← Library‹ ラハイナまで来た理由 姉とエルヴィス・プレスリーの会話

僕ぼくの姉あねが三さん歳さいだったとき、彼女かのじょの母親ははおやのメロディという女性じょせいが死亡しぼうした。サンフランシスコの郊外こうがいをひとり自動じどう車しゃで走はしっていて、対向たいこう車しゃと正面しょうめん衝突しょうとつしたのだ。対向たいこう車しゃには三さん人にんの大学だいがく生せいが乗のっていた。その三さん人にんも命いのちを失うしなった。目撃もくげき者しゃはなかったが、現場げんばの様子ようすから判断はんだんして、対向たいこう車しゃがなんらかの理由りゆうで相手あいての車線しゃせんに入はいり、メロディが運転うんてんしていた自動じどう車しゃに衝突しょうとつした、ということだった。

姉あねの父親ちちおやはすぐに再婚さいこんした。そして次つぎの年としには僕ぼくという息子むすこを得えた。姉あねの舞子まいことは四よん歳さい違ちがいだ。そして僕ぼくが三さん歳さいのとき、僕ぼくの母親ははおやがこの世よを去さった。彼女かのじょの死因しいんも自動じどう車しゃ事故じこだった。このときは目撃もくげき者しゃが何なん人にんかいた。母ははにはなんら責任せきにんはなく、責任せきにんのすべては対向たいこう車しゃにある、と目撃もくげき者しゃたちの証言しょうげんは一致いっちしていた。対向たいこう車しゃを運転うんてんしていた男性だんせいも、病院びょういんに運はこばれたのちに死亡しぼうした。

このときから七十ななじゅう五ご歳さいで他界たかいするまで、姉あねと僕ぼくの父親ちちおやは、独身どくしんでとおした。姉あねと僕ぼくとは父親ちちおやがおなじで母親ははおやが違ちがう。どちらの母親ははおやも、僕ぼくあるいは姉あねが三さん歳さいのときに、亡なくなった。自分じぶんには責任せきにんのない自動じどう車しゃ事故じこであることも、似にていると言ゆうならそうも言いえた。

僕ぼくにとって父親ちちおやは、明あきらかに遠とおい存在そんざいだ。僕ぼくが成長せいちょうしていくあいだ、ずっといっしょにいたわけではない。離はなれていた期間きかんはかなりある。しかしそれは遠とおい理由りゆうではない。母親ははおやというインタフェイスを幼おさない頃ころに欠かいたままだったから、母親ははおやをとおして、あるいは母親ははおやとあわせてともに体験たいけんしていく父親ちちおやというものを、僕ぼくは知しらない。だから遠とおいのだ。姉あねに関かんしてもこのことはおなじだ。彼女かのじょ自身じしんがそう言いっていた。

父親ちちおやが亡なくなってまだ間まもない頃ころの、ある夜よるのことをいま僕ぼくは思おもい出だしている。父親ちちおやが修理しゅうりを頼たのんでおいたカプリース・クラシックをガレージから引ひき取とったすぐあとのことだ。ある夜よる、僕ぼくはその自動じどう車しゃにひとり乗のって、夜よるの島しまのハイウエイを走はしった。無謀むぼうなことは僕ぼくの性格せいかくとしてできないのだが、相当そうとうな高速こうそくで走はしったことは確たしかだ。

小ちいさな町まちとおなじく小ちいさな町まちとのあいだの、民家みんかは一いち軒けんもなく、街灯がいとうなどありっこない地点ちてんで、ふとカプリースを減速げんそくさせた。ペダルを踏ふまなければ減速げんそくは早はやく、そのあとすぐに停止ていししてしまう。ハイウエイの脇わきへ徐行じょこうしていき、そこに停とまってエンジンを切きった。

ドアを開ひらいて僕ぼくは外そとへ出でた。あたりは広ひろい無人むじんの夜よるだ。ヘッドライトを消けし、前方ぜんぽうに向むけて僕ぼくは歩あるいていった。しばらく歩あるいた。いっさいなにごとも起おきなかった。島しまをつつむ夜よるのなかに、僕ぼくは存在そんざいしていないも同然どうぜんだった。

そんな自分じぶんを感かんじながら立たちどまり、しばらくそこにいたあと、僕ぼくは自動じどう車しゃまで引ひき返かえした。カプリースの正面しょうめんに立たつと、グリルのあいだからエンジンの熱ねつが、僕ぼくの体からだに伝つたわってきた。手てをのばし、エンジン・フードに触ふれてみた。フードは熱あつかった。

運転うんてん席せきのグラヴ・コンパートメントには懐中かいちゅう電灯でんとうがあった。軍隊ぐんたいで使用しようされているのとおなじものだ。僕ぼくはスイッチをオンにしてみた。ハロゲン・ランプが鋭するどい明あかるさで灯ともった。夜よるのハイウエイとその周辺しゅうへんに、僕ぼくは光ひかりの束たばを向むけてみた。遠とおくには海うみがある。昼間ひるまなら見みえるはずだ。その方向ほうこうにも僕ぼくは光ひかりを向むけてみた。光ひかりは夜よるのなかに吸すい込こまれた。

島しまをほとんどひとまわりして、僕ぼくは家いえに戻もどった。晩年ばんねんの父親ちちおやがひとりで過すごした家いえだ。家いえには明あかりが灯ともっていた。出でていくときに僕ぼくがつけていった明あかりだ。そして家いえのなかには誰だれもいなかった。父親ちちおやはいるはずもなかった。いない、ということをとおして、僕ぼくは父親ちちおやの存在そんざいを感かんじる錯覚さっかくを、楽たのしむほかなかった。

また別べつの夜よるには、家いえのなかの明あかりをすべて消けし、ラジオでメインランドの野球やきゅう中継ちゅうけいを聴きく、ということも試ためしてみた。父親ちちおやがよくおこなっていたことだ。彼かれは野球やきゅうが好すきだった。受信じゅしん機きやアンテナなど、すべて父親ちちおやが自分じぶんで作つくったものだ。無線むせんは彼かれが生涯しょうがいにわたって続つづけた専門せんもんの仕事しごとだ。陸軍りくぐんを退役たいえきしたあとも、軍隊ぐんたいと密接みっせつにつながったきわめて高度こうどな領域りょういきで、彼かれは仕事しごとを続つづけた。

受信じゅしん機きの性能せいのうは恐おそろしいまでに高たかいのだろう、ビッグ・リーグの試合しあい中継ちゅうけいは、きわめて鮮明せんめいにくっきりと、夜よるの暗くらい部屋へやのなかにスピーカーから放はなたれた。その中継ちゅうけいを聴ききながら、球場きゅうじょうでおこなわれているプレーのディテールひとつひとつを頭あたまのなかに描えがいていく行為こういに没頭ぼっとうすることをとおして、ほんの一瞬いっしゅん、僕ぼくは父親ちちおやとおなじ人ひとになった錯覚さっかくを持もった。

子供こどもの頃ころにもっとも頻繁ひんぱんに遊あそんだ海岸かいがんは、マウイ島とうではフレミング・ビーチだと父親ちちおやは言いっていた。その海岸かいがんは僕ぼくも知しっているが、深ふかいなじみを持もつまでには、いたっていない。

ある暑あつい日ひ、僕ぼくはひとりでフレミング・ビーチへいってみた。波乗なみのりのトランクスにTシャツ。丸まるめたビーチ・マットを片腕かたうでにかかえ、駐車ちゅうしゃ場じょうから海岸かいがんに降おりた。あちこちに人ひとが数すう人にんずついるだけだった。適当てきとうな場所ばしょにマットを広ひろげてTシャツを脱ぬぎ、僕ぼくはマットの上うえに横よこたわった。

暑あつい日ひのマウイ島とうの陽ひざしを全身ぜんしんに受うけながら、僕ぼくはぼんやりとして過すごした。陽焼ひやけしていく速度そくどと深ふかさとを、体感たいかんすることが出来できた。ときどき海うみに入はいり、少すこしだけ泳およいだりした。波打なみうち際きわを歩あるき、熱あつい砂すなの上うえを最短さいたん距離きょりでマットまで戻もどった。

マットの上うえで僕ぼくは眠ねむくなった。なかば眠ねむりに落おちる瞬間しゅんかんが、何なん度ども連続れんぞくした。僕ぼくは寝返ねがえりを打うった。おなじ方向ほうこうに向むけて寝返ねがえりを繰くり返かえすと、僕ぼくの体からだはマットをはみ出でた。上体じょうたいが熱あつい砂すなと直接ちょくせつに触ふれ合あった。焼やけるように熱あついのを我慢がまんしながら、僕ぼくは顔かおを砂すなに接触せっしょくさせた。ごく軽かるく接触せっしょくさせてから、少すこしずつ頭あたまの重量じゅうりょうを砂すなに預あずけていった。

太陽たいようの光ひかりで存分ぞんぶんに熱ねっせられた砂すなの奥おくから、砂すなと太陽たいようの香かおりを僕ぼくは胸むねの内部ないぶに吸すい込こんだ。その呼吸こきゅうを何なん度どか重かさねていると、子供こどもの頃ころの父親ちちおやが親したしんだのは、間違まちがいなくこの香かおりなのだと、僕ぼくは自分じぶんに言いい聞きかせることができた。

田舎町いなかまちのどこかで、父親ちちおやとふたりでサイミンを食たべた午後ごごについて、なんの脈絡みゃくらくもなしに僕ぼくは思おもい出だす。小屋こやのような店みせだった。ほとんどのテーブルは屋外おくがいにあった。何なん本ほんかの大おおきな樹きに囲かこまれていて、頭上ずじょうで重かさなり合あう枝えだと無数むすうの葉はが、涼すずしい木陰こかげを作つくっていた。

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