朝食のあと、ぼくと彼女は外出した。予定は、ふたりとも、なにもなかった。どこへもいく必要はなかったし、なにをしなければいけない、というわけでもなかった。ぼくが友人から借りている一九六七年のフォードの2ドアに乗って、なんのあてもなく快晴の日の道路を走った。
「クリスマスが近いというのに、真夏のようだわ」
と、彼女が言った。
「でも、この島だと、本物の自然な気候だ、という感じは明確にあるから、クリスマスに泳げても、そういう気候に気持ちは完全になじめるね。たとえばLAだと、そうはいかないみたいだよ。LAでも、クリスマスに真夏みたいなときはあるけれど、まったく人工的な感触があって、気候でさえすべては造りものの嘘、という気持ちが抜けないんだ」
ぼくは、フォードのグラヴ・コンパートメントを開いた。この一九六七年の2ドアは、ある家の庭に長いあいだ停めたままだった。その家のいちばん幼い娘が、兎小屋のかわりに使っていた。昔の自動車を専門に扱う中古車のディーラーがひきとり、きれいに修復しなおした。臭いは消してあるのだが、たとえばいまのようにグラヴ・コンパートメントを開くと、その一瞬、いまでもかすかに兎の臭いがした。
「読書をしようか」
グラヴ・コンパートメントから双眼鏡を出して、ぼくは彼女に言った。
「読書?」
双眼鏡を、ぼくは彼女に手渡した。
「走っている自動車の、バンパー・スティッカーを読むんだよ。ほんとは、LAのフリーウエイを走りながらのほうが面白いのだけれど、ホノルルでも充分に楽しめる」
彼女は、双眼鏡を目にあてた。ぼくがホノルルで読んだバンパー・スティッカーの文句で、いまでも記憶しているひとつは、『これはなんのメッセージもない、ただのバンパー・スティッカーです』というものだ。オレンジ色の地に白い文字で抜いた、鮮やかなバンパー・スティッカーだった。
「読めるわ」
彼女が言った。
「『今日もまた楽園におけるくだらない一日』ですって」
双眼鏡を目にあてたまま、彼女は指さした。
「あの、グリーンのクライスラー」
「あそこの、まっ赤なスポーツ・タイプは?」
彼女は、その車に双眼鏡をむけた。
「『正しい道を走ってますか』というメッセージだわ。宗教的な意味も含ませてあるのかしら」
「きっと、そうだ。最近、そういうのが多いよ」
十年ほどまえのキャデラック・エルドラードが、ぼくたちを追い抜いていった。その車にも、後部バンパーにはスティッカーが貼ってあった。双眼鏡を使わなくても、読むことができた。『もしこれが読めるなら、車間距離のつめすぎだよ』という、この島に昔からある文句が、そのスティッカーには印刷してあった。
彼女は、再び双眼鏡を目にあてた。
「ほら、あった。宗教的なスティッカー」
マーシディーズ・ベンツのトランクの下端に、『汝イエスを愛するなら、ホーンを鳴らせ』と、スティッカーが貼ってあった。
「『血液は生命。人から人へ、手渡しなさい』というのがあるわ」
「そしてその隣りを見てごらん」
「左隣りかしら」
「そう」
「見えるわ。『人生は至難事』ですって」
かつてLAのフリーウエイを走りながら読んだバンパー・スティッカーのいくつかを、ぼくは思い出した。『回答として我々にあたえられたものがイエス・キリストであるならば、最初になされたそもそもの質問はいったいなにだったのか』というのがあったし、『私はあなたがたを愛しています。いまのとこは、そこまでで勘弁してください。イエス・キリスト』というのもあった。
ダイアモンド・ヘッドの北側、カイムキを抜けていき、フリーウエイが終わりになるあたりで、ぼくたちは決定的なバンパー・スティッカーを、ふたりで同時に読んだ。『クリスマス近し。メアリーのごとくあたえよ』と、そのスティッカーは主張していた。
「利己心のようなものを、自分の内部で完全に消してしまったメアリーに、すこしはならったらどうか、という意味だろうね」
「きっと、そうだわ」
「クリスマスは、女性にとって、大変な時期だね。メアリーが限りなくあたえる人だとすると、女性たちはなんらかのかたちで、そのメアリーのイメージを、クリスマスのときには引き受けなくてはいけない。自分の母や、そのさらに母親たちがクリスマスにおいて果たしてきた役割を、自分も果たさなくてはいけない。うまくそれができるかどうか、とても心配だし、クリスマスにむけての準備も、大変なんだ」
「すべての夢は女性がかなえてくれる、ということかしら」
「そんなふうに言ってもいい」
「おとぎ話のなかの出来事でしょう、それは」
「だから、もっと抽象的に考えればいいんだ。到達することなどとうてい不可能なほどの崇高な理想が、自分たちにとってまだ存在しているという事実を祝って、精神を高揚させる時期、それがクリスマス、というふうに」
「クリスマスに関して、最初の記憶というようなものは、あなたにもあるでしょう」
双眼鏡を手に持って膝を組み、彼女がぼくにきいた。
「あるよ」
「どんなものなの?」
「直径が十二インチのケーキだ」
「焼いてもらったのね」
「母親が焼いた。彼女の父親に手伝ってもらって。子供のひとりひとりに、直径十二インチのケーキを焼いて、しかもどんなケーキがいいか、子供のほうから注文を出すことができたんだ。そのケーキが、数あるプレゼントのなかでも、群を抜いて最高のものだった。プレゼントの最高位に、そのケーキがあるのさ」
「楽しいわね」
「ほかのプレゼントは、あまり好きではなかったね。両親もふくめて、幼い頃のぼくの周辺には、いろんなプレゼントをくれる人たちがたくさんいた。つまり、彼らは、子供の頃、プレゼントなどほとんどもらえなかったのだ。ぼくのために考えて買ってきてくれたプレゼントに関して、どの人も自信を持ってないことが、子供のぼくにさえ、痛いほどに伝わってきていた。そしてぼくは、どのプレゼントに対しても、うわあ、ぼくはこれが以前から欲しかったのです、と気持ちをこめて言わなければならないのが、つらかった。よろこんでもらう、という期待をはずしてしまうことはできないし」