← Library‹ 時差のないふたつの島 20

聴きいてくれている人ひとたちを、たちまちにして過去かこへ連つれ去さることを唯一ゆいいつの目的もくてきとしている私わたくしたち、および私わたくしたちの局つぼね、といううたい文句もんくのそのAM局きょくは、今日こんにち、火曜かよう日ひの午後ごご二に時じすぎ、ジョニー・ホリデーという名前なまえのついているDJが、リスナーたちを一いち九きゅう六ろく四よん年ねんへ連つれもどそうとしていた。

一いち九きゅう二に〇れい年ねん代だいから一いち九きゅう七なな〇れい年ねん代だいまでの五十ごじゅう年間ねんかんが、このAM局きょくが扱あつかう領域りょういきだ。この五十ごじゅう年間ねんかんのなかからさまざまに時代じだいをこまかく区切くぎっては、その区切くぎった期間きかんのなかでのヒット・パレードを、出来できるかぎり当時とうじの雰囲気ふんいきそのままに、DJが再現さいげんしてみせる。あるいは、かつて北きたアメリカの各地かくちで実際じっさいにラジオ局きょくで放送ほうそうされたDJ番組ばんぐみやヒット・パレード番組ばんぐみのテープを手てに入いれてきて、それをそのまま放送ほうそうする。そのままと言いってもたとえば当時とうじのコマーシャルは使用しよう出来できないから、その部分ぶぶんは編集へんしゅうでとりのぞいてしまう。番組ばんぐみの途中とちゅうに入はいってくるアナウンスメントや短みじかい臨時りんじニュースなどは、しかし、当時とうじのままにしてある。権利けんり関係かんけいや契約けいやくが複雑ふくざつで、昔むかしのオン・エア・テープをそのまま使つかうことが出来できない場合ばあいは、そのテープをもとに、当時とうじのDJの雰囲気ふんいきや喋しゃべりかたをうまく真似まねすることの出来できるDJが、当時とうじをシミュレートしてテープを作つくっていく。そして、それを放送ほうそうする。現在げんざいのアナウンスメントや現在げんざいのニュースを流ながすときには、その前後ぜんごでアナウンサーがしつこくその旨むね、ことわっている。

一いち九きゅう六ろく四よん年ねん、オハイオ州しゅうクリーヴランドのWHKというAM局きょくでDJとして活躍かつやくしていたジョニー・ホリデーのヒット・パレード番組ばんぐみは、一いち九きゅう六ろく四よん年ねんに実際じっさいにオン・エアされたテープをそのまま使つかっての放送ほうそうだという。

一いち九きゅう六ろく四よん年ねん。遠とおい昔むかしだ。ほとんどなにも覚おぼえていない。ときとして、ぼくたちは、あまりにも速すみやかに、さまざまなことを忘わすれてしまうようだ。

ジョニー・ホリデーのDJと、彼かれがつづっていくヒット・パレードを聴きいていると、忘わすれていたさまざまなことをすこしは思おもい出だすだろうか。かんかん照てりの暑あつい日ひの昼寝ひるねにちょうどいい番組ばんぐみだが、ぼくはフォード・グラナーダでホノルルの一角いっかくを走はしっている。どこかへむかっているわけではない。グラナーダで走はしる目的もくてきは、なにもない。しいて目的もくてきをあげるなら、ひとつまえの第だい十じゅう九きゅう章しょうでその発端ほったんだけをとりあえずぼくが書かいたようなストーリーを、さて、どうやってふくらまし、どんなふうに構成こうせいし、登場とうじょう人物じんぶつたちをどのように造形ぞうけいし、ディテールをどんなふうに決きめていけばいいのかというようなことに関かんして、フォード・グラナーダのなかでぼんやりと考かんがえをめぐらすことだ。こんなふうになんの用ようもなしに自動じどう車しゃで走はしっているとき、ぼくはいいアイディアを思おもいつくことが多おおい。

一いち九きゅう六ろく四よん年ねん、オハイオ州しゅうクリーヴランドのWHK局きょく、ジョニー・ホリデーのヒット・パレード番組ばんぐみでは、ボブ・アンド・アールの『ハーレム・シャフル』が終おわったところだ。この曲きょくの名前なまえは、何なん度ども聞きいたことがある。しかし、曲きょく自体じたいをはじめから終おわりまでカー・ラジオで聴ききとおしても、ぼくの内部ないぶでは一いち九きゅう六ろく四よん年ねんとつながってはこなかった。

地元じもとウォーレンズヴィル・ハイツにある同名どうめいのハイスクールのバスケット・ボール・チームを讃たたえる歌うたのあと、ステーション・ジングルに続つづいて、メリー・ウエルズの『マイ・ガイ』という歌うたが、はじまった。

この歌うたは、何なん度ども聞きいたことがある。ただし、聞きいた回数かいすうのうち、メリー・ウエルズによるのが半分はんぶん、そして残のこりの半分はんぶんは、スモーキー・ロビンスンによるものだろう。

メリー・ウエルズの歌うたの、最後さいごの音おとが消きえかかると同時どうじに、その音おとの上うえに、バドワイザーのコマーシャルが重かさなった。一いち九きゅう六ろく四よん年ねんといえば、偉大いだいなる社会しゃかいやトンキン湾わん事件じけんをぼくでも思おもい出だすが、そんなこととはまったく関係かんけいがないような、まるで反対はんたいの方向ほうこうへ底抜そこぬけに徹底てっていしたようなコマーシャルだった。

WHK局きょくのニュース番組ばんぐみのコマーシャルに続つづいて、歌うたはホンデルズの『リトル・ホンダ』だった。ホンダをもじって、ホンデルズなのだ。この歌うたのずっとむこうに、たとえば、一いち九きゅう六ろく四よん年ねんの夏なつ、ハーレムで起おこった黒人こくじんの暴動ぼうどうを、『タイム』や『ニューズウィーク』に掲載けいさいされた何なん枚まいもの写真しゃしんとして、ぼくは思おもい出だす。

ザ・デキシー・カップスの『愛あいの教会きょうかい』をへて、一いち九きゅう六ろく四よん年ねんモデルのランブラーのコマーシャルを聞きいたりすると、当時とうじがようやくすこしだけ蘇よみがえってくる。ランブラーのコマーシャルのなかでは歌うたが使用しようされていたが、この歌うたは一いち九きゅう五ご八はち年ねんのヒット曲きょく『ビープ・ビープ』に、コマーシャルとしての詞しをつけなおしたものだ。

続つづいて、レニー・ウエルチの『きみに惚ほれて以後いご』という歌うたがかかった。きみに惚ほれて以来いらい、せつなくて苦くるしくてかなわん、という内容ないようの、とてもよく出来できたメロディー・ラインを持もったバラッドだ。

バラッドのあとは、ソーセージのコマーシャルだった。地元じもとクリーヴランドで一いち九きゅう六ろく四よん年ねんに人々ひとびとの人気にんきを集あつめていた、カーンズのウイーナ・ソーセージは赤あかいばらのマークだったという。カーンズのスペリングは、ケイ・エイ・エイチ・エヌ・アポストロフィ・エス。このカーンズのウイーナがいかに美味びみであるかを説得せっとくするために使用しようされるいくつもの言葉ことばを、ひとつひとつ浮うけとめていたら、ぼくはソーセージを食たべたくなった。

ソーセージのコマーシャルと連続れんぞくして、突然とつぜん、小ちいさな子供こどもが口くちをきいた。やっと言葉ことばを喋しゃべることが出来できるようになった年齢ねんれいの子供こどもが、

「うちのママはWHKレイディオを聴きいてます」

と、言いった。WHK局きょくの、プロモだ。大事だいじなひと言ことを喋しゃべったその小ちいさな子供こどもの性別せいべつは、見当けんとうがつかなかった。

ベティ・エヴェレットの『シュープ・シュープ・ソング』が続つづいた。タイトルには、記憶きおくがある。しかし、歌うたった女性じょせいの名前なまえ、ベティ・エヴェレットをも思おもい出だすことは、ぼくには出来できない。

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