← Library‹ ラハイナまで来た理由 プールにも台風が来た

姉あねの舞子まいこが日本にっぽんにいたのは、彼女かのじょが十じゅう三さん歳さいから十じゅう六ろく歳さいまでの期間きかんだ。十じゅう七なな歳さいになったときには、彼女かのじょはカリフォルニアに戻もどっていた。そしてそこで二十にじゅう一いち歳さいまで過すごし、二十にじゅう二に歳さいからは各地かくちを転々てんてんとする生活せいかつを始はじめた。東京とうきょうにも一いち年ねん近ちかく滞在たいざいし、僕ぼくとともにおなじ家いえに住すんだ。彼女かのじょが二十にじゅう五ご歳さいのときだ。僕ぼくは二十にじゅう一いち歳さいになっていた。

庭にわにプールのある平屋ひらや建だての家いえに、僕ぼくは前まえの年としから住すんでいた。私鉄してつの駅えきから歩あるいて七、八しちはち分ぶんの、静しずかな住宅じゅうたく地ちのなかにある住すみやすい家いえだった。家いえの前まえの道みちはごくおだやかな坂道さかみちになっていた。そして家いえの敷地しきちは、道路どうろからもっとも高たかい部分ぶぶんで二にメートルほどの位置いちにあった。

長ちょう方形ほうけいの敷地しきちのなかにまずプールの位置いちをきめ、外そとの道みちから自動じどう車しゃのまま敷地しきちのなかに入はいって来くることが出来できるように、建物たてものの大おおきさと位置いちを決定けっていして図面ずめんを作つくったという話はなしを、僕ぼくは聞きいたことがある。父親ちちおやの知人ちじんの、彼かれとおなじくハワイ生うまれの日系にっけい二に世せいの男性だんせいが、自分じぶんとその家族かぞくのために建たてた家いえだ。

道みちとの段差だんさがもっとも高たかい部分ぶぶんは二にメートル。そしてもっとも低ひくいところでは、段差だんさは事実じじつ上じょうのゼロだった。そしてこちら側がわが、坂道さかみちの下したを向むいていた。坂道さかみちを自動じどう車しゃで上あがって来きて、道みちの右側みぎがわにある敷地しきちへそのまま入はいっていけるように、道みちから敷地しきちのなかに向むけて、スロープが作つくってあった。

手前てまえの隣家りんかとの境さかいが、小ちいさな死角しかくになっていた。その死角しかくを充分じゅうぶんにクリアした位置いちから、道みちに対たいして浅あさい角度かくどで、敷地しきちの上うえに向むけてコンクリートのスロープとなっていた。スロープの全面ぜんめんに、摩擦まさつを作つくり出だすための円形えんけいの溝みぞが、いくつも作つくってあった。

スロープの途中とちゅうから生いけ垣がきがあった。スロープを上あがりきり、そのままコンクリート敷しきの部分ぶぶんを奥おくまで進すすみ、そこに自動じどう車しゃを停とめる。道みちとは段差だんさがあるし、生いけ垣がきにさえぎられてもいたから、道みちを歩あるく人ひとたちから自動じどう車しゃは見みえなかった。

スロープの頂上ちょうじょうには、いつもは折おり畳たたんで開ひらいてある、木製もくせいの低ひくいゲートがあった。家いえの玄関げんかんに向むかうにも、このコンクリートのスロープを上あがらなくてはいけなかった。スロープを上あがりきると、そこから四角しかくい大おおきな飛とび石いしが、玄関げんかんまでつながっていた。

家いえはL字じ型がたをしていた。そのL字じの内側うちがわに広ひろがる庭にわに抱いだかれるように、プールがあった。敷地しきちぜんたいのなかでプールがたいへんに優遇ゆうぐうされている事実じじつは、庭にわとそのプールを見みれば誰だれにでもわかった。敷地しきちはまずとにかくプールのためのものであり、プールの周囲しゅういを快適かいてきに整ととのえたあと、プールをほどよく囲かこんで保護ほごするものとして、平屋ひらや建だての家いえがLの字じにあった。

プールの周囲しゅういは芝生しばふだった。庭にわの奥おくには築山つきやまや灯籠とうろう、藤棚ふじだななどがあった。庭にわの周囲しゅういは植うえ込こみで囲かこまれていた。居間いまの外そとには煉瓦れんが敷しきのテラスがあり、それはプールの縁えんまで広ひろがっていた。居間いまのなか、その外そとのテラス、そしてプールという三みつの異ことなった世界せかいが、ひとつに融合ゆうごうしていた。

富士ふじ山やまの岩いわだという大おおきな黒くろい溶岩ようがんの固かたまりのような岩いわが、庭にわのあちこちに、きわめて効果こうか的てきに美うつくしく配置はいちしてあった。このいくつかの岩いわが、庭にわぜんたいを引ひき締しめて統一とういつし、静しずかな落おち着つきを作つくり出だしていた。

プールのあるこの家いえに、僕ぼくは二に年間ねんかんだけ住すんだ。初はじめの年としに関かんしてもっとも鮮あざやかに記憶きおくしているのは、秋あきに台風たいふうが来きたときのことだ。そして次つぎの年としに関かんしても、僕ぼくの記憶きおくのなかにもっとも強つよく大おおきく位置いちをしめているのは、夏なつの終おわりに直撃ちょくげきした台風たいふうだ。

初はじめの年とし、秋あきのある日ひ、この家いえを建たてたのとは別べつの日系にっけい二に世せいの男性だんせいが、電話でんわをかけて来きた。僕ぼくの父親ちちおやに用事ようじがあったのだが、父親ちちおやは留守るすだった。だから僕ぼくを相手あいてに、彼かれは次つぎのようなことを喋しゃべった。

「きみんとこにはプールがあるだろう。あのプールをしばらく使つかわせてほしいんだよ。いまでも水みずは入はいってるかい。入はいってるなら、抜ぬかないでおいてくれないか。お父ちちさんにもそう伝つたえてくれ。また電話でんわするけどね。じつは僕ぼくはスピードボートを一いち隻せき、持もってるんだ。このスピードボートをだね、きみんとこのプールに、しばらく置おかしておいてくれないかという話はなしさ。けっして難むずかしいことではないんだよ。スピードボートをそこまで運はこぶのも、プールに上あげるのも、作業さぎょうはすべて僕ぼくのほうで手配てはいするから、心配しんぱいないよ。プールから水みずを抜ぬかないでおいてくれれば、それでいいんだ。きみからお父ちちさんに、伝つたえておいてくれないか」

彼かれが言いったとおりを、僕ぼくはその日ひの夜よる、父親ちちおやに伝つたえた。父親ちちおやは呆あきれていた。だから、プールにスピードボートが浮うかんだ光景こうけいは、見みることが出来できないのだと僕ぼくは思おもった。そして次つぎの週しゅうのなかば、スピードボートが一いち隻せき、トラックに載のせられて自宅じたくの前まえに出現しゅつげんした。少すこし遅おくれて、軽かるい作業さぎょうに使つかう小型こがたのクレーン車しゃも、到着とうちゃくした。

数すう人にんの作業さぎょう員いんが、外そとの道みちと家いえの敷地しきちとの関係かんけい、そしてプールの位置いちなどを観察かんさつし、検討けんとうした。クレーン車しゃは道みちからのスロープを上あがることが出来できた。敷地しきちのなかに入はいってから道みちの上うえにクレーンを延のばし、スピードボートを吊つり上あげ、そのままプールに向むけてクレーンの方向ほうこうを転換てんかんさせ、プールの水面すいめんにスピードボートを降おろした。

作業さぎょうのすべてを僕ぼくは見守みまもった。作業さぎょうが終おわると、トラックとクレーン車しゃは、なにごともなかったかのように帰かえっていった。プールにスピードボートが残のこった。思おもいっきり流麗りゅうれいで先鋭せんえい的てきなかたちをした、見みるからに高級こうきゅうな仕上しあげの、いかにも速度そくどの出だそうな、小こぶりなスピードボートだった。

そのスピードボートの浮うかんだプールの光景こうけいを、僕ぼくはたいへん気きにいった。ある日ひあるとき、自宅じたくのプールに突然とつぜん、一いち隻せきのスピードボートが浮うかんだ。秋あきの午後ごご、急速きゅうそくに傾かたむいていく陽ひざしのなかで、スピードボートを浮うかべたプールを、僕ぼくはさまざまに写真しゃしんに撮とった。その頃ころの僕ぼくは、すでにプロフェッショナルの気分きぶんで、写真しゃしんを始はじめていた。

三み日か後ごに台風たいふうが接近せっきんした。四よん日かめには関東かんとう地方ちほうに上陸じょうりくする、という予報よほうが出でていた。台風たいふうの風かぜにあおられると、スピードボートはプールの縁えんとの衝突しょうとつを繰くり返かえすに違ちがいない。それを避さけるためにはどうすればいいか。ボートの所有しょゆう者しゃには連絡れんらくがつかないまま、僕ぼくは父親ちちおやとふたりで知恵ちえをしぼった。

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