← Library‹ ラハイナまで来た理由 そこを滑り下りる遊び

海うみに沿そったハイウエイを北きたに向むかった。ハイウエイの西側にしがわには、丈たけの高たかい草くさや椰子やしの樹きの向むこうに、白しろい砕くだけ波なみの続つづく海うみが見みえていた。東側ひがしがわは、山脈さんみゃくの裾野すそのが平たいらになりきったあとに広ひろがる、ただの原野はらのだった。ごくたまに、対向たいこう車しゃとすれちがった。

さらに北きたへ向むかった。ハイウエイは直線ちょくせんになった。山裾やますそがハイウエイのすぐ近ちかくまで、届とどいていた。つかみどころのない、漠ばくとした無人むじんの光景こうけいが連続れんぞくした。風かぜがあった。島しまの北きただから、常つねに太平たいへい洋ようから強つよい風かぜを受うけていた。

やがてハイウエイは海うみを離はなれた。視界しかいは両側りょうがわとも砂糖さとうきび畑はたけとなった。このまま島しまの北端ほくたんを東側ひがしがわへまわりこんだところに、小ちいさな町まちがいまもあった。かつては砂糖さとう工場こうじょうがあり、一いち週間しゅうかんに一いち万まんトンの粗糖そとうを作つくっていたという。町まちへ入はいる少すこし手前てまえで、ハイウエイから脇道わきみちに出でて山やまなみに向むかった。

砂糖さとうきび畑はたけのなかの道路どうろを山裾やますそに向むかった。道路どうろは途中とちゅうまで舗装ほそうしてあった。その部分ぶぶんが終おわると、砕くだいた岩いわを敷しきつめた道みちへと変かわった。それもやがて終おわり、火山かざん質しつの赤土あかつちの道みちとなった。ミラーで見みる後方こうほうには、赤土あかつちの土埃つちぼこりが盛大せいだいに巻まき上あがっていた。

もっとも高たかいところで二百にひゃくメートルほどある、尾根おねの末端まったんのようなかたちをした部分ぶぶんが二に本ほん、山裾やますそから原野げんやに向むけてのびていた。道みちはそのあいだへと蛇行だこうし、ほどなくいきどまりとなった。片方かたほうの尾根おねの末端まったんは、さらにいくつかの小ちいさな峰みねへと、枝分えだわかれしていた。そのいくつかの峰みねのなかの、海うみを正面しょうめんに見みる峰みねの背せが、頂上ちょうじょうからいちばん下したまで、平坦へいたんな直線ちょくせんのスロープになっていた。スロープは三十さんじゅう度どほどの角度かくどだった。なにも知しらないままに観察かんさつしても、この峰みねの背せだけが妙みょうに平坦へいたんなスロープになっていることは、誰だれでもわかるはずだ。

ここは古代こだいのハワイの遺跡いせきだ。専門せんもん家かの入念にゅうねんな調査ちょうさによると、遺跡いせきではないという証拠しょうこはなにひとつ見みつからなかったという。だからこのスロープは遺跡いせきだ、と誰だれもが信しんじていた。しかしこの遺跡いせきの存在そんざいを知しっている人ひとはごく少すくない。観光かんこう案内あんないには出でていない。

カプリースを出でた僕ぼくは、草原そうげんのなかのあるかなきかの道みちを、スロープのある峰みねに向むけて歩あるいた。風かぜが強つよく吹ふいた。丈たけの高たかい草くさや灌木かんぼくが、風かぜの吹ふく方向ほうこうへいっせいになびいた。草くさや灌木かんぼくは峰みねのふもとまで続つづいた。高たかい樹きもあった。スロープのある峰みねの斜面しゃめんを、僕ぼくは頂上ちょうじょうに向むけて登のぼっていった。遠とおくから見みているとわからないが、登のぼるために斜面しゃめんを歩あるくと、その斜面しゃめんにはかつては簡単かんたんに階段かいだんがつけてあった事実じじつを、きわめて淡あわくではあるが、地面じめんに確認かくにんすることができた。

峰みねのもっとも高たかいところ、つまりスロープの頂上ちょうじょうまで、僕ぼくは登のぼりついた。風かぜがいっそう強つよく僕ぼくの全身ぜんしんを叩たたいた。山裾やますそにつながる尾根おねを背せにして、僕ぼくは遠とおくに太平たいへい洋ようを見みた。砂糖さとうきび畑はたけが視界しかいを埋うめていた。砂糖さとうきびとその無数むすうの葉はが風かぜを受うけとめていた。それらが波打なみうつ方向ほうこうが、風かぜの吹ふいていく方向ほうこうだった。砂糖さとうきびの海うみは、さまざまな方向ほうこうから同時どうじに、波打なみうった。

僕ぼくは山裾やますそに向むきなおってみた。山裾やますそはほとんど垂直すいちょくのような険けわしさで山脈さんみゃくへと立たち上あがっていた。そこに深ふかい谷たにが何なん本ほんも刻きざまれ、頂上ちょうじょうまで密生みっせいした樹きで深ふかく覆おおわれていた。人ひとをよせつけることのない、濃こい緑色みどりいろの要塞ようさいのように見みえた。

僕ぼくは体からだの向むきを変かえた。そして峰みねの背せにある直線ちょくせんのスロープを観察かんさつした。頂上ちょうじょうから見下みおろすと、スロープは完璧かんぺきな直線ちょくせんだった。幅はばは人ひとの体からだの横幅よこはばよりもわずかに広ひろい。スロープの平坦へいたんさは、舗装ほそうされた道路どうろに近ちかいものであることを、僕ぼくは知しった。

古代こだいのハワイ人にんたちは、このスロープを下したから頂上ちょうじょうに向むけて、作つくっていったという。峰みねの背せをおおまかな平たいらへと削けずったあと、スロープの基礎きそとなる土台どだいとして、大おおきな岩いわを土つちのなかへ埋うめるように、突つきかためた。スロープぜんたいにわたってこの作業さぎょうをおこない、その次つぎには小ちいさく砕くだいた岩いわを敷しきつめ、これも叩たたいて埋うめ込こみ、平坦へいたんにならした。起伏きふくなしの平坦へいたんな直線ちょくせんのスロープをひとつ作つくるのは、さほど面倒めんどうな作業さぎょうではなかったはずだ。人々ひとびとは楽たのしみながらその作業さぎょうをこなしたのではなかったか。

峰みねの背せのぜんたいを僕ぼくは歩あるいてみた。当然とうぜんのことだが、峰みねの背せは細長ほそながい土地とちだ。スロープの頂上ちょうじょうから奥おくに向むけて、細ほそく長ながい長ちょう方形ほうけいの平坦へいたんな土地とちが、二十にじゅうメートルほどの奥行おくゆきで横よこたわっていた。いちばん奥おくまでいくと、そこは山裾やますその急きゅう斜面しゃめんから脚あしのように張はり出だし、尾根おねと接続せつぞくしている部分ぶぶんだった。

風かぜが強つよい。その力ちからを全身ぜんしんに受うけていると、自分じぶんの体重たいじゅうが確実かくじつに少すこしだけ、軽かるくなったように感かんじた。そしてその軽かるさのぶんだけ、峰みねの上うえで自分じぶんは不ふ安定あんていだ。風かぜに下したからすくわれ、斜ななめにあるいは横よこへ、飛とばされそうになった。尾根おねとつながる部分ぶぶんにしゃがみ、僕ぼくは山脈さんみゃくの険けわしい斜面しゃめんを見上みあげた。

視覚しかくでとらえる険けわしさは、体からだの感覚かんかくのぜんたいでとらえる山やまなみの、途方とほうもない重量じゅうりょうだった。その重量じゅうりょうが自分じぶんの心理しんりのなかに入はいり込こむのを、僕ぼくは風かぜの力ちからとともに受うけとめた。視覚しかくをとおして山やまなみが自分じぶんにのしかかってくる。その自分じぶんは山やまなみの重量じゅうりょうと心理しんり的てきには同化どうかするのだが、風かぜの力ちからがその同化どうかを裏切うらぎり続つづける。山やまの体積たいせきと重量じゅうりょうを視覚しかくで受うけとめれば受うけとめるほど、風かぜに対たいして自分じぶんの体からだが軽かるくなっていく錯覚さっかくがあった。そのことに僕ぼくは緊張きんちょうした。山裾やますそのいちばん末端まったんの峰みねの上うえで、僕ぼくは自分じぶんの体からだのなかに浮遊ふゆうへのきっかけが蓄積ちくせきされていくのを自覚じかくした。

立たち上あがった僕ぼくは、スロープの始はじまりの部分ぶぶんへ歩あるいた。そしてそこに立たちどまり、スロープのぜんたいを見下みおろした。眼下がんかの原野げんやに向むけて落おちていく峰みねの背せの斜面しゃめんに、まっすぐで平坦へいたんなスロープは、明あきらかに人ひとによって作つくられたものの雰囲気ふんいきを、いまもはっきりと持もっていた。

スロープの長ながさは百ひゃく二十にじゅうメートルほどだろうか。最後さいごの二十にじゅうメートルほどは、なかば崩くずれつつ、丈たけの高たかい草くさや灌木かんぼくの茂しげみのなかに消きえていた。そのほかの部分ぶぶんは、一いち本ほんのスロープとして、完全かんぜんに見通みとおすことが出来できた。スロープの両側りょうがわには並木なみきのように樹きがつらなっていた。柳やなぎの樹きに似にていた。風かぜがなければ枝えだは地面じめんに向むけて垂たれる。スロープのぜんたいにわたって、いまはどの枝えだも風かぜにあおられ、スロープに対たいしてトンネルのようになっていた。

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