← Library‹ ラハイナまで来た理由 プレート・ランチという幸福

アラモアナ公園こうえんは僕ぼくにとっては泳およぐところだ。リーフの内側うちがわの静しずかな浅あさい海うみは、プール状じょうの海うみという不思議ふしぎな世界せかいだ。そこではまっすぐに五百ごひゃくメートル、泳およぐことが出来できる。一いち度どだけ折おり返かえして千せんメートルだ。二十にじゅう五ごメートル・プールで四十よんじゅう回かいも折おり返かえすのは、馬鹿ばかげていると僕ぼくは思おもう。アラモアナで千せんメートル。これがオアフにおける僕ぼくの日常にちじょう的てきな課題かだいのひとつだ。

まっすぐに五百ごひゃくメートル泳およぐことの出来できる場所ばしょを、僕ぼくはほかに知しらない。海うみへ出でていけばいくらでもあるけれど、海うみへは出でたくない。海岸かいがんが長ながく続つづいているところで、波打なみうち際きわのすぐ近ちかくを砂浜すなはまに沿そってまっすぐに泳およいでいく、という方法ほうほうを僕ぼくは何なん度どか試こころみたことがある。唯一ゆいいつの正解せいかいはアラモアナだ、という答こたえを僕ぼくは手てにした。

昔むかしのアラモアナは湿地しっち帯たいだった。人々ひとびとはここを塵捨ごみすて場ばとして利用りようしていた。一いち九きゅう三さん一いち年ねんにホノルル・パーク・ボードという組織そしきが作つくられ、その組織そしきにとっての最初さいしょの仕事しごとが、アラモアナ公園こうえんを作つくることだった。オアフというハワイ語ごは、いろんな人ひとがたくさん集あつまるところ、という意味いみだ。アラモアナ・ビーチ・パークを発想はっそうした人ひとの、その発想はっそうの根底こんていには、このオアフという言葉ことばがあった。

昔むかしのオアフにもさまざまな人種じんしゅの人ひとたちが住すんでいた。そしてそのオアフには、さまざまな人ひとたちがひとつに集あつまって楽たのしむ場所ばしょが、ひとつもなかった。人々ひとびとが集あつまって来きては、なにをするでもなく、つまり気きが向むけばいろんなことをして、のんびりゆったりと時ときを過すごす場所ばしょが、オアフにはなかった。その代かわりに、たとえばチャイナ・タウンのように、狭せまい場所ばしょに多数たすうの人ひとがぎっちりと詰つめ込こまれて住すんでいる場所ばしょは、たくさんあった。

人々ひとびとが集あつまって来きて楽たのしむことの出来できる、海辺うみべの広々ひろびろとした公園こうえんがオアフには必要ひつようだ、という発想はっそうにもとづいて周辺しゅうへんの海底かいていが浚渫しゅんせつされ、湿地しっち帯たいは埋うめ立たて地ちへと変かわった。そして公園こうえんになった。浅瀬あさせの海うみと公園こうえんという陸地りくちが接せっするところは、人ひとの近ちかづくことの無理むりな岩場いわばだった。

海岸かいがんが作つくられたのは一いち九きゅう五ご五ご年ねんのことだ。オアフ島とうの西側にしがわのどこだったか忘わすれたが、そこから大量たいりょうの砂すなを持もって来きて、アラモアナのあのビーチとなった。その砂すなの量りょうがどのくらいだったか、地元じもとの年配ねんぱいの人ひとたちは、キュービック・ヤードで正確せいかくな数字すうじを記憶きおくしている。

マジック・アイランドが出来できたのは一いち九きゅう六ろく二に年ねんのことだ。アラモアナは公園こうえんであると同時どうじに、いい稼かせぎをしてくれるはずの場所ばしょとしても、最初さいしょから目めをつけられていた。住宅じゅうたく地ちにして売うり払はらうという案あんは根強ねづよくあったし、観光かんこう客きゃく用ようのホテルその他たの施設しせつを建たちならべ、ワイキキ・ビーチの改良かいりょう的てきな延長えんちょうにすればもっといい、という案あんも強力きょうりょくに支持しじされていた。マジック・アイランドはこの案あんのために作つくられた。公園こうえんと地続じつづきでケワロ・ベイスンの西側にしがわに横よこたわる、小ちいさな半島はんとうだ。

マジック・アイランドをどのように利用りようすべきかをめぐって、一いち九きゅう六ろく〇れい年ねん代だいのあいだずっと、論争ろんそうや駆かけ引ひきが続つづいた。ホテル群ぐんを中心ちゅうしんとしたリゾート地帯ちたいにすべし、という意見いけんがもっとも強つよく支持しじされていたが、公園こうえんの一いち部分ぶぶんとして使つかうという決定けっていが、一いち九きゅう七なな〇れい年ねんになされた。

アラモアナ・ショッピング・センターのある場所ばしょは、ディリンガムが所有しょゆうするただの野原のはらだった。どのディリンガムなのか、そこまでは僕ぼくは記憶きおくしていない。どのディリンガムでも、結局けっきょくはおなじことだろう。野原のはらはショッピング・センターとなった。これも正解せいかいだった。公園こうえんとともにここにも、多おおくのさまざまな人ひとたちが集あつまる。

リーフの内側うちがわにある、プール状態じょうたいの静しずかな海うみ。海岸かいがん。公園こうえん。そしてまさに道路どうろそのもののような道路どうろをはさんで、いまもまだ巨大きょだいと言いっていいショッピング・センター。オアフというひと言ことを絵えに描えがけばこうなるという、たいへん好このましい一いち例れいだと僕ぼくは思おもう。

その海うみで僕ぼくは千せんメートルを泳およぐ。なぜなら、プレート・ランチというたいへんにハワイ的てきな幸福こうふくのなかに、僕ぼくも身みを置おいているからだ。プレートは皿さら、つまりひと皿盛さらもりのランチだ。泳およぐためにアラモアナまで来きて、マジック・アイランドの駐車ちゅうしゃ場じょうに自動じどう車しゃを停とめて海岸かいがんまで歩あるくあいだに、芝生しばふにすわってプレート・ランチを食たべている人ひとたちを、いったい何なん人にん見みるだろう。十じゅうメートルごとに、プレート・ランチの匂においをかぐ。

だから心身しんしんともにプレート・ランチ状態じょうたいとなって、僕ぼくはアラモアナのリーフの海うみに入はいる。そして泳およぐ。ハワイのプレート・ランチは、炭水たんすい化か物ぶつと脂肪しぼうの大量たいりょう急激きゅうげき摂取せっしゅの典型てんけいだ。アラモアナで千せんメートル泳およぐことによって、炭水たんすい化か物ぶつを燃焼ねんしょうさせ脂肪しぼうをなんとかしよう、と僕ぼくは願ねがっている。

初はじめのうち、僕ぼくは平泳ひらおよぎをしている。平泳ひらおよぎのままペースを上あげていき、やがて抜ぬき手てへと変かえていく。そして最後さいごはクロールというやつだ。五百ごひゃくメートルで折おり返かえすあたりで、僕ぼくとしてはもっとも速はやいクロール泳法えいほうとなっている。後半こうはんの五百ごひゃくメートルの中間ちゅうかんあたりで、ペースを落おとしていく。

泳およいでいるあいだ、僕ぼくはプレート・ランチについて思おもいをめぐらせる。プレート・ランチの発祥はっしょうは、たとえば軍隊ぐんたいのように、男おとこたちが多数たすう集あつまってひとつの仕事しごとをしている現場げんばではなかったかと、僕ぼくの父親ちちおやが推測すいそくを語かたったのを僕ぼくは記憶きおくしている。軍隊ぐんたいではなければ、砂糖さとうきびの精製せいせい工場こうじょうと砂糖さとうきび畑はたけを中心ちゅうしんとした砂糖さとう労働ろうどうの現場げんばなど、プレート・ランチにふさわしいと彼かれは言いっていた。僕ぼくもその意見いけんに賛成さんせいだ。

軍隊ぐんたい料理りょうりのひと皿盛さらもり。ハワイのプレート・ランチの起源きげんは、おそらくそこにあるのだろう。料理りょうり人にんは日系にっけいそしてフィリピン系けいの、男性だんせいではないか。プレート・ランチは男おとこのものだ。プレート・ランチを愛好あいこうしている女性じょせいを、僕ぼくはひとりも知しらない。

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