アラモアナ公園は僕にとっては泳ぐところだ。リーフの内側の静かな浅い海は、プール状の海という不思議な世界だ。そこではまっすぐに五百メートル、泳ぐことが出来る。一度だけ折り返して千メートルだ。二十五メートル・プールで四十回も折り返すのは、馬鹿げていると僕は思う。アラモアナで千メートル。これがオアフにおける僕の日常的な課題のひとつだ。
まっすぐに五百メートル泳ぐことの出来る場所を、僕はほかに知らない。海へ出ていけばいくらでもあるけれど、海へは出たくない。海岸が長く続いているところで、波打ち際のすぐ近くを砂浜に沿ってまっすぐに泳いでいく、という方法を僕は何度か試みたことがある。唯一の正解はアラモアナだ、という答えを僕は手にした。
昔のアラモアナは湿地帯だった。人々はここを塵捨て場として利用していた。一九三一年にホノルル・パーク・ボードという組織が作られ、その組織にとっての最初の仕事が、アラモアナ公園を作ることだった。オアフというハワイ語は、いろんな人がたくさん集まるところ、という意味だ。アラモアナ・ビーチ・パークを発想した人の、その発想の根底には、このオアフという言葉があった。
昔のオアフにもさまざまな人種の人たちが住んでいた。そしてそのオアフには、さまざまな人たちがひとつに集まって楽しむ場所が、ひとつもなかった。人々が集まって来ては、なにをするでもなく、つまり気が向けばいろんなことをして、のんびりゆったりと時を過ごす場所が、オアフにはなかった。その代わりに、たとえばチャイナ・タウンのように、狭い場所に多数の人がぎっちりと詰め込まれて住んでいる場所は、たくさんあった。
人々が集まって来て楽しむことの出来る、海辺の広々とした公園がオアフには必要だ、という発想にもとづいて周辺の海底が浚渫され、湿地帯は埋め立て地へと変わった。そして公園になった。浅瀬の海と公園という陸地が接するところは、人の近づくことの無理な岩場だった。
海岸が作られたのは一九五五年のことだ。オアフ島の西側のどこだったか忘れたが、そこから大量の砂を持って来て、アラモアナのあのビーチとなった。その砂の量がどのくらいだったか、地元の年配の人たちは、キュービック・ヤードで正確な数字を記憶している。
マジック・アイランドが出来たのは一九六二年のことだ。アラモアナは公園であると同時に、いい稼ぎをしてくれるはずの場所としても、最初から目をつけられていた。住宅地にして売り払うという案は根強くあったし、観光客用のホテルその他の施設を建ちならべ、ワイキキ・ビーチの改良的な延長にすればもっといい、という案も強力に支持されていた。マジック・アイランドはこの案のために作られた。公園と地続きでケワロ・ベイスンの西側に横たわる、小さな半島だ。
マジック・アイランドをどのように利用すべきかをめぐって、一九六〇年代のあいだずっと、論争や駆け引きが続いた。ホテル群を中心としたリゾート地帯にすべし、という意見がもっとも強く支持されていたが、公園の一部分として使うという決定が、一九七〇年になされた。
アラモアナ・ショッピング・センターのある場所は、ディリンガムが所有するただの野原だった。どのディリンガムなのか、そこまでは僕は記憶していない。どのディリンガムでも、結局はおなじことだろう。野原はショッピング・センターとなった。これも正解だった。公園とともにここにも、多くのさまざまな人たちが集まる。
リーフの内側にある、プール状態の静かな海。海岸。公園。そしてまさに道路そのもののような道路をはさんで、いまもまだ巨大と言っていいショッピング・センター。オアフというひと言を絵に描けばこうなるという、たいへん好ましい一例だと僕は思う。
その海で僕は千メートルを泳ぐ。なぜなら、プレート・ランチというたいへんにハワイ的な幸福のなかに、僕も身を置いているからだ。プレートは皿、つまりひと皿盛りのランチだ。泳ぐためにアラモアナまで来て、マジック・アイランドの駐車場に自動車を停めて海岸まで歩くあいだに、芝生にすわってプレート・ランチを食べている人たちを、いったい何人見るだろう。十メートルごとに、プレート・ランチの匂いをかぐ。
だから心身ともにプレート・ランチ状態となって、僕はアラモアナのリーフの海に入る。そして泳ぐ。ハワイのプレート・ランチは、炭水化物と脂肪の大量急激摂取の典型だ。アラモアナで千メートル泳ぐことによって、炭水化物を燃焼させ脂肪をなんとかしよう、と僕は願っている。
初めのうち、僕は平泳ぎをしている。平泳ぎのままペースを上げていき、やがて抜き手へと変えていく。そして最後はクロールというやつだ。五百メートルで折り返すあたりで、僕としてはもっとも速いクロール泳法となっている。後半の五百メートルの中間あたりで、ペースを落としていく。
泳いでいるあいだ、僕はプレート・ランチについて思いをめぐらせる。プレート・ランチの発祥は、たとえば軍隊のように、男たちが多数集まってひとつの仕事をしている現場ではなかったかと、僕の父親が推測を語ったのを僕は記憶している。軍隊ではなければ、砂糖きびの精製工場と砂糖きび畑を中心とした砂糖労働の現場など、プレート・ランチにふさわしいと彼は言っていた。僕もその意見に賛成だ。
軍隊料理のひと皿盛り。ハワイのプレート・ランチの起源は、おそらくそこにあるのだろう。料理人は日系そしてフィリピン系の、男性ではないか。プレート・ランチは男のものだ。プレート・ランチを愛好している女性を、僕はひとりも知らない。