姉の舞子が日本にいたのは、彼女が十三歳から十六歳までの期間だ。十七歳になったときには、彼女はカリフォルニアに戻っていた。そしてそこで二十一歳まで過ごし、二十二歳からは各地を転々とする生活を始めた。東京にも一年近く滞在し、僕とともにおなじ家に住んだ。彼女が二十五歳のときだ。僕は二十一歳になっていた。
庭にプールのある平屋建ての家に、僕は前の年から住んでいた。私鉄の駅から歩いて七、八分の、静かな住宅地のなかにある住みやすい家だった。家の前の道はごくおだやかな坂道になっていた。そして家の敷地は、道路からもっとも高い部分で二メートルほどの位置にあった。
長方形の敷地のなかにまずプールの位置をきめ、外の道から自動車のまま敷地のなかに入って来ることが出来るように、建物の大きさと位置を決定して図面を作ったという話を、僕は聞いたことがある。父親の知人の、彼とおなじくハワイ生まれの日系二世の男性が、自分とその家族のために建てた家だ。
道との段差がもっとも高い部分は二メートル。そしてもっとも低いところでは、段差は事実上のゼロだった。そしてこちら側が、坂道の下を向いていた。坂道を自動車で上がって来て、道の右側にある敷地へそのまま入っていけるように、道から敷地のなかに向けて、スロープが作ってあった。
手前の隣家との境が、小さな死角になっていた。その死角を充分にクリアした位置から、道に対して浅い角度で、敷地の上に向けてコンクリートのスロープとなっていた。スロープの全面に、摩擦を作り出すための円形の溝が、いくつも作ってあった。
スロープの途中から生け垣があった。スロープを上がりきり、そのままコンクリート敷きの部分を奥まで進み、そこに自動車を停める。道とは段差があるし、生け垣にさえぎられてもいたから、道を歩く人たちから自動車は見えなかった。
スロープの頂上には、いつもは折り畳んで開いてある、木製の低いゲートがあった。家の玄関に向かうにも、このコンクリートのスロープを上がらなくてはいけなかった。スロープを上がりきると、そこから四角い大きな飛び石が、玄関までつながっていた。
家はL字型をしていた。そのL字の内側に広がる庭に抱かれるように、プールがあった。敷地ぜんたいのなかでプールがたいへんに優遇されている事実は、庭とそのプールを見れば誰にでもわかった。敷地はまずとにかくプールのためのものであり、プールの周囲を快適に整えたあと、プールをほどよく囲んで保護するものとして、平屋建ての家がLの字にあった。
プールの周囲は芝生だった。庭の奥には築山や灯籠、藤棚などがあった。庭の周囲は植え込みで囲まれていた。居間の外には煉瓦敷きのテラスがあり、それはプールの縁まで広がっていた。居間のなか、その外のテラス、そしてプールという三つの異なった世界が、ひとつに融合していた。
富士山の岩だという大きな黒い溶岩の固まりのような岩が、庭のあちこちに、きわめて効果的に美しく配置してあった。このいくつかの岩が、庭ぜんたいを引き締めて統一し、静かな落ち着きを作り出していた。
プールのあるこの家に、僕は二年間だけ住んだ。初めの年に関してもっとも鮮やかに記憶しているのは、秋に台風が来たときのことだ。そして次の年に関しても、僕の記憶のなかにもっとも強く大きく位置をしめているのは、夏の終わりに直撃した台風だ。
初めの年、秋のある日、この家を建てたのとは別の日系二世の男性が、電話をかけて来た。僕の父親に用事があったのだが、父親は留守だった。だから僕を相手に、彼は次のようなことを喋った。
「きみんとこにはプールがあるだろう。あのプールをしばらく使わせてほしいんだよ。いまでも水は入ってるかい。入ってるなら、抜かないでおいてくれないか。お父さんにもそう伝えてくれ。また電話するけどね。じつは僕はスピードボートを一隻、持ってるんだ。このスピードボートをだね、きみんとこのプールに、しばらく置かしておいてくれないかという話さ。けっして難しいことではないんだよ。スピードボートをそこまで運ぶのも、プールに上げるのも、作業はすべて僕のほうで手配するから、心配ないよ。プールから水を抜かないでおいてくれれば、それでいいんだ。きみからお父さんに、伝えておいてくれないか」
彼が言ったとおりを、僕はその日の夜、父親に伝えた。父親は呆れていた。だから、プールにスピードボートが浮かんだ光景は、見ることが出来ないのだと僕は思った。そして次の週のなかば、スピードボートが一隻、トラックに載せられて自宅の前に出現した。少し遅れて、軽い作業に使う小型のクレーン車も、到着した。
数人の作業員が、外の道と家の敷地との関係、そしてプールの位置などを観察し、検討した。クレーン車は道からのスロープを上がることが出来た。敷地のなかに入ってから道の上にクレーンを延ばし、スピードボートを吊り上げ、そのままプールに向けてクレーンの方向を転換させ、プールの水面にスピードボートを降ろした。
作業のすべてを僕は見守った。作業が終わると、トラックとクレーン車は、なにごともなかったかのように帰っていった。プールにスピードボートが残った。思いっきり流麗で先鋭的なかたちをした、見るからに高級な仕上げの、いかにも速度の出そうな、小ぶりなスピードボートだった。
そのスピードボートの浮かんだプールの光景を、僕はたいへん気にいった。ある日あるとき、自宅のプールに突然、一隻のスピードボートが浮かんだ。秋の午後、急速に傾いていく陽ざしのなかで、スピードボートを浮かべたプールを、僕はさまざまに写真に撮った。その頃の僕は、すでにプロフェッショナルの気分で、写真を始めていた。
三日後に台風が接近した。四日めには関東地方に上陸する、という予報が出ていた。台風の風にあおられると、スピードボートはプールの縁との衝突を繰り返すに違いない。それを避けるためにはどうすればいいか。ボートの所有者には連絡がつかないまま、僕は父親とふたりで知恵をしぼった。