湾に月が昇った。暗い夜の彼方から顔を出した、丸く巨大でのっぺらぼうの月だ。海のなかから出て来たようにも思えた。まといついて自分を濡らす海の波を振りきり、月はひとりで夜空に浮かんだ。
海から昇ったばかりの月は、狂気のように大きい。深内部で冷たく燐光が燃えさかっているような青さだ。夜の海がその青さを映した。無数に生まれては消えている小さな波の斜面が、さまざまに揺れ動きつつ、月光を照り返した。月から湾の入口に向かって、月光を反射させている波の道が、長くのびた。
深い馬蹄形に陸へ入りこんでいる湾の両側に、岬が突き出ている。両方とも細長い岩山のような岬だ。北側の岬の突端をすれすれにかすめ、月は暗い海の上空に浮かんだ。湾の沖に向かって、岬のなかばあたりまで、遠浅が長く続いている。上空から見下ろしたら、月光に海底が透けて見えるはずだ。
岬の先端からその沖合い百メートルほどのあいだに、湾の入口を南の岬から北の岬までぴったりふさぐように、数百メートルの長さの直線のうねり波が五本、おたがいに距離をとって沖から順に盛りあがった。月の光を受けて五本の波の峰が白く輝いた。
沖から数えて三本目の波が、いちばん高くせりあがる。湾の中心からかなり南へ下がったあたりに、高さのピークが出来る。盛りあがって長い峰になった波は、そのピークの地点から、空間を内部に抱きこんだチューブ状の波になる。夜の南太平洋をうねって来て、ついに乗りあげた浅瀬の上で、夜空に向かい限度いっぱいまでせりあがりきった波は、前方の空間へアーチのように張り出していく。
アーチのてっぺんから、陸風にあおられた白い飛沫が、たてがみのように舞いあがる。月光を受けて、その飛沫は白く燃えさかる火だ。まっすぐにのびた波の、南太平洋の広さにつながる外側は、海面ぜんたいが高さを増すようにせりあがる。海底にいる巨大な生き物が背をもたげるかのようだ。
その波の、湾に面した内側は、自らの横腹を深く内部にえぐりこみつつ、星空へのびあがる。高さの限度をきわめたとき、波の頂上はその下に大きな空間を抱きこんで月光に輝きつつ、アーチとして夜のなかへ触手をのばす。
えぐれこんでいる波のスロープの上空を、水のアーチは、初めのうち海面と平行にのびていく。やがて下へ向かって落ち始める。
背中からまっ白い飛沫の幕を風にひきはがされては噴きあげつつ、高くのびあがった自分のスロープの裾をめがけて、重く落ちる。轟音とともに落下し、そこに白い爆発が起こる。
裾に向かって斜めに落ちていくアーチは、深くえぐれているスロープと自分のあいだに、チューブ状の別世界空間を作る。一端のとがった楕円形を斜めに立てたような断面を持つチューブだ。
スロープの裾に轟々と落ちながら、水のアーチは湾の北側に向けて走り出す。自分が作ったチューブを後方へ置き去りにしては刻々と閉じつつ、アーチは走る。せりあがった峰は、湾の奥にある夜の空間へ自らをほうり出すようにアーチとなり、そのまま湾の北へ向かってまっすぐに進む。
チューブが出来始めた地点から、湾の北側の岬近くで最終的に閉じるまで、全長百五十メートルを超えるチューブが、生まれては消え、そしてまた生まれる。大海原の途方もないエネルギーの律動をともなった、規則的な繰り返しだ。月光に照らされた湾の沖に出来るこの波は、完璧な生物だ。
南太平洋の広がりは、はるか遠い隅々にまで、その生命力をおよぼしている。その生命力が波のかたちをとってこの島と触れあうとき、海ぜんたいが永遠にかかえている生命力のほんの小さな一部分が、華麗に燃焼する。
たとえばこの小さな湾の沖で、海のエネルギーが波のうねりとして浅瀬に乗りあげると、青い月光のもとでいまも繰り返されているとおり、百五十メートルのチューブ波が出来ては砕ける。
砕けたチューブは海面上に高く段差を作り、平たくまっ白に吹きあがる波の段丘として、湾の奥へ突き進む。黒い遠浅の砂浜に自ら叩きつけて這いあがる。溶岩が細かく砕けて出来た、黒い砂の海岸だ。砂浜と草地が接するあたりに、椰子の樹の林がある。椰子の根もとまで薄く這いのぼった波は、力つきて引き返す。燃焼はこのときほぼ終わる。
愛するサーフボードとともに、僕はいまひとりで湾の沖にいる。ボードにまたがって湾の入口に向き、海面に浮いている。手をのばせば届きそうなところに、狂った月が丸く青い。振り向くと、暗い底なしの海から、うねりが来る。細かな銀色のかけらを無数にぶちまけた海を、横に一直線の峰に盛りあがった波が、湾の入口に向かって来る。その波のスロープが月光を鏡のように反射させる。
波は浮かんでいる僕に近づく。横に長い隆起が、黒く音もなく、のしかかって来る。視界がふさがれて沖が見えなくなった次の瞬間、僕はサーフボードごと高く持ちあげられる。すさまじい力で、僕は夜空にかかえあげられていく。
高くほうりあげられたその頂点で、波がサーフボードと僕の両脚の下を通過していく。ほんの短い時間だが、無重力のように自分が軽くなる瞬間がある。その短い時間のなかで、湾の奥のすべてを僕は見渡す。
陸からの甘い風が、濡れた僕の体を撫でる。僕を持ちあげた力は、湾の奥に向けてさらに進んでいく。
僕は下へ降ろされる。圧倒的な量の水の広がりが、しっかりと僕を支えている。と同時に、前方の海面が斜めのスロープになって、せりあがる。スロープは角度を急にしていく。暗い海面が、水のありったけをひきつれ、壁のように立ちはだかる。視界は完全にさえぎられ、岸は見えなくなる。スロープの底にいる僕は、盛りあがる波をその背面から見上げる。
横長にのびる波は、もっとも高くのびあがった頂点から、星空へいっせいに飛沫を放つ。月光を受けとめて冷たく銀色に輝く飛沫を中空に置き去りにして、波の頂点はアーチになって向こうの空間へのびていく。アーチの落下する重い音が、やがて聞こえる。