キチンの作業テーブルの上にウクレレが置いてある。さきほどから僕はそれを見ている。父親のウクレレだ。自分が最初に買ったウクレレがこれであり、そのまま自分はずっとこのウクレレを持ち続けた、と父親は言っていた。父親のものとしての、唯一の、生涯をとおして一本だけのウクレレ。それがいまキチンの作業テーブルの上にある。
アメリカ陸軍の兵士として、第二次大戦をヨーロッパの戦線で戦ったひとりであった彼は、陸軍に入隊するとき、このウクレレを持って入隊した。基礎訓練をへて前線へ送り出され、ヨーロッパの激戦地を転戦してアメリカへ帰還するまで、彼はこのウクレレを自分から離さなかった。
ウクレレは彼とともに最後まで無事だった。地を這いながら至近距離で敵兵と射ち合う白兵戦を、彼もウクレレも、傷ひとつ負うことなく、切り抜けた。さすがに弦は何度も切れた。しかし、ボディに穴があいたり、ネックがボディから取れてしまうというようなことは、いっさいなかった。
アメリカからヨーロッパへ向かう輸送船のなかで、彼はウクレレの弦を数セット、正式に陸軍に請求した。彼が指定したとおりの弦が、彼らの上陸地点であったイタリーの港町に届いていた。あの戦争に関して彼が語った唯一のことは、届いていたこの弦についてだった。彼の得意な話であり、好きな話でもあった。自分をめぐる自慢話ではなく、アメリカについての自慢話だったようだ。アメリカの軍人、あるいは軍と密接に関係した仕事をして、彼はその生涯を過ごした。彼の専門は、わかりやすいひと言で言うなら、無線通信だった。
この家で彼はこのウクレレを、いつも納戸の棚の上に置いていた。使うことなくほっておいた期間は、少なくとも僕の知るかぎりでは、まったくない。いつも彼はこのウクレレを弾いていた。昔のものではあるけれど、ひとりの人によって大切に使われ続けた物だけが持つ生きた感触が、いまもこのウクレレの細部にまでいきわたっている。
このウクレレは父親の一部分であり続けた。しかし彼は、これをたとえば居間に置いておくことをしなかった。使い続けるものではあるけれど、定位置は納戸の棚だった。おそらく戦争を思い出させ過ぎるからだろう、と僕は推測している。彼が戦地で弾いたこのウクレレの音を記憶に刻んだまま戦死した戦友が、数えるのもつらいほどたくさんいるのだから。
作業テーブルに横たえたウクレレを僕は見る。これを僕は写真に撮らなくてはいけない。姉に頼まれたことだ。CDのプラスティック・ケースのなかに表紙として入れる紙に、印刷するための写真だ。CDは父親を記念して姉が製作するものだ。ウクレレをじつに見事に弾いた父親は、折りにふれて曲を作っては楽譜に書き残した。プロフェッショナルな歌い手や演奏家たちに提供した曲がいくつもある。それらを含めて、父親が残した曲すべてを姉が検討し、選び出した十数曲を一枚のCDにする。
地元に昔からあるレコード会社に姉はこの企画を提示した。企画は通った。製作に向けての最初の段階が、すでに始まっていた。どの曲にも姉は演奏者として参加する。ピアノ、ヴィブラフォン、ギター、トランペット、テナー・サックス、ドラムスなど、多くの楽器の演奏を、姉は巧みにこなす。姉のソロ・ピアノとなる曲もある。タイトルをつけるかわりに、自筆の楽譜の右肩に、「モースト・リクエステッド」とだけ父親が書きつけておいた曲だ。ウクレレで弾いて聴かせる曲として、人がもっともしばしばリクエストしてくれた曲、というほどの意味だろう。「モースト・リクエステッド」というひと言は、しかし、そのままタイトルになる。
CDのタイトルは『ウクレレ・ソルジャー』だ。ケースの表紙に使う紙は横長で、それが三つにたたまれる。表紙はウクレレだけの写真、そしてたたんであるのを開くと、そこには短い文章がある。父親についての文章だ。これは姉が書く。父親の写真を二点だけ、その文章に添える。アメリカ陸軍兵士としての、オフィシャル・ポートレートを一枚。そしてもう一枚は、ヨーロッパからアメリカへ帰還したあと、二世部隊が大統領から称賛の言葉とともに叙勲されたときの、パレードの写真だ。隊列を組んで行進している二世部隊の、何列めかのいちばん端を歩く僕たちの父親が、そのスナップ写真の中央にいる。陸軍兵士である彼が背負っているパックには、ウクレレがひとつ、くくりつけてある。ウクレレであることが、はっきりとわかる。二世部隊についての多くの本のなかで、ウクレレ・ソルジャーは何度も言及されて来た。証拠写真のようにしばしば添えられるのが、このスナップ写真だ。
この二枚の写真を、父親が残した写真アルバムに貼ってあったままに、僕は写真機で接写した。プリントにしてみた。どちらも雰囲気が充分にあり、CDのライナー・ノートに使う写真として、たいへん効果的だろうと僕は判断した。白黒の写真を僕はカラー・リヴァーサルで複写し、カラー印画紙にプリントした。もとの写真に淡くブルーの色が加わり、写真に写し取られている父親および戦友たちは、時間の彼方に静止している雰囲気を濃厚に獲得することとなった。二枚のプリントは、リヴァーサルとともに、すでに姉に渡してあった。
ウクレレの写真をどのように撮ればいいのか。キチンの作業テーブルの上にウクレレを置いて観察しながら、僕は考えているところだ。凝った写真にはしたくない、というのは姉と僕に共通した方針だった。凝るとは、たとえば、ウクレレを中心にさまざまな物をコラージュのように配し、ぜんたいとしての雰囲気を出す、というような試みだ。
凝れば凝るほど、ウクレレというもっとも重要な主題が、小さくなってしまう。ウクレレを平らに横たえ、その姿を撮るといい、と姉は言った。僕もそれに賛成だ。ウクレレをなにかに立てかけて撮る、というアイディアも捨てた。昔からあるジェネラル・ストアのボードウオークの片隅で、古びた板壁にウクレレを立てかけてその様子を撮ったりすることだ。