ヒロにいるときいつも朝食を食べる食堂で、ある雨の日、僕はカウンターの席で初老の日系男性の隣にすわった。僕は彼を知らないのだが、彼は僕を知っていると言った。
「きみのお父さんにね、中波の受信機を作ってもらったことがあるんだよ。もうずいぶん以前のことになるけれど。彼はアメリカ陸軍でずっと無線関係の仕事をしたんだよ。その専門知識を駆使するまでもないんだけど、なにしろただの中波だからね、でも機材は軍用のを使って、それはそれは性能の高い、目の覚めるような受信機を作ってくれた。僕は野球が好きでね。メインランドのラジオで野球中継をしてるだろう。それを聴くための受信機さ。彼に場所まで選んでもらったよ。ここに本格的なエーリアルを立てるといいという、その場所さ。そこはたまたま僕がしばらく働いていたことのある砂糖会社の土地でね。海に面したなんにもない土地で、なににも使ってないのさ。多少ともでこぼこした赤土の土地で、ところどころに草が生えていて、ずっと向こうに、赤錆の塊のようなトラックが一台、捨ててあるというような。許可をもらって僕はそこにエーリアルを立てたよ。それもきみのお父さんが設計してくれて、そのとおりに僕が材料を集めて作ったんだ。エーリアルだからね、専門の知識は必要ないんだ。設計図のとおりに作ればそれでいい。自動車に受信機を積んでね、人の頭がすっぽり入るほどの大きさの、直方体の黒い箱のようなスピーカーをミラーから下げてさ。エーリアルから引いたワイアーを受信機につないでダイアルをまわしていくと、すごいんだよ。メインランドのどこのラジオ放送でも受信出来そうな、素晴らしい性能でね。中継するアナウンサーの声や球場を満たしている観客の声や物音など、すべてがものすごく鮮明に、スピーカーから出て来るんだ。いつもそこへいっては、僕はメインランドの野球中継を聴いたよ。野球と受信機の両方に、うっとりとなってね。ロジャー・マリスがベーブ・ルースを抜いたときの中継も、僕はそうやって聴いたんだ。その受信機はいまでも大事に持ってるよ」
彼が語ったそのような話を聞いて、僕の頭のなかにアイディアがひとつ生まれた。写真と文章で構成される小さな一冊の本を作るアイディアだ。たとえば彼が語った話を、彼の言葉どおりに簡潔にまとめ、一ページの下半分に収める。上半分には写真を入れる。彼がまだ持っているという受信機を、ほどよく雰囲気を出して、僕が写真に撮る。
一ページごとに、ひとつの話と一枚の写真がある。本ぜんたいが、そのようなページで構成されている。大きなサイズにしたくない。縦六インチに横が四インチというような、手のなかに入る標準的なサイズがいい。
カウンターをへだてて僕たちの前に立ち、店主が話を聞いていた。彼も僕にとって初めて聞く話をしてくれた。
「きみはリトル・リーグでキャッチャーをやってたんだよ。最初の試合を僕は見たなあ。みんな応援に来てた。きみのお父さん、そしてお姉さんも来てたな。きみが最初の打席に立ったときのことは、いまでもはっきり覚えてるよ。相手の投手はボールを三つ続けてね。きみは三球とも静かに見送った。グッド・アイ!、と僕は大声をあげて声援した。そして四球めも、見逃せばボールだったかな。まんなかから入って来て、外へはずれつつ落ちていく球さ。きみはその球をうまく打ったんだよ。でも、ちょっとだけ、芯をはずしたね。打球はグラウンダーになって、セカンドとファーストのあいだを抜けていった。走れ、走れ!、ときみのお父さんは夢中で叫んでたよ。きみは二塁に到達した」
僕にとってのリトル・リーグでの初試合に関して、記憶がまったくないわけではない。ボールが三つ続いたというような細かいことは覚えていないけれど、打ったあとバットをほうり投げて必死で走りながら、速い速度で転がっていくボールを二塁手と一塁手が同時に追いかけていく姿を均等に見ていたことに関しては、記憶があった。
二塁手と一塁手の走りが、僕の体の感覚のなかで、僕自身の走りに重なった。ボールを追って彼らが走れば走るほど、拾ったボールを投げるべき一塁は遠くなる。彼らが走れば走るほど僕も走る。そして僕は、走れば走るほど、一塁に近くなる。そのスリルを確認しながら、一塁をまわって二塁に向かった記憶が残っている。一塁をまわったとたん、二塁はとてつもなく遠く思えた。
店主が語ってくれたこの話も、僕の頭のなかに生まれた一冊の小さな本の、一ページを作ることが出来る。写真はあるだろうか。僕の父親のことだから、写真あるいは八ミリのどちらかは、撮ったはずだ。自宅の納戸の棚を探してみればいい。走れ、走れ!、と父親は夢中で叫んでいたというから、撮影したのは冷静な姉だったかもしれない。
本の一ページを構成する話と写真は、いまの僕を中心とした身辺から、こうして見つけていくといい。無理することなく、ごく自然ななりゆきのなかで。身辺にもっとも近いのは父親と姉だ。このふたりを経路にするだけでも、一ページを作ることの出来る話と写真は、かなり集めることが出来るのではないか。ほかの誰でもなく、この僕でなければ集めることの出来ない話。僕とは関係がないように思えても、最終的にはなんらかのかたちで、僕によってその本のなかにつなぎ留められていく話、そしてそれらの話に添う写真。
姉からの連想で僕はエルヴィス・プレスリーについて思った。ハワイにエルヴィス・プレスリーの自宅がかつてあった。その自宅に向けて登っていく道路の写真を、姉は僕にくれたことがある。山の斜面を登っていくその道路の途中で自動車を停め、外に出て道のまんなかから道路の前方をただ撮っただけのカラー・プリントだった。こういう写真こそ、この本のなかでは面白さを発揮するのではないか。そのカラー・プリントを僕はまだ持っている。複写して使えばいい。