← Library‹ 波乗りの島 アイランド・スタイル 2

暗くらい海うみを僕ぼくは振ふり返かえった。ボードの上うえにのびあがり、遠とおくを見みた。横よこに一いち直線ちょくせんのうねりが、こちらに向むかっている。充分じゅうぶんな高たかさ、そしてその底そこに秘ひめたパワーが、すでに感かんじられる。この波なみだ。これを僕ぼくはつかまえる。

僕ぼくの全身ぜんしんに心地良ここちよい緊張きんちょうが走はしった。ほどよくゆるんでいた感覚かんかくのぜんたいが、近ちかづいて来くる波なみを見みて、いっせいにひき締しまっていく。ボードに腹はらばいになり、波なみの接近せっきんを待まった。右みぎ肩越かたごしに振ふり向むいた。

前面ぜんめんのスロープを銀色ぎんいろに輝かがやかせ、夜よるの海うみそのもののような黒くろい隆起りゅうきが僕ぼくに向むかって来くる。充分じゅうぶんにひき寄よせてからタイミングをはかり、僕ぼくは猛然もうぜんとパドリングを始はじめた。波なみの上うえをボードが滑すべりだした。両腕りょううでから肩かたに、たしかな手てごたえがあった。

波なみが僕ぼくに追おいついた。ボードのテールから夜空よぞらに向むかって、僕ぼくはいっきにほうりあげられる。脚あしから先さきに高たかくあがり、そのまま波なみの頂上ちょうじょうへもんどり打うつのではないかと、一瞬いっしゅん、錯覚さっかくが走はしる。次つぎの瞬間しゅんかん、波なみの力ちからは、僕ぼくの腹はらから胸むねのあたりにかかる。

下したから僕ぼくを押おしあげる波なみの水量すいりょうとそのパワーが、ものすごくうれしい。このうれしい瞬間しゅんかんから、時間じかんは止とまる。僕ぼくの存在そんざいを支ささえているすべての感覚かんかくが、一いち点てんに絞しぼりこまれる。

その一いち点てんで、僕ぼくはあらゆることを感かんじ抜ぬく。

星空ほしぞらに向むかって高たかくほうりあげられながら、僕ぼくはパドリングに最後さいごの力ちからをこめる。背中せなかの筋肉きんにくや腹筋ふっきんが、絞しぼりあげられる。波なみはなおも大おおきく盛もりあがりつつ、湾わんの奥おくに向むかって進すすんでいく。そのスピードとパワーの中心ちゅうしんに僕ぼくは両腕りょううでを突つきこみ、必死ひっしで水みずをかく。

さらに波なみはせりあがる。前まえへ進すすむ。その頂点ちょうてんに、波なみのスピードにおくれることなく、僕ぼくがサーフボードごとへばりついている。ボード越ごしに波なみのパワーを全身ぜんしんに感かんじる。高たかく、さらに高たかく、波なみはのびあがる。

永遠えいえんのようにひき延のばされた時間じかんのなかで、自分じぶんをとりまく海うみのすべてを僕ぼくは見みる。僕ぼくをまんなかにはさみこみ、横よこに長ながい峰みねが一いち直線ちょくせんにのびている。峰みねが白しろく光ひかる。高たかさを増ましつつ、それは湾わんの入口いりぐちに向むかう。急激きゅうげきに傾斜けいしゃが強つよまるスロープの頂上ちょうじょうから見みると、黒くろい海面かいめんははるか下しただ。

波なみがそのパワーの限度げんどぎりぎりまでのびあがったとき、無む重力じゅうりょくに酷似こくじした世界せかいが始はじまる。僕ぼくの顔かおに陸風りくふうが当あたる。甘あまい香かおりを胸むねいっぱいに吸すいこみつつ、僕ぼくは両腕りょううでを立たて、利きき足あしからボードの上うえに体からだを引ひき起おこす。ほんの一瞬いっしゅんの出来事できごとだ。ボードに立たちあがると同時どうじに、陸風りくふうは波なみの頂上ちょうじょうから水みずをはぎとる。はぎとられた水みずは、飛沫ひまつとなって夜空よぞらに弾はじけ飛とぶ。

顔かおや胸むねに飛沫しぶきを浴あびる。痛いたい。飛沫ひまつは月光げっこうを受うけて内部ないぶから青あおく輝かがやく。その飛沫ひまつの滝たきをボードで突つき破やぶり、中空ちゅうくうに舞まう無数むすうのガラス玉たまのような飛沫しぶきに体当たいあたりをくらわせ、僕ぼくはボードごと前まえに出でる。ボードの前部ぜんぶに重心じゅうしんをかけ、内側うちがわへ深ふかくえぐれたスロープの頂上ちょうじょうから底そこをのぞきこむ。のぞきこんだおなじ瞬間しゅんかん、逆落さかおとしのテイクオフだ。

ボードに乗のって空中くうちゅうを飛とんでいるようだ。体からだの両側りょうがわを最後さいごの飛沫しぶきが飛とび去さる。芳かんばしい夜よるの空間くうかんだけが、僕ぼくのまわりに残のこる。スロープの底そこから、アーチになろうとする波なみの頂上ちょうじょうへ、水みずの壁かべが力強ちからづよくたくしあげられていく。その動うごきが、頂上ちょうじょうにいる僕ぼくに見みえる。

オーヴァーハングになりかかる波なみの、ほんのわずかしか水量すいりょうのない頂上ちょうじょうに、無む重力じゅうりょくのまま僕ぼくはいる。翼つばさを得えて高たかいところから空中くうちゅうへ飛とび立たった瞬間しゅんかんは、ひょっとしてこんなだろうか。全身ぜんしんの感覚かんかくが異い次元じげんのそれへと、早はやくも変化へんかしている。

高たかくのびあがった波なみのエネルギーが、僕ぼくをそこに支ささえてくれている。ボードのスケッグが波なみにくいこむ。とたんに波なみのパワーが、サーフボードぜんたいにいきわたり、充満じゅうまんする。両脚りょうあしをとおして、そのパワーは、僕ぼくの体からだに乗のり移うつって来くる。波なみとサーフボードと僕ぼくとが、ひとつにつながる瞬間しゅんかんだ。

えぐれこんだ急きゅうスロープの波なみの腹はらを、僕ぼくはまっすぐに滑すべり降おりる。降おりながら加速かそくでたくわえるスピードが、全身ぜんしんにみなぎっていく。ボトムまで降おりてターンをする。いちばんスピードがついている地点ちてんでのターンだ。

のびあがった波なみの壁かべは、僕ぼくの背後はいごにそそり立たつ。たったいま滑すべり降おりて来きた水みずの壁かべだ。ボトムに降ふりきった僕ぼくは、その壁かべに顔かおを向むけた。連動れんどうして上じょう半身はんしんがひねられ、腹はらを中心ちゅうしんにして体重たいじゅうの移動いどうがなかば本能ほんのう的てきにおこなわれた。ボードの右側みぎがわのレールがしっかりと波なみにくいこんだ。ボードによって切きり裂さかれた波なみから、白しろい航跡こうせきが空中くうちゅうに放射ほうしゃされた。

ターンする方向ほうこうに傾かたむいたボードの上うえで両膝りょうひざを曲まげ、前まえに倒たおした体からだは波なみの面めんと平行へいこうに空間くうかんに張はり出だしている。両腕りょううでを広ひろげ、もう少すこしで波なみをなめることが出来できそうなほどに倒たおれこむ。ターンしながら僕ぼくは頭上ずじょうを見みた。頂上ちょうじょうからオーヴァーハングとして空中くうちゅうに突つき出でた波なみは、幅広はばひろくまっ白しろい牙きばをむき、僕ぼくにめがけて落下らっかしつつあった。

オーヴァーハングの先端せんたんから、飛沫ひまつが猛然もうぜんと噴ふきあがる。その飛沫ひまつの奥おくから、のびあがりきって前まえに倒たおれる波なみの壁かべが、轟々ごうごうと落おちて来くる。落おちながら、湾わんの北きたへ向むかって進すすんでいく。スピードに乗のりきったターンから、そのままスロープをのぼった。裾すそから頂上ちょうじょうに向むかってたくしあげられていく水みずの動うごきよりも早はやく、僕ぼくはのぼった。

ショルダーの上限じょうげんで切きりかえし、全身ぜんしんでローラーコースターに飛とびこんだ。ショルダーの部分ぶぶんをいっぱいに使つかいながら、波なみの斜面しゃめんをのぼったり降おりたりを繰くり返かえし、スピードをたくわえる。

最初さいしょの切きりかえしを終おえたとき、巨大きょだいなオーヴァーハングが追おいついて来きた。そして僕ぼくの頭上ずじょうに覆おおいかぶさった。月つきの光ひかりがさえぎられ、薄暗うすぐらくなった。

ショルダーを、僕ぼくは飛とばした。ボードの前部ぜんぶに体重たいじゅうをかけたノーズ・ライディングだ。頂上ちょうじょうに向むかってのぼっていく水みずのパワーに勝かつため、ボードをスロープの下したに向むけ続つづける。たくわえた加速かそくに体重たいじゅうを乗のせてこうしているだけで、ショルダーを飛とばしていける。

オーヴァーハングはアーチを作つくって僕ぼくの頭上ずじょうを越こえ、左下ひだりしたに落おちた。すさまじい水量すいりょうのアーチが、自みずからを波なみの裾野すそのに叩たたきつける。重おもい轟音ごうおんが巻まきあがっているはずなのだが、もうなにも聞きこえない。聞きこえてはいるのだろうが、記憶きおくに残のこらない。

Click a word · hold for the whole sentence 0%