僕の姉に出来ないことはなにだろうか。政治や経済にはあまり縁がないから、財務長官になることは無理だね、と僕は彼女に冗談を言ったことがある。政治的なかけひきにも彼女は適していないから、たとえばファスト・レディにもなれない。
そのかわりに、彼女は空手の高段者だ。ジクンドーではブルース・リーの弟子で、ホノルルの市警察でかなりの期間、警官たちに格闘技を教えたことがある。居合抜きも日本で習った。日本を去ることになったとき、師匠はどうかここに留まって私のあとを継いでくれないか、と彼女に頼んだ。
合気道にも、なぜか、いつのまにか、ごく若い時期に、彼女は熟達した。射撃がうまい。ハンド・ガンもライフルも、巧みにこなす。これに関しては、アメリカ中西部の州のどこかで、女性の警官や刑事たちに、教官としての射撃術のすべてを教えた経歴を持つ。
ビリヤードはプロの腕前だ。実際にプロとして活躍していた時期がある。着物の着付け、お茶、花、琴、三味線など、どれでも彼女は先生になれる。昭和三十年代の日本の、もっとも好ましい女言葉を、彼女は端正に艶やかに喋ることが出来る。
コルト・ピースメーカーという通称の、六連発のリヴォルヴァーの早撃ちの名人だ。ウェスタン・ショーに加わってアメリカ各地を巡業していた時期がある。巡業と言えば、エルヴィス・プレスリーのそっくりさんのバンドで、姉はリード・ギターを担当していたこともある。たいていの楽器を彼女は巧みにこなす。単にこなすだけではなく、じつに味のある小気味のいい演奏をする。
ピアノは本職だ。サンフランシスコの由緒あるホテルのカクテル・ラウンジで、彼女はピアノを弾いていたことがある。と同時に、おなじ時期、サンフランシスコのジャズ・クラブで、彼女はハウス・ピアニストのひとりでもあった。トランペットを吹かせると、どこかチェット・ベイカーに似ている。
歌がうまい。いろんなふうに歌うことが出来る。だからどんな歌でも歌える。写真家の専属モデルを務めていた時期もあれば、水上ショーのメンバーに加わって、高飛び込みのスターだった時期もある。出来ること、そしてかつてしたことをあげていくと、かなりの数の列挙になる。あれも出来る、これも出来る、あれもしたことがある、これも経験がある、あそこにもいたし、そこにもいたことがある、というような列挙だ。
だから彼女は、二十代の十年間は、さまざまに職業を変えながら、アメリカ各地そしてヨーロッパを、転々として生活した。ハワイへ戻ってきたのは三十代に入ってからであり、そのときの彼女の職業は、さきほど書いたとおり、ホノルル・ポリースでのディフェンシヴ・コンバットの教官だった。そこから音楽の仕事へ転じ、いまはホテルで音楽監督をしている。ショーとして客に提供する音楽全般にかかわる責任者だ。
彼女は自分のことを、ハワイの日系娘のなんでも屋、と言っている。自分でそう言うのだから、おそらくその言いかたが正しいのだろう。気候的に地理的に、あるいは風土的に、自分にはハワイがもっとも適している、と彼女は言う。三十代の初めに到達した結論だそうだ。人と人との日常的な関係のありかたも、ハワイのそれがもっともいい、と彼女はいつも僕に言っている。
彼女に出来ること、あるいは彼女が得意としていることは、すべて肉体と深く関係している。つきつめていくと最後は、どれもみな、彼女の肉体の動きに帰結する。その彼女の肉体には、ハワイがもっとも適しているのだ。ハワイにおいて、彼女の体は、もっとも彼女らしく反応する。ハワイの日系娘とはそういう意味だ、と僕は解釈している。
彼女の肉体が彼女に命じるさまざまな動き。それらを正確にこなしていくとき、彼女の肉体は快感を感じるのではないか。そのときその瞬間において、絶対に必要とされている正確な肉体の動き。その必要に自分の肉体が正確に応えていく。そのことから最終的に彼女の精神なり心理なりが受け取る快感というもの。これだけを虚空のなかに標識のようにならべ、それらを彼女はひとつずつ、たどってきたのではないか。
彼女のこれまでの人生は、ひと言で表現するなら、彼女の肉体の正しい動きなのだ。的確な運動能力を必要とすること、たとえば空手やジクンドー、合気道、あるいはビリヤードや射撃、そして高飛び込みなどは、自分の体がどのように動けば文句なしの正解となるのかを、体ぜんたいで判断しつつ、同時にその判断のとおりに動くことによってすべてを表現するという、非常に多くの場合ほんの一瞬のうちに始まって終わって完結する、肉体の反射だ。
彼女の肉体はなにに反射しているのか。全身全霊をきわめて鋭敏で正確な受信機にして、必要な情報のすべてを自分の内部に集め、その蓄積を一瞬のうちに演算し、その結果のとおりに自分の体を動かす。自分の肉体に彼女はそのような反射をさせている。判断が正確ではないと、いくら体が動いても、そこにはなにものも生まれない。
受信機としての彼女ぜんたいの、受信能力の幅の広さ、受信の正確さ、一瞬のうちに必要な情報のすべてを体内に移植するスピードなどに関して、彼女はおそらく天才のような存在なのだろう。少なくとも僕との比較でなら、彼女は間違いなく天才だ。この才能を、ごく幼い頃から、日々刻々、彼女は鍛練し磨きをかけ、間口を広め奥行きを深めてきたはずだ。自覚はしていないとするなら、きわめて有効な無意識のうちに、彼女は三十代なかばの現在まで、そうしてきた。
日系娘のなんでも屋、と姉が自分を評価するとき、日系のという言葉の意味について、彼女はかつて僕に次のように説明した。