← Library‹ 頬よせてホノルル アロハ・シャツは嘆いた

大学だいがくの構内こうないの制限せいげん速度そくどを下したまわる速度そくどで、ぼくはマーキュリーのマークゥイスを走はしらせていた。妹いもうとのヘレンから借かりた自動じどう車しゃだ。ヘレンはこの自動じどう車しゃを知人ちじんから買かったと言いっていた。彼女かのじょらしさをどこにも感かんじることのできない自動じどう車しゃだ。この大学だいがくで単位たんいを取とろうとしている彼女かのじょは、いまボストンへいっている。ボストンで、彼女かのじょは姉あねに会あっているはずだ。

広ひろい道路どうろの、右側みぎがわの歩道ほどうを、女性じょせいがひとり、むこうにむけて歩あるいていた。明あかるく強つよい陽ひざしのなかを、ほどよい風かぜが常つねに吹ふいていた。歩あるいていく彼女かのじょが着きている薄うすいドレスが、その風ふうにさまざまにはためいた。彼女かのじょのうしろ姿すがたを、ぼくは観察かんさつした。

完全かんぜんに成熟せいじゅくをとげた、大人おとなの女性じょせいのうしろ姿すがただった。ぜんたいのバランスの良よさは、心こころの内部ないぶの基本きほんがとっくにできあがっていることからくる落おち着つきへと、つながっていた。ゆっくりとした歩あるきかたのなかには、見みていて心地ここちよくなる一定いっていのリズムがあった。そしてそのリズムは、彼女かのじょが自分じぶん自身じしんで自分じぶんにために獲得かくとくした、ほかの誰だれのものでもない、きれいなリズムだった。

対向たいこう車線しゃせんを、一いち台だいの自動じどう車しゃが走はしってきた。深ふかいブルーの車体しゃたいが、陽光ようこうに鋭するどくきらめいた。歩あるいていく彼女かのじょとの距離きょりがつまり、彼女かのじょとすれちがう寸前すんぜん、その自動じどう車しゃのドライヴァーは、運転うんてん席せきのなかから歩道ほどうの彼女かのじょになにか叫さけんだ。すれちがって走はしり去さるその自動じどう車しゃに顔かおをむけ、彼女かのじょは笑顔えがおで手てを振ふった。彼女かのじょの薄うすいドレスが、その自動じどう車しゃのほうにむけて、いっせいにはためいた。

後方こうほうへ走はしり去さるその自動じどう車しゃを見送みおくりつつ、彼女かのじょはふりかえった。ぼくが乗のっているマーキュリー・マークゥイスを、彼女かのじょは目めにとめた。

ぼくは窓まどから右手みぎてを出だし、彼女かのじょに振ふってみせた。ぼくだということに気きづいた彼女かのじょも、手てをあげた。そして、歩道ほどうの縁えんへ出でてきた。彼女かのじょは、ドロシー・ミラーという。ヘレンにとっての、先生せんせいのひとりだ。

歩道ほどうの縁えんにただ立たっているだけでも、くっきりと輪郭りんかくの明確めいかくなドロシーにむけて、ぼくはマーキュリーを徐行じょこうさせていった。そして彼女かのじょのまえで停止ていしした。彼女かのじょは、優雅ゆうがに腰こしをかがめ、運転うんてん席せきのなかを笑顔えがおでのぞきこんだ。

「待まち合あわせの場所ばしょへむかおうとしていたところです」

と、ぼくは言いった。

「私わたくしもよ。いつもの建物たてものの、あのロビーへむかっているところだったの」

「乗のってください。送おくります」

「うしろの席せきに乗のってもいいかしら」

「どうぞ」

体からだをねじったぼくは、うしろのドアをドロシーのために開ひらいた。そのドアをさらに大おおきく開ひらいて、彼女かのじょはなかに入はいってきた。ドアを閉とじた。彼女かのじょの香水こうすいが、ほのかに香かおった。香かおりによって創つくりだされる世界せかいのずっと遠とおくまで、透明とうめい感かんがゆきわたっているような香かおりだった。

「あの建物たてものに、あなたはほかになにかご用ようがあるのかしら」

ゆっくり発進はっしんするマーキュリーのうしろの席せきから、ドロシーがきいた。

「いいえ。ぼくたちの待まち合あわせのために、ぼくはそこへむかっていたのです」

「そのあとは、なにか予定よていがあるの?」

「これといって、なにもないです」

「この車くるまのなかで、お話はなしをすることはできないかしら」

「いいですよ」

「カネオヘに到着とうちゃくするまで」

と、ドロシーは言いった。

「カネオヘまでいきたいのですか」

「そうなの」

「では、この車くるまを、運転うんてん手てつきのリムジーンだと思おもってください」

「まあ、よかった。うれしい」

「このまま、すぐにカネオヘにむかっていいのですか」

「いいのよ」

「どの道みちをとおりますか」

「私わたくしは、ウィルスン・トンネルが好すきなの」

「ぼくも、好すきです」

「フォーレスト・リザーヴのなかを抜ぬけていって、あのトンネルに入はいるあたりに、私わたくしはいつもスリルを感かんじるわ」

「ウィルスン・トンネルをとおるなら、リケリケ・ハイウエイですね。63号ごう線せん」

「そうよ」

「トンネルを出でるとすぐに、左ひだりへのカーヴがあって。あのあたりも、ぼくは好すきです。そのカーヴを越こえると、もうカネオヘですね」

「いまでは自分じぶんの日常にちじょうの世界せかいになってしまっているけれど、私わたくしにとっては、ウインドワード・オアフとか、カネオへとかの言葉ことばは、まるで魔法まほうのような力ちからを持もった言葉ことばだったのよ。だった、と過去かこ形けいで言ゆうけれど、いまでも、そうなの。このオアフ島とうのウインドワード(風上かざかみの)とは、いったいどんな場所ばしょなのかと、地図ちずを眺ながめては、いろんなふうに想像そうぞうしてたわ」

「リーワード(風下かざしもの)もありますよ」

「風下かざしもとなると、なんだかすこしだけ散文さんぶん的てきで、ウインドワードほどにはロマンティックではないわね。私わたくしにとって、もっともロマンティックなのは、トレード・ウインド(貿易ぼうえき風ふう)という言葉ことばなの。中西部ちゅうせいぶのまっただなかで、私わたくしはハワイからのラジオ番組ばんぐみを聴ききながら、貿易ぼうえき風ふう、貿易ぼうえき風ふうと、まるでおまじないのように、いつもとなえていたのよ」

ぼくがドロシーにこうして親したしく会あうのは、今日きょうで三さん度どめだ。彼女かのじょの個人こじん的てきなことがらに関かんして、ぼくはほとんどなにも知しらない。ヘレンが間接かんせつ的てきに紹介しょうかいしてくれて、知しり合あったばかりだ。ドロシーが中西部ちゅうせいぶの出身しゅっしんだということを、ぼくはいまはじめて知しった。

「ハワイからのラジオ番組ばんぐみですか」

ぼくが、きいた。

「そうよ」

「なんという番組ばんぐみだったのですか」

番組ばんぐみのタイトルを、彼女かのじょは答こたえた。

「毎週まいしゅう、欠かかすことなく、私わたくしはその番組ばんぐみを聴きいたわ。聴きいては聴きいては、想像そうぞうしてたのよ。高たかく空そらにむけてのびている椰子やしの樹きの頂上ちょうじょうを吹ふき抜ぬけていく貿易ぼうえき風ふうは、いったいどのような感触かんしょくの風ふうなのかと、そればっかり考かんがえていたわ」

「その番組ばんぐみは、一いち九きゅう三さん五ご年ねんから一いち九きゅう七なな五ご年ねんまで続つづいたのです。アメリカの、ほとんどどこにいても、その番組ばんぐみをラジオで聴きくことのできた時期じきがあったのです。ぼくの父親ちちおやは、よくその番組ばんぐみに出演しゅつえんしてたのですよ」

「なんですって!」

ドロシーが、叫さけんだ。

「ぼくの父親ちちおやがその番組ばんぐみのなかで楽器がっきを演奏えんそうするのを、きっと聴きいているはずです」

ドロシーは、驚おどろいていた。驚愕きょうがくしていた、と言いってもよかった。ぼくの父親ちちおやがその番組ばんぐみに出演しゅつえんしていた時期じきと、自分じぶんが北きたアメリカ中西部ちゅうせいぶのまんなかでその番組ばんぐみを熱心ねっしんに聴きいていた時期じきとを、ドロシーは重かさねあわせてみた。かなりの長ながさにわたって、重かさなり合あう期間きかんがあった。

「あなたのお父ちちさんが、あの番組ばんぐみに出演しゅつえんしていたのですって?」

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