← Library‹ 時差のないふたつの島 17

雲くもが動うごいている。雨あめの雲くもだ。広ひろがっている雲くもの底辺ていへんの大おおきさは、たとえばメイジャー・リーグの野球やきゅうのためのボール・パークの、五ご倍ばいはあるだろうか。ぜんたいが、濃こい灰色はいいろだ。青あおい空そらのかなり低ひくいところを、山やまのむこうからその雲くもは動うごいて来きた。

その雲くもは、やや東ひがしへそれつつ、南みなみへむかって移動いどうしている。コオラウ山脈さんみゃくの南みなみ、尾根おねの南側みなみがわの険けわしいスロープの上空じょうくうに、その雲くもはある。地図ちずで見みると、ホノルル・ウォーターシェッド・フォレスト・リザーヴと出でているスロープの上空じょうくうだ。

雲くもは、アレワ・ハイツの上空じょうくうにさしかかっている。パラマをかすめて南みなみへ下くだっていき、パンチ・ボウルににわか雨あめを降ふらせつつ、ルナリロ・ハイウエイの上空じょうくうを斜ななめに横切よこぎるだろう。雲くもが上空じょうくうにあるあたりだけ、そのハイウエイには、ほんのしばらくのあいだ、雨あめが降ふる。雲くもはさらに南みなみに下くだり、アラモアナ・パークのほぼぜんたいに雨あめを降ふらせながら、ワイキキの手てまえで、海うみの上うえに出でるだろう。ワイキキの西にしのはずれに、ほんのすこしだけ、雨あめが落おちるかもしれない。

いま南みなみにむけて動うごいていく雲くもが降ふらせるような雨あめを、なに雨あめと言いえばいいのだろうか。にわか雨あめの、もっと短みじかいものだ。あるときさあっと降おりはじめ、雲くもが移動いどうしてしまうと、あっさりととまってしまう。そのひとかたまりの雲くもだけが濃こい灰色はいいろであり、そのほかは、完璧かんぺきな晴天せいてんの、青あおく輝かがやく空そらなのだ。見渡みわたす空そらぜんたいが雨あめの雲くもにおおわれているなら、にわか雨あめと呼よんでもいいと思おもう。しかし、ひとかたまりの雲くもの周囲しゅういはすべて晴天せいてんであり、その晴天せいてんがどちらの方向ほうこうにも広ひろく見みえているのだから、いくら雨あめの雲くもが上空じょうくうに来きて、そのときいくら雨あめが降ふろうとも、にわか雨あめとは呼よびにくい。動うごいていく雲くもの下したにだけ降ふる、ほんのちょっとした雨あめを言いいあらわす言葉ことばが、たとえばハワイ語ごにあるだろうか。

フォード・グラナーダで走はしっているぼくから、その雨あめの雲くもは、ぜんたいがはっきりと見みえた。雲くもの動うごいていくスピードと方向ほうこう、そしてぼくがむかっている方向ほうこうとを考かんがえあわせると、ぼくのフォード・グラナーダは、その雨雲あまぐもの下したをかいくぐることになりそうだ。まもなく、ぼくとその雲くもとは、交差こうさする。

往復おうふく六ろく車線しゃせんの道路どうろに、交差こうさ点てんがあった。その交差こうさ点てんに入はいっていく自動じどう車しゃにとっての信号しんごうが、オレンジ色いろになっていた。ぼくは、グラナーダを減速げんそくさせた。信号しんごうは、赤あかとなった。

横断おうだん歩道ほどうのこちら側がわに、ぼくはグラナーダをとめた。そこにとまっている自動じどう車しゃは、ぼくのグラナーダだけだった。道路どうろの左側ひだりがわから、若わかい女性じょせいがふたり、横断おうだん歩道ほどうを渡わたって来きた。自動じどう車しゃにとって赤せき信号しんごうのその交差こうさ点てんの横断おうだん歩道ほどうを渡わたっていきつつあるのは、そのふたりの女性じょせいだけだった。明あかるく強つよい陽ひざしのなかを、彼女かのじょたちは歩あるいた。ぼくのグラナーダのまえを通とおりすぎていった。

ふたりとも、白人はくじんの女性じょせいだった。オフィスで働はたらいている人ひとのような服装ふくそうをしていた。ひとりが熱心ねっしんになにか喋しゃべり、もうひとりは喉のどをいっぱいにのばして、空そらを仰あおいでいた。

グラナーダのまえを通とおりすぎ、道路どうろの反対はんたい側がわにむかっていく彼女かのじょたちを見みながら、ぼくは、ヘッドライトを一いち度どだけ、点滅てんめつさせた。ストッキングにつつまれたふたりのふくらはぎが、ヘッドライトの光ひかりを受うけて、一瞬いっしゅん、明あかるい陽ひざしのなかで鈍にぶく光ひかった。

冬ふゆのデトロイトでおなじようなことをやってみたときのことを、ぼくは思おもい出だした。あのときも、横断おうだん歩道ほどうのこちら側がわにとまって信号しんごうがグリーンに戻もどるのを待まっていたのは、ぼくの自動じどう車しゃだけだった。そして、あのとき横断おうだん歩道ほどうを渡わたっていったのは、痩やせて背せの低ひくいおばあさんだった。

おばあさんがぼくの自動じどう車しゃのまえを通とおりすぎてさらに二に、三さん歩ほ、彼女かのじょが歩あるいてから、ぼくは、ヘッドライトを一いち度どだけ、点滅てんめつさせてみた。なんの意味いみもなく、ただそうしてみただけだ。

道路どうろのむこう側がわにむけて歩あるいていたそのおばあさんは、ヘッドライトの点滅てんめつに気きづいた。くるっとむきを変かえた彼女かのじょは、ぼくの自動じどう車しゃにむかってまっすぐに歩あるいてきた。右腕みぎうでを大おおきくふり上あげ、そしてふり降おろし、ぴんとのばした人ひとさし指ゆびでぼくを差さし示しめした。もう一いち度どおなじ動作どうさをくりかえしてぼくを人ひとさし指ゆびで突つき刺ささんばかりに差さし示しめした彼女かのじょは、

「いま、なぜ、あなたは、あんなことをしたのか」

と、きわめて鋭するどい口調くちょうでぼくに詰問きつもんした。

運転うんてん席せきのドアの外そとに立たち、再ふたたび腕うでをふり上あげ、ふり降おろし、しわだらけの人ひとさし指ゆびでぼくの顔かおのまんなかを差さし示しめし、

「なぜ、いま、あなたは、あんなことをしたのか」

と、おばあさんは、おなじ言葉ことばをくりかえした。おばあさんは、怒おこっているように見みえた。

「道みちを照てらしてあげようかと思おもったのです」

と、ぼくは、とっさの思おもいつきを言葉ことばにした。デトロイトの冬ふゆ、その日ひの午後ごごは、うす暗ぐらかった。そのうす暗ぐらさに触発しょくはつされた、思おもいつきの返答へんとうだった。

「道みちを照てらすことの出来できるのは、天上てんじょうの神かみのみです」

と、おばあさんは、ぼくをにらんで厳きびしく言いった。

ぼくは自分じぶんの軽率けいそつな言動げんどうを謝あやまり、おばあさんは気持きもちがおさまったのだろう、さきほどとおなじようにくるっとむきを変かえると、なにごともなかったかのように、道路どうろのむこう側がわにむけて歩あるいていった。

交差こうさ点てんの信号しんごうが、グリーンに戻もどった。ぼくは、フォード・グラナーダを発進はっしんさせた。走はしりはじめてすぐに、正面しょうめんのガラスに、左ひだりの縁えんから右みぎの縁えんにむけて、さあっと、雨滴うてきがいくつも降ふりかかった。雨滴うてきは、ガラスの上うえに点々てんてんととまった。その上うえにさらにもう一いち度ど、雨あめが降ふりかかった。雨あめの雲くもは、ぼくが走はしっている道路どうろのほぼ上空じょうくうに来きていた。やがて、ガラスぜんたいが雨滴うてきで埋うまっていった。

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