目覚めに向けて浅くなっていく睡眠のなかで、僕は父親の足音を聴いた。アメリカの軍人が履く黒い革の靴の底が、板張りのフロアに接して作る足音だ。その靴のよく磨かれた黒い様子を、夢のなかに僕は見た。ポーチのドアが開く音、そしてそのドアが閉じる音に続いて、ポーチの階段を降りていく父親の足音を、僕は聴いた。そして目が覚めた。
僕はベッドに起き上がった。寝ていたければ寝ていろ、起こさないぞ。朝は久しぶりにジョージのところだ。昨夜、父親が寝る前に言ったことを、僕は思い出した。ジョージのところとは、マーモ・アンド・ケアワエの角にある軽食と雑貨の店だ。店主のジョージ沖中と僕の父親は幼なじみだ。今日の父親は朝食を彼の店で食べる。
ベッドを降りた僕は寝室を出た。廊下を歩いてキチンに入り、そこを斜めに横切ってふたたび廊下に出て、居間に入ろうとした。その僕が目にしたのは、空中に穏やかな弧を描いて飛んでいく新聞だった。朝刊の全ページを太い筒のように丸め、幅の広い輪ゴムで留めたものだ。その新聞が二十畳ほどの広さの居間を、いっぽうの端から他方の端に向けて飛んでいった。空中に描いた弧がもっとも高くなった瞬間、その高さは僕の目の位置とほぼおなじだった。
居間の奥の壁に寄せてソファが置いてあった。そのソファの上に丸められた新聞は落ちた。座る部分と背を預ける部分とが交差して作る角のところに、輪ゴムで留められた筒状の新聞は落下した。一瞬だけそこにはまり込み、そして跳ね上げられ、ふたたび落下してそこに静止した。ポーチの階段を降りきる父親の足音が僕に届いた。僕は居間に入り、そこを斜めに横切った。ポーチから正面のドアを入ったところには、フォイアーのような曖昧な板張りのスペースがあった。そこを越えてドアを開き、僕はポーチへと出た。オリーヴ・ドラブ色の平たくて大きなセダンが、階段のすぐ外にある道の縁から発進していくところだった。ナショナル・ガードの車ではないか。いまの父親とナショナル・ガードとのあいだに、どのような関係があるのか。走り去るそのセダンを見送りながら、父親が言ったとおりこれで二度と会えないかもしれない、と僕は思った。
居間へ引き返した僕は、奥の壁に寄せたソファの前に立った。丸めて輪ゴムをかけた今日のヒロの朝刊を、僕は見下ろした。二度と会えないかも知れない父親の、これが最後の名残となるか、などと僕は思った。丸められたこの新聞が居間の空間をソファに向けて飛んでいくのを見たとき、僕の心のなかをおなじように飛んで横切った懐かしい気持ちを、僕はひとりで反芻した。父親はいろんな物を投げる人だった。投げると言うか、あるいは放り出すと言うべきか、その場所まで持っていって置く、という手間を省く行為として、ごく幼い頃に僕は理解した。投げやりな態度、あるいは乱暴な気持ちなどのあらわれではなく、要するに投げるのだ。「キャッチ」という父親の言葉に振り向くと、僕に向けて飛んで来る思いもかけない物を空中に見る、という体験を幼い頃から何度となく僕は繰り返した。そのつど僕は、それを取り落とすことなく、空中で捕まえなくてはいけなかった。
キチンへいって冷蔵庫の冷たい水を飲み、寝室に戻って僕は服を着た。服と言っても、ジーンズに半袖シャツ、そして靴下にトレッキング・シューズだ。洗面室で髭を剃り、軽く歯を磨いた。正面の窓から見える空は曇っていた。さほど遠くないところに太平洋があり、曇り空は平凡な直線を介してその海と接していた。熱帯樹林が山なみのように重く横たわり、そこから手前に向けて、空き地とも農地ともつかない、起伏が細かく連続する土地が広がり、そのなかに平屋建ての倉庫のような建物、あるいは民家が、点在していた。
家のなかを僕はひとりで歩いてみた。間取りをくまなく見てまわった。アメリカ陸軍を除隊したあと、父親が建てた家だ。ここを生活の拠点にして、彼はヒロに小さな放送局を作った。自分の放送局を持つのは長年の夢だった、と父親は言っていた。けっして嘘ではないのだが、夢の実現だけではなかったのではないか、といまの僕は思っている。どこかでなにかが、陸軍の仕事と、極秘のうちにつながっていたのではないか。確かな根拠はなにもない。しかし父親はアメリカ陸軍で、高度な領域での通信の仕事を、専門に続けて来た人だ。
父親がその放送局を作ったのは五年前のことだ。そして三年前に彼はアメリカ陸軍に呼び戻された。所属や階級、仕事の内容など、いっさい彼は明かさなかったが、陸軍の人となったのは確かだ。この頃から母親との仲がうまくいかなくなった。放送局はいまでも彼が所有者だが、すべての実務は完全に人に任せている。陸軍に呼び戻された父親が局の仕事を離れた直後に、史上最高の強力な台風がハワイを襲った。地元の人々の安全と安心にかかわる情報の発信で、このときこの放送局は大活躍をし、英雄的であったとすら讃えられたほどだ。以後、この放送局は地元にとって、なくてはならないものとなり、ささやかながら経営は安定を続けている。
父親はこれから中東へいくという。ありとあらゆることが軍の機密であるらしく、中東のどこでなにをするのか、それがどのくらい続くのかなど、父親はいっさいを明らかにしないままだ。こちらからは連絡すら出来ないという。もう会えないかもしれないけれど、とにかく元気でいてくれ、と父親は言った。母親とは決定的に破綻し、彼らは離婚した。母親はいまホノルルにいる。この家はすでに引き払った。だからここに彼女のものはなにもない。