← Library‹ ラハイナまで来た理由 雛祭りに泣いた

異母いぼ姉あねの舞子まいこはホノルルで生うまれて九きゅう歳さいまでそこで育そだった。九きゅう歳さいのときに彼女かのじょは母親ははおやとともにカリフォルニアへ移うつった。そして十じゅう三さん歳さいのときに日本にっぽんへ来きた。彼女かのじょは十じゅう六ろく歳さいになるまで日本にっぽんにいた。大人おとなになるまでに少すくなくとも二に、三さん年ねんは、彼女かのじょを日本にっぽんで過すごさせたいと父親ちちおやは思おもい、そのとおりにした。

彼女かのじょが日本にっぽんへ来きたのは正月しょうがつが終おわって間まもない季節きせつだった。アメリカの海兵かいへい隊たいの基地きちのなかにある学校がっこうに、彼女かのじょはかよった。かようと言いっても、午後ごごから一日ついたちに二に時間じかんだけ、というような特殊とくしゅなクラスだったようだ。

一定いっていの範囲はんいをそのクラスで勉強べんきょうしたなら、試験しけんを受うける資格しかくが発生はっせいする。試験しけんに合格ごうかくすると、中ちゅう学校がっこうを卒業そつぎょうしたと認定にんていされ、正式せいしきな中学ちゅうがく卒業そつぎょう資格しかくが得えられる。日本にっぽんにいるあいだに、舞子まいこはアメリカの中学ちゅうがくをそのようにして卒業そつぎょうした。こういったことをなんの苦くもなくこなしてしまうのは、彼女かのじょが数多かずおおく持もっている才能さいのうのうちのひとつだ。

舞子まいこが住すんだのは僕ぼくたちの祖父そふの家いえだった。中国ちゅうごく山脈さんみゃくの南側みなみがわの山裾やますそが、瀬戸せと内海ないかいに向むけておだやかに消きえていく地形ちけいのほどよい中腹なかはらに、祖父そふはハワイの民家みんかを思おもわせる造つくりの山荘さんそうのような家いえを建たて、そこにひとりで住すんでいた。彼かれの妻つまはハワイに在住ざいじゅうしていたあいだに亡なくなった。

この自宅じたくとは別べつに、ハワイでの成功せいこうを人々ひとびとに見みせる証拠しょうこ物件ぶっけんとして、彼かれはすぐ近ちかくに大おおきな家いえを建たてた。商家しょうかでもなければ農家のうかでもない、おなじような部屋へやがいくつも連つらなる、コの字じ型がたをした大おおきくて重厚じゅうこうな家いえだ。コの字じが抱だき込こんだ広ひろい庭にわの向むこうにある離はなれに、当時とうじの僕ぼくは住すんでいた。舞子まいこは祖父そふの山荘さんそうに住すんだ。

雛祭ひなまつりの日ひが来きた。雛祭ひなまつりの日ひとはなになのか、そのときの僕ぼくはまだ知しらなかった。祖父そふの大おおきな家いえで、舞子まいこのための雛祭ひなまつりが、盛大せいだいにおこなわれた。その日ひは朝あさから、家いえのなかの雰囲気ふんいきが、いつもとはまるで異ことなっていた。見みたこともない人ひとたちが大勢おおぜいいた。雛祭ひなまつりの準備じゅんびを手伝てつだいに来きた人ひとたちだ。誰だれもが忙いそがしそうにしていた。学校がっこうは休やすみだった。僕ぼくは家いえにいた。

前日ぜんじつに舞子まいこはこの家いえに泊とまった。彼女かのじょの姿すがたは、しかし、僕ぼくが起おきたときから、どこにもなかった。午前ごぜん中ちゅうの時間じかんが過すぎていき、正午しょうごになった。舞子まいこの姿すがたはなかった。雛祭ひなまつりを手伝てつだいに来きた親戚しんせきの人ひとたちといっしょに、僕ぼくは昼食ちゅうしょくを食たべた。午後ごごが舞子まいこなしで経過けいかしていった。ときたまごく薄うすく陽ひの射さす、冬ふゆの名残なごりを充分じゅうぶんに残のこした、まだ寒さむい日ひだった。

短みじかい午後ごごが終おわり、曇くもっている空そらの下したに早はやい夕暮ゆうぐれが舞まい降おりるにつれ、九きゅう歳さいの僕ぼくは少すこしずつ不安ふあんになっていった。家いえのなかの様子ようすはいつもと違ちがうままだ。人ひとがたくさんいて、忙いそがしそうにしている。その忙いそがしさは、なにか目的もくてきがあるらしい。そしてその目的もくてきを僕ぼくは知しらない。いるはずの舞子まいこが、朝あさからどこにもいない。不安ふあんは僕ぼくの胸むねの底そこに定着ていちゃくし、その不安ふあんから欠落けつらく感かんが立たち上あがり始はじめた。生うまれて初はじめて体験たいけんする種類しゅるいの、不安ふあんと悲かなしさとにくるみ込こまれた、奇妙きみょうな欠落けつらく感かんだった。

ときたま顔かおを見みかける中年ちゅうねんの女性じょせいが、僕ぼくに白酒しろざけを飲のませてくれた。器うつわは美うつくしいものだったが、白酒しろざけの味あじは僕ぼくの好このみからは遠とおかった。親戚しんせきのひとりだと僕ぼくが聞きかされていたその女性じょせいは、僕ぼくを奥おくの座敷ざしきへ連つれていった。僕ぼくにはどれもまったくおなじにしか見みえない部屋へやを、ふたりでいくつもとおり抜ぬけていった。

襖ふすまを開ひらいては、ほの暗くらい部屋へやを横切よこぎって向むこうへ歩あるき、そこでも襖ふすまを開ひらく。そうすると、いまとおった部屋へやと寸分すんぶんたがわない部屋へやが、おなじほの暗くらさと匂においと冷つめたさで、僕ぼくを迎むかえた。ひとつの部屋へやを何なん度ども繰くり返かえし歩あるいているのではないか、と僕ぼくは思おもった。そのことの怖こわさに怯おびえるような気持きもちが、僕ぼくの頭あたまのなかに広ひろがっていった。

ひときわ大おおきな部屋へやに、僕ぼくは親戚しんせきの女性じょせいとともに入はいった。ほの暗くらい部屋へやのスペースを中央ちゅうおうで大おおきく占領せんりょうして、天井てんじょうまで届とどきそうな高たかさに、雛壇ひなだんが作つくってあった。雛壇ひなだんぜんたいが赤あかい布ぬのをかぶっていた。そしてどの段だんの上うえにも、雛飾ひなかざりがならんでいた。雛飾ひなかざりというものを僕ぼくはこのとき初はじめて見みた。すべてのものが静止せいししていた。雪洞ぼんぼりには明あかりが灯ともっていた。その明あかりも静しずかに止とまって見みえた。霊魂れいこんというものにもし明あかりがあるなら、それはこのような明あかりではないか、と幼おさない僕ぼくは思おもった。

たいへんに立派りっぱな作つくりの雛飾ひなかざりであることは、僕ぼくにもわかった。僕ぼくはただ圧倒あっとうされてそれを眺ながめた。部屋へやのなかぜんたいが異い次元じげんだった。いくつもの部屋へやの向むこうから、歌うたが聞きこえて来きた。そのときの僕ぼくはなんの歌うただか知しらなかったが、いまは知しっている。雛祭ひなまつりの歌うただ。幼おさない女おんなのこたちの合唱がっしょうによる歌うただった。

ひどく平面へいめん的てきな音おとに聞きこえた。部屋へやの襖ふすまが、あるいは天井てんじょうのぜんたいが、歌うたっているように感かんじた。僕ぼくの背丈せたけを越こえる大おおきさの、おごそかな箱はこのようなレコード・プレーヤーが、ずっと手前てまえの部屋へやにあることを僕ぼくは思おもい出だした。そのプレーヤーで再生さいせいされている、78回転かいてんのレコードによる雛祭ひなまつりの歌うただった。

歌うたはなぜか途中とちゅうで突然とつぜんに聞きこえなくなった。僕ぼくを雛飾ひなかざりの前まえまで連つれて来きた中年ちゅうねんの女性じょせいが、姿すがたを消けしていた。部屋へやぜんたいが悲かなしみの底そこへ沈しずんでいきつつあるように、僕ぼくは思おもった。見上みあげる雛壇ひなだんを中心ちゅうしんに、その悲かなしみは部屋へやのなかで静しずかに渦うずを巻まいていた。僕ぼくをとらえてその渦うずのなかに引ひき込こもうとする悲かなしみから、僕ぼくは逃にげた。

来きたときとおなじように、襖ふすまを開あけては隣となりの部屋へやに入はいり、その部屋へやを向むこうへ横切よこぎってふたたび襖ふすまを開ひらく。おなじ動作どうさを繰くり返かえしては、ほの暗くらい部屋へやをいくつも、僕ぼくはひとりで走はしった。雪洞ぼんぼりを左右さゆうにしたがえ、赤あかい布ぬのを被かぶった雛壇ひなだんとともに、すべての雛飾ひなかざりが僕ぼくを追おいかけて来くる、と僕ぼくは思おもった。朝あさから続つづいていた不安ふあん感かん、そしてその不安ふあん感かんから生うまれてすでに大おおきく育そだっていた欠落けつらく感かんは、悲かなしみに満みちた恐怖きょうふへと統合とうごうされ、頂点ちょうてんに達たっしていた。

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