屋は明らかに右へ傾いていた。
板で作ったいくつもの箱を裏返しにして店の土間に配置し、箱の底に野菜や果物がならべてあった。一日の営業を終わると、箱の上で売れ残った野菜や果物を、店主や奥さんそして娘たちが、それぞれの箱に入れていく。そして店の正面の雨戸を閉じる。雨戸は三枚あった。店主が特に気にいった品物が入荷した日には、いくつかの箱を台にして、その上に雨戸が横たえられた。そして気にいった品物を、彼はその雨戸の上いっぱいにならべた。
僕が見た見事な林檎は、店の土間の中央に横たえた雨戸のまんなかに、美しくならべてあった。角を道に向けてまず正三角形に林檎をならべ、その三角の内部を林檎で埋める。そしてその上に、外から一列だけ引っ込めて二列めの上に、林檎を重ねていく。その内部を林檎で埋め、次は三列めに林檎を置いていく。林檎で作ったこのようなピラミッドがまだ完全な状態のとき、僕はその店の前をとおりかかった。
僕の両手にあまるほどの大きさの、プロポーションとしては絶妙に縦長の、内部の中心点に向けていっさいの無駄なしに整然たる求心力を持続させている、うかつには手を出せないような、整いきった造形だった。
自然の営みそのもののような赤い色を基調にして、黄色と緑色とが、偉大なる画家の使いなれたパレットさながらに、どの林檎の造形をも、一分の隙もなしにくるみ込んでいた。赤と黄色と緑色しか使わない、それゆえに偉大な画家のパレットだ。
黒いゴム草履にカーキー色のぶかぶかの作業ズボン、そして白い長袖シャツの店主は、いつもと変わらない笑ったような顔で、林檎を盛りつけた雨戸のかたわらに立っていた。林檎のピラミッドに視線を吸い取られている僕に、
「アオモリ」
と、店主は言った。
青森産の林檎という意味だが、アオモリとはなにのことなのか、当時の僕にはわからなかった。林檎のピラミッドに視線をからめ取られたまま、僕は雨戸の長方形を一周した。そして正面に立ちどまった。
ふと腕をのばした店主は、ピラミッドの頂上に乗っている林檎を、片手に取った。そしてそれを僕に向けて差し出した。僕はそれを受け取った。林檎のかたちをした重さ、というものをそのときの僕は両手に感じた。単なる重さではなく、林檎のかたちをした重さなのだ。いくら眺めても信じることが出来ないような、完璧な林檎のかたちをした重さだ。
姉の誕生日のプレゼントはこの林檎をおいてほかにない、と僕は思った。だから僕は店主に値段を訊いた。そのとき僕がたまたま持っていた現金で買うことの出来る値段だった。僕はその林檎を買った。ピラミッドの頂上にあった林檎だ。
シャツを脱いだ僕は、それを地面に広げた。そのまんなかに林檎を置き、まず両袖をその根もとでしばった。それから裾をひとつにまとめ、襟もひとつにして、しばり合わせた。シャツは即席の袋となった。そのなかに僕は林檎をくるんだ。林檎のまま地面に落としたなら、この林檎が持っているあらゆる完璧さがすべて壊れてしまう、と僕は思ったからだ。
シャツでくるんだ林檎を持って、僕はそのとき寝泊まりしていた祖父の家へ帰った。テーブルの上でシャツをほどき、僕は林檎を観察した。作り物ではなく本物の林檎なのかどうか、八百屋のおじさんに確認すべきだった、と僕は思った。僕は両手の指先でさまざまにその林檎に触れてみた。左右の掌で支えてもみた。顔を接近させ、香りをかいでみた。まず間違いなくこれは本物の林檎だ、と僕は結論した。
姉の誕生日は次の日だった。林檎は箱に入れるといい、と僕は思いついた。だから僕は箱を作った。祖父はさまざまな道具や材料を持っている人だった。ちょっとしたものを常に器用に自作していた。フィラメントの切れた電球以外なら、彼はあらゆるものを修理することも出来た。
箱の材料のボール紙が豊富にあった。巻き尺で林檎の高さと直径を計った僕は、適正と思われるゆとりを持たせた大きさの箱の展開図を、鉛筆でボール紙に書いた。貼り合わせるために必要な糊しろを、間違えないように展開図に加えた。林檎を入れる箱の蓋は、てっぺんにあるようにした。蓋を開いて箱の中を見ると、そこに林檎があるのだ。
箱はやがて出来た。林檎はその内部にしっくりと納まった。蓋を閉じると完全に箱だった。蓋を開くとなかに林檎があった。僕は何度も蓋を開閉して楽しんだ。箱に色を塗ろうか。箱に絵を描こうか。アメリカの雑誌からいろんな絵や写真を切り抜いて貼るといい、という閃きを僕は得た。祖父は雑誌もたくさん持っていた。気にいったものをページから切り抜いては、僕は箱に貼っていった。
これ以上には貼りようがないという段階に達して、箱は完成した。なかにふたたび林檎を入れてみた。蓋を閉じた。完璧だった。その蓋の三辺に、雑誌から切り抜いた赤い色の紙を貼り、蓋が開かないようにした。紙を破って蓋を開き、なかの林檎を取り出すのは、明日の姉なのだ。