『ハワイ・ファイヴ・オー』のエピソードが始まるとき、タイトルの背景にあらわれるのは、オアフ島北海岸のパイプラインの波だった。断面が大きな楕円のチューブとなる波だ。波や海底に関して多少の知識を持っていないと、海の波がここでなぜこうなるのか、まったく理解出来ないはずだ。
そのチューブの天井となる波が、空中へ水平に張り出し、延びていく。波の壁として立ち上がっている自分のずっと前方で落下を始める瞬間の、もっともいいタイミングに合わせて、『ハワイ・ファイヴ・オー』というタイトルが二行で出た。白抜きの平凡な書体を、赤い色が縁取っていた。
この波とタイトルとをTV受像機の画面ごと写真に撮り、シルク・スクリーンで色鮮やかに背中に印刷したTシャツを、かつて僕は持っていた。店で売っていたから買ったのだ。『ハワイ・ファイヴ・オー』というTVドラマ・シリーズの放映が、CBSのネットワークで始まったのは一九六八年九月二十日のことだった。二時間のパイロット版が放映された。そして二十六日から、毎週一回、一時間でストーリーの完結するこのシリーズの第一話が、オン・エアされた。
僕がTシャツを買ったのはその年の十月の初めだ。十二月になって、波乗りの達人である古くからの友人に誘われ、僕は北海岸へいった。パイプラインという名のとおりに、楕円形の巨大なチューブ波が出来ている日だった。その波を指さして、
「きみがいま着ているTシャツの背中にあるのと、おなじ波だよ」
と、友人は説明した。
僕はTシャツを脱ぎ、目の前に両手で広げてみた。風にはためくTシャツの背中に印刷されていた波は、そのとき沖に出来ていた波と、寸分たがわないと言っていいおなじ波だった。Tシャツを着た僕は、背中に印刷された波も、チューブを巻いているように感じた。
ファイヴ・オーとは50のことだ。ハワイは五十番めの州だから、50をファイヴ・オーと読んで、そのままタイトルとした。イオラニ宮殿のなかに本部を置きハワイ州知事が直轄するとういう、まったく架空のエリート警察チームが活躍するドラマ、それが『ハワイ・ファイヴ・オー』だった。活躍するとは、楽園のなかにいる蛇を、毎回一匹、彼らは退治するということだ。
主役のスティーヴ・マクギャレットという役をジャック・ロードが演じた。映画俳優としての彼を作品のなかに見るもっとも簡単な方法は、『ドクター・ノー』を見ることだ。ジェームズ・ボンドに協力するCIAのフィーリックス・ライターという役を、ジャック・ロードは演じた。TVシリーズの主役は、『ストーニー・バーク』という西部劇で、ジャック・ロードはすでに体験ずみだった。スティーヴ・マクギャレットで『ハワイ・ファイヴ・オー』に登場したとき、彼は四十七歳になっていた。
マクギャレットの周囲をかためていた常連たちは、ダニー・ウィリアムズという役名のジェームズ・マッカーサー。カム・フォン・チャンを演じたチン・ホー・ケリー。そしてズルによって演じられたコノ、といった人たちがいた。マクギャレットの天敵として犯罪を重ね、最終回でついに逮捕された男の名は、僕の記憶ではウォー・ファットといった。漢字だと和発と書いて、これはホノルルのダウンタウンにおそらくいまもあるはずの、中華料理の店の名とおなじではないか。
白人。ポリネシア系。中国系。絵に描いたような人種構成の彼らが、チームとして機能しては楽園の蛇を退治するドラマの内容は、これもまた絵に描いたように、当時という時代を映していた。環境問題。開発という破壊。麻薬のこと。政治がらみの暗殺。ヴェトナム帰還兵の問題。同性愛。こういった問題に犯罪がからみ、それを架空の警察チームが解決するのが、『ハワイ・ファイヴ・オー』というドラマだった。
警察のチームが主役として活躍する犯罪ドラマのTVシリーズとしては、いまもって史上最長だという、一九六八年から一九八〇年までの十二シーズンにわたって、『ハワイ・ファイヴ・オー』は続いた。たいへん人気があった。アメリカ国内ではごく最近まで、ザ・ファミリー・チャンネルで繰り返し放映されていた。ヴィデオでは、第一回めのパイロットも含めて、いくつかのエピソードが市販されている。
一九六八年が終わるまでに、『ハワイ・ファイヴ・オー』を僕は何度か見た。楽園の蛇退治のドラマと、それを演じている人たちが持っていた、実体のどこにもない架空感とが相互に補完し増幅し合い、ドラマの内容とその進行の緊密度を高めていた。絵解きとしてたいそうわかりやすいフォーミュラだったから、毎週の放映ごとに物語が完結するTVシリーズを、十年を越えて作ることは可能だった。
放映が開始された一九六八年の後半という時代の現実について考えてみると、その現実は架空のTVシリーズにとって、またとない現実の背景として機能していた、と僕はいま思う。
一九六八年は、じつにたいへんな年だった。アメリカ国内だけに範囲を限って列挙していくと、すべては三十年前のことであり、したがっていまは冷静に俯瞰出来ることばかりであるはずなのに、列挙されていく問題の大きさと複雑さとには、目まいに近いものを僕は感じる。
国際収支においてドルを防衛する必要を、アメリカは痛切に感じていた。プエブロ号という情報収集艦が北朝鮮に捕獲された。南ヴェトナムのソンミという村で、米軍が大量虐殺をおこなった事実が発覚した。国防長官のマクナマラが辞任した。ヴェトナムにおける米軍の死傷兵の数は十三万五千を越え、朝鮮戦争における死傷兵の数を上まわった。
金準備制度を撤廃する法律が成立した。アメリカはこのとき決定的に変質したと僕は思う。自分たちは自分の都合だけに合わせて好き勝手にやるという宣言が、金準備制度の撤廃だったのだから。大統領はヴェトナムの北爆を停止した。
キング牧師が暗殺された。アメリカの各地で黒人による暴動が起きた。公民権法が成立した。ロバート・ケネディが暗殺された。ワシントンで黒人による「貧者の行進」がおこなわれた。十パーセントの増税をきめた法律が成立した。