← Library‹ 時差のないふたつの島 23

そのホテルのプライベート・ビーチに接せっしてすぐわきに、万能ばんのうのダイニング・ルームがある。天蓋てんがいのような簡単かんたんな造つくりの屋根やねが、ホテルの建物たてものからビーチにむけて、大おおきく張はり出だしている。その天蓋てんがいの下したにあるスペースのすべてが、ダイニング・ルームだ。

ここは、朝あさがいちばんいい。強つよく風かぜが吹ふき、豪雨ごううが降ふっている朝あさ、ここで朝食ちょうしょくを食たべると、たいへんに気分きぶんがいい。横殴よこなぐりの雨あめが、テーブルの上うえの朝食ちょうしょくのすべてに降ふりかかる。朝食ちょうしょくの時間じかんは、正午しょうご近ちかくまで続つづく。空そらはまっ青さお、そして陽ひざしはことのほか強つよい正午しょうごに、ここで昼食ちゅうしょくをとるのも悪わるくない。ビーチのすぐわきに席せきをとる。海うみを見渡みわたせるし、海うみからの風かぜも、昼食ちゅうしょくのうちだ。

昼食ちゅうしょくの時間じかんがおわってから夕方ゆうがたまでの、あいまいな時間じかんにここにひとりでいると、これはこれで快適かいてきだ。西にしからの光ひかりが、海面かいめんに対たいして平行へいこうになっていきつつある午後ごご遅おそくのこの時間じかんは、天蓋てんがいの外そとにあるテーブルが、ぼくのお気きにいりだ。適当てきとうな距離きょりをとって丸まるいテーブルがいくつか配はいしてあり、そのテーブルのひとつひとつに、パラソルが立たっている。

海うみを目めのまえに見みながら、西陽にしびを右みぎ斜ななめからフルに受うけとめる位置いちのテーブルをぼくは希望きぼうし、受うけ持もちのウェイトレスはそのテーブルにぼくをすわらせてくれた。

新品しんぴんの夕刊ゆうかんをテーブルの上うえに置おき、ぼくは両腕りょううでをテーブルに乗のせた。海うみを見みた。海うみからの風かぜを、顔かおに受うけた。テーブルには、花はなと灰皿はいざらがあった。灰皿はいざらは、すこし遠とおくから見みると、ピンクの球体きゅうたいのように見みえる。事実じじつ、それは球体きゅうたいであり、内部ないぶは中心ちゅうしんの部分ぶぶんを芯しんのように円筒えんとう形けいに残のこし、そのほかはくり抜ぬいてある。優雅ゆうがな遠とおい昔むかし、たとえば一いち九きゅう三さん〇れい年ねん代だいを思おもわせる、懐なつかしい灰皿はいざらだ。その灰皿はいざらに西陽にしびが当あたるのを、ぼくは見みた。

ふと顔かおをめぐらせ、ダイニング・ルームの入口いりぐちを見みると、ウェイトレスやウェイターたちを統率とうそつする役割やくわりの日系にっけいのおばさんが、ぼくのほうを見みていた。ぼくは彼女かのじょに挨拶あいさつし、彼女かのじょはにっこりと微笑びしょうした。

「奥おくさんはどうしたの?」

と、彼女かのじょは言いった。

ぼくがひとりでここへ来くると、いつも決きまって、彼女かのじょはこう言ゆう。昔むかしからそうだ。ぼくは彼女かのじょを、昔むかしから知しっている。

「奥おくさんと言いってもいろいろいるから、番号ばんごうで言いってくれないとわからないですよ」

日本にっぽん語ごにするとこんなに長ながくなるが、英語えいごだとわずか二に語ごですむ冗談じょうだんとしての返答へんとうを、ぼくは彼女かのじょに返かえした。呆あきれてものも言いえない、という表情ひょうじょうをおおげさに作つくり、首くびを振ふり、彼女かのじょは自分じぶんの仕事しごとに戻もどった。

ぼくのテーブルを受うけ持もっているウェイトレスが、コーヒーを持もって来きてくれた。新顔しんがおのウェイトレスだ。ぼくとの短みじかいやりとりから推測すいそくすると、彼女かのじょは東欧とうおうの人ひとだ。東ひがしヨーロッパを出でてまだ間まもない。

ぼくは、テーブルの上うえの夕刊ゆうかんを見みた。新品しんぴんの折おりたたんだ夕刊ゆうかんに、西陽にしびが当あたっていた。美うつくしい光景こうけいだ。この夕刊ゆうかんは、だいたいにおいて面白おもしろくもなんともないが、ときたま、たいへんいいストーリーが掲載けいさいしてある。だからこそ夕刊ゆうかんなのだ。

斜ななめ左ひだりのテーブルを、ぼくは見みた。そのテーブルには、中年ちゅうねんの白人はくじん女性じょせいが、ひとりでいた。きわめて淡あわい金髪きんぱつの、ほっそりした体からだつきの女性じょせいだ。簡素かんそだけれどよく身みについた夏なつの薄うすいドレスを、彼女かのじょは着きていた。半袖はんそでから出でている腕うでのいたるところに、そばかすがあった。

彼女かのじょは、ほぼ正面しょうめんから、西陽にしびを受うけとめていた。金髪きんぱつのおくれ髪かみが、風かぜに揺ゆれていた。彼女かのじょは、手紙てがみを書かいていた。テーブルのむこうの端はしにバッグが横よこたえてあり、その手てまえには、ノート、ペーパー・バックその他た、こまごまとしたものが出でていた。

彼女かのじょは、ヒールのあるサンダルを、脱ぬいでしまっていた。ストッキングに包つつまれた足あしを、心地良ここちよさそうに芝生しばふの上うえに置おいていた。彼女かのじょのサンダルの片方かたほうが、横よこむきに倒たおれていた。土踏つちふまずからかかとにかけて、西陽にしびがくっきりと照てらしていた。

気持きもちを集中しゅうちゅうさせて、彼女かのじょは手紙てがみを書かいた。その様子ようすを、ぼくは、見みるともなく見みた。彼女かのじょのような感かんじのいい中年ちゅうねんの女性じょせいが、西陽にしびのなかで一心いっしんに手紙てがみを書かいているのを見みるのは、一種いっしゅの快感かいかんだった。彼女かのじょのおくれ髪かみが風ふうに小ちいさくなびくその動うごきと、ぼくの顔かおに当あたる風かぜのリズムとが、同調どうちょうしていた。

バッグの手てまえに出でている一いち冊さつのペーパー・バックに、ぼくは視線しせんをむけた。しおりのかわりに、なにか小ちいさなカードがはさんであった。彼女かのじょは、このペーパー・バックを、読よみはじめたばかりだ。ペーパー・バックの背中せなかが、こちらをむいていた。タイトルと著者ちょしゃ名めいを、ぼくは読よんだ。著者ちょしゃの名なは、パトリシア・リヴィングストンだった。

パトリシア・リヴィングストン。どこかで聞きいた名前なまえだ、とぼくは思おもった。思おもった瞬間しゅんかん、あるいは、思おもい終おわった瞬間しゅんかん、ぼくは思おもい出だした。この島しまの北側きたがわの小ちいさな食堂しょくどうで知しり合あったサーフボードのシェイパー、フレッド・バーソロミューから教おしえられた名前なまえだ。彼かれがかつてつきあっていた、作家さっかをめざしていた女性じょせいが、パトリシア・リヴィングストンという名前なまえだった。

よくある名前なまえだ。同一どういつ人物じんぶつだろうか。テーブルの上うえで西陽にしびを受うけとめているそのペーパー・バックを身みながら、ぼくは、自分じぶんの心臓しんぞうの鼓動こどうがすこしだけ早はやくなっていくのを自覚じかくした。西陽にしびの当あたるテーブルで、一いち冊さつのペーパー・バックの背中せなかを身みながら、ぼくは心臓しんぞうの鼓動こどうを意識いしきしていた。

バーソロミューが言いっていた、あのパトリシア・リヴィングストンだろうか。タイトルは、きわめて洒落しゃれていて、なおかつ絶妙ぜつみょうにひねりがきいている。パトリシア・リヴィングストンという名前なまえは、平凡へいぼんな名前なまえだ。おなじ名前なまえの人ひとが何なん人にんもいて、そのうちのさらに何なん人にんかが、作家さっかであったりあるいは作家さっかをめざしていたりしても、すこしもおかしくはない。

しばらく、ぼくは、そのまま時間じかんをやり過すごした。心臓しんぞうの鼓動こどうは、早はやくなったままだった。西陽にしびはすこしも変かわらずに明あかるく強つよく、風かぜには海うみの香かおりがあり、金髪きんぱつの彼女かのじょは真剣しんけんに手紙てがみを書かき続つづけた。

パトリシア・リヴィングストンという女性じょせいが著者ちょしゃになっているそのペーパー・バックは、どこでも手てに入いれることの出来できる種類しゅるいのペーパー・バックだった。ホノルルの書店しょてんでも、きっと手てに入はいるだろう。

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