ぼくがこれから書くストーリーの、これまでに作り得たアウトラインをひとつの円だとすると、その円は、おおまかではあるけれども誰の目にも円に見えるまでに、すでに成長している。ひとつの円形が、ぼくの手もとにある。
そのおおまかな円のうち、およそ半分は、ハンナとの会話で、内部を埋めることが出来た。残りの半分をぼくならぼくがひとりで作ると、円の内部はいちおう埋まる。そのことによって、おおまかな円は、さらにきれいな円になっていくだろう。ぜんたいの輪郭が出来たなら、円の内部のあちことにあるはずのたくさんの隙間を、ひとつずつ埋めていけば、やがて準備はすべて調う。
会話を適当なところで切りあげ、ぼくはハンナの家を出た。ポーチまで、彼女が見送ってくれた。今夜の夕食は、早めの時間にふたりでとることを、ぼくと彼女は約束した。待ち合わせの場所と時間とを、ぼくたちは決めた。
ハンナが借りている家のドライヴ・ウエイから道路へ、リヴァース・ギアでグラナーダを出していきながら、ぼくは庭ぜんたいの造りを観察した。たとえば夜遅くに自動車で帰って来たとして、その自動車を庭に停め、正面のポーチから家のなかに入るまで、その人には照明が当たり続けるような造りになっていた。そして、その人の姿は、いろんな方向から見とおすことが出来るし、その人から見て、不安や危険を感じる物影は、ひとつもなかった。よく出来たフロント・ヤードだ。
道路は、西陽の時間だった。西にまわって深く落ちはじめた太陽の光が、ウインド・シールドごしに、まっすぐにグラナーダの内部に射しこんできた。その西陽にむかって、ぼくはグラナーダを走らせた。
アラ・ワイのゴルフ・コース、H1、そしてカパフル・アヴェニューとカピオラニ・ブールヴァードとで囲まれ三角地帯のなかで、ぼくは道に迷った。おなじところをぐるぐるとまわったあげく、カイムキを捜しあて、逆にいきかけて気づいてひきかえし、ワイアラエ・アヴェニューから南ベレタニア・ストリートに入った。西陽の時間にこのベレタニア・ストリートをゆっくり西にむけて自動車で走るのが、ぼくは好きだ。
走りながら、ぼくは、ふと思いついた。西陽をうしろから受けとめつつ、順光でカラカウア・アヴェニューを走りたい、ということを思いついたのだ。なぜそんなことをしたくなるのか、自分でもよくわからない。ほとんどなんの理由もなく、ただ思いついた。
どこかで東にむけてUターンをしなくてはいけない。どこがいいだろうかと、ぼくは考えた。語感としては、ペンサコーラ・ストリートがいい。ベレタニア・ストリートは一方通行で西へむかう。そして、ペンサコーラ・ストリートは、これも一方通行で南へむかう。ペンサコーラを南へむかい、カピオラニ・ブールヴァード経由で、アラ・ワイ運河の西側からカラカウア・アヴェニューに入る。そんなルートを、ぼくは考えた。
運河を渡るとすぐに、観光のための虚構の街なみがはじまった。ワイキキのまんなかを、このアヴェニューは抜けていく。
うしろから西陽が射してくる。フォード・グラナーダから見えるすべてのものが、その西陽の、濃い光のなかにあった。年を追ってけたたましさの度合を高めていく、雑然としたワイキキも、この光のなかにあるときには、たいていのものが許せてしまう。冬の、淡い光と通り雨とが交錯する季節も悪くないが、もっとも基本的な状態は、この季節のこの西陽だ。
ウールワースのまえにある交差点の赤信号で、自動車の列は止められた。そして、そこで停止した瞬間、ひらめいた。なぜそんな時にひらめくのか、当事者であるぼくにもわからないが、一瞬のうちにすべてが解決するひらめきがあった。ハンナとの会話をとおして前半が出来たぼくのストーリーの、後半が、そのひらめきによって、あっけなく出来てしまった。
姉が不帰の人となったあとに、まるで姉と入れちがいのように、そして、生まれかわりのように、妹が彼のまえに登場する。
彼にとっては、愛してやまなかった姉が生きかえって再び自分のまえに現れたようであり、彼の心は動揺する。動揺は、やがて、傾斜へと変化する。妹への傾斜だ。外見はかつて自分が愛した女性と寸分たがわぬ妹に対して、彼の心は傾斜していく。姉との愛を、こんどは妹を相手に、もう一度、やりなおすような気持ちで、彼は妹へ傾斜していく。昨日よりも今日のほうが、そして、今日よりも明日のほうが、彼女への傾斜は急になる。
妹は、そのことをよく知っている。姉が愛した彼を、自分も、姉とおなじように愛してみたくなる。というよりも、彼にはじめて会うまえから、妹は、姉から聞かされていた彼を、愛していた。
妹は、彼に対して、姉の代役を務める。姉への思いがまだ強く残っている彼にとって、妹は、けなげにも、もうひとりの姉になろうとする。性格はちがっていても、妹は、その気になりさえすれば、ほぼ完璧に、姉を演じることが可能なのだ。そして、妹にとって、愛する男性のために愛する姉を演じるのは、うれしいことなのだ。
うまくいきそうに見えて、じつはやがてうまくいかなくなる。妹が姉の代役を演じてくれていることが、彼にはわかる。妹はじつに見事に姉であり、代役をそのまま受け入れていけばそれはそれで不思議に快適なのだが、彼はそうすることが出来ない。
姉の代役としての妹を自分が愛するのは、妹にとって悲しすぎる。そして、妹自身として彼女を愛するには、妹は姉にそっくりすぎる。そっくりすぎる事実を乗りこえたとしても、そして、妹を妹自身として愛したとしても、妹の心のどこかには、姉の代役の意識が残るはずだ。どちらの道をとっても、その道は悲しい。
だから彼は、妹を愛するのを、やめる。彼女は彼にとって大事な人であり、貴重な、かけがえのない女性ではあるけれど、愛の対象にはなり得ない。ものすごく貴重ではあるけれど、愛することは出来ないという二律背反のなかに、彼は自分をみつける。