今日は雨の日だ。午後一時近く、ぼくはカメハメハ・ハイウエイを北にむけて走っていた。いまは使用されていず、放置されたままとなっている小さな飛行場をひとりでながめたあと、ふたたびハイウエイにもどり、北にむかっていた。
雨は、それほど強くはなかった。腰をすえて降りつづけるといった気配の、安定した降りかたの雨だ。空は灰色であり、ハイウエイの右側の奥に海岸線に沿ってのびる山なみの頂上は、その灰色の空のなかにのみこまれていた。
正面のガラスが、雨滴を受けとめていた。ワイパーがそれをぬぐい、ワイパーのブレードが届かないところでは、雨滴はガラスの表面に薄くひきのばされ、たいていの場合、その薄い水の膜は横に流れた。
いまはもう操業していない砂糖の精製工場の煙突が、雨に煙るむこうに見えてきた。砂糖の出来るまでを観光客に見せる博物館のようなものに、この工場はすでに転身していた。
工場に入っていく道路のひとつ手まえのわき道へ、ぼくのフォード・グラナーダは入っていった。ほんのすこしだけ走ると、右側に木造平屋建ての長い建物があった。この建物の手まえ半分は、建築請け負い業を営んでいる人の事務所になっていた。そしてむこう半分は、バーと食堂だ。
バーと食堂とは、調理場を介してつながっていた。調理場からバーに入ってくると、壁に沿ってカウンターがあり、そのカウンターのすぐまえに、ビリアード・テーブルがひとつあった。天井からビリアード・テーブルの中央へ、ランプがひとつ、低く下がっていた。がらんと広い店のなかに、テーブルがいくつかあり、そろっていない椅子が、それぞれのテーブルを囲んでいた。店のいちばん奥に、もうひとつ、ビリアード・テーブルがあった。
食堂は、カウンターがL字の形にあるだけの、せまい店だ。調理場から出てくるとそこはカウンターのなかであり、カウンターを介して店のなかぜんたいを見渡すことが出来た。カウンターは、正面のドアから入って右側にあった。カウンターのうしろにあたるスペースは、本来は菓子類を売るためのガラス・ケースを置くためのものだが、いまは段ボール箱その他が雑然と重ねて置いてあった。そのむこうの壁には大きな窓があり、正面のドアの両側も、大きなガラスのはまった窓だ。
店のまえの駐車場には、古びたピックアップ・トラックが一台、停まっていた。白く仕切りの線が引いてあるスペースの外に、少人数の観光客を乗せて案内するための小型のバスが一台、斜めに停まって雨を受けていた。運転席のドアが開いていて、その開いたドアのすぐまえに、クライスラーのセダンが一台、バスと斜めにむきあうようにして、停まっていた。セダンのドアも、開いていた。助手席にいるポリネシア系の男性が、バスの運転席にいるおなじくポリネシア系の男性と、話をしていた。
ピックアップ・トラックから一台分だけスペースをとってフォード・グラナーダを停めたぼくは、自動車の外に出た。雨のなかを歩き、店のまえの階段をあがった。ドアを開き、店のなかに入った。
笑い声が最高点まで高まった瞬間だった。カウンターの席にならんですわっていた六人の白人中年女性たちが、全員いっせいに、大声で笑っていたのだ。
ほのかに微笑しながら、ぼくはカウンターの端の席にすわった。ぼくの右隣りには、小柄な白人の青年がいた。彼はぼくに顔をむけ、軽く会釈した。ぼくも、表情だけで、やあ、と言った。
六人の白人中年女性たちが、再び、いっせいに笑った。六人のうちのひとりが言ったことに、全員が大声で笑って反応したのだ。白人青年は、肩をすぼめてみせた。カウンターのなかの、むこうの端で、この簡易食堂の日系の店主がカウンターに両手をつき、六人の白人女性たちを静かに見ていた。
女性たちは、ストゥールを降りた。いまこの六人だけに通用している冗談に、六人がそれぞれに笑いながら、ドアにむかって歩いた。彼女たちは、ふりかえって店主に華やかに挨拶をした。奥の調理場のドアから出て来た日系の女性にも、手を振ったり笑いながら冗談を言った。店主の奥さんらしい年齢のその日系の女性は、おだやかな笑顔で白人の女性たちを見送った。
女性たちは、ぼくのうしろを一列になって歩いていった。彼女たちが着ている、それぞれに華やかで鮮明な色と柄の服が、ぼくの周辺視界のなかを正面のドアにむけて動いていった。彼女たちは、店を出た。
外にとまっていた小型の観光バスが、ドアのすぐまえまで、まわりこんで来ていた。女性たちは、雨のなかを、そのバスに乗りこんだ。全員が乗ってドアを閉じ、バスは発進した。ドライヴァーが、ぼくのほうを見ていた。ぼくは、手を振った。ドライヴァーは、退屈そうにウインクをしてみせた。
バスは窓ごしの視界から見えなくなり、そのあとを追って、クライスラーのセダンも、雨を受けとめながら、ゆっくりと走っていった。
店のなかは、静かになった。ぼくと白人青年とは、顔を見合わせた。どちらからともなく、苦笑した。店主が、その苦笑に加わった。
「平和なにぎやかさというものも、なかなか捨てがたいけれど、平和な静かさというものも、やはりいいものだね」
と、白人の青年が言った。店主も含めて、ぼくたちは彼の意見に賛成だった。
店主が、ぼくのまえに来た。
「こんな時間でも、ドーナツはありますか」
と、ぼくはきいた。
店主は、うなずいた。そして、
「YEAH」
と、こたえた。四文字で出来ている平凡なひと言による返事だったが、ハワイに生まれて育った日系の二世の発音として、完璧だった。その完璧さのなかに、ぼくは懐かしさを覚えた。
「それから、コーヒーと」
「OK」
店主はカウンターのなかをまっすぐむこうへ歩き、ドアから調理場に姿を消した。
肩ごしにふりかえって、ぼくは窓の外を見た。雨が降っていた。その雨を、ぼくは見た。しばらく雨を見てから、体のむきを変え、カウンターに両肘をついた。水の入っているグラスを持ち、アイス・ウォーターを飲んだ。
「この雨は、なかなかのものだね」
と、白人青年が言った。
ぼくは、彼に顔をむけた。
「雨は好きかい」
と、微笑しながらぼくはきいた。