湾に面したこの小さな町は、いまのハワイに現存する古き佳きハワイとしては、最後のものではないだろうか。観光地としての開発はおどろくべきことにまだゼロだし、ホテルは湾のなかの小さな港の向かいに、木造二階建てのが一軒あるきりだ。町のメイン・ストリートは、湾のいちばん奥の部分に沿って、ゆっくり歩いても二十分とかからない短さだ。この短いメイン・ストリートが、町の中心になっている。
町なみは時代を超越している。建物はまだほとんどが木造で、どれもみな相当の年代ものだ。戦前のものすらある。あまりにも古い建物は、ひなびた田舎町の風情をとおり越して危険ですらあるのだが、建て替えて新しくすることは、出来るかぎり控えられている。
日没の時間、たとえばいまのように、メイン・ストリートの端に立って町の中心のほうを見ると、海に面した建物はくすんだ黄金色に染まり、海を背にした家なみは淡いシャドーのなかだ。
人どおりが早くもなくなっている。だが店はまだ開いている。建物のたたずまいは一九二〇年代のハワイだと言っても充分に通用する。いくつかの看板に目かくしをすれば、一九〇〇年代と言ってもおかしくはない。タイム・マシーンで遠い過去に帰った気分になる町だ。
ジープで走って来た僕は、町の西のはずれにあるショッピング・センターの駐車場に入った。空いているスペースにジープを停め、郵便局へいった。階段をあがった正面の壁に、私書箱がならんでいる。
パニオロ宛てに届いている郵便物を、僕は箱から出した。奥さんのマティルダに頼まれたのだ。定期購読の雑誌が三種類に、ダイレクト・メールらしいものが何通かあった。
ジープの運転席の下に郵便物を置き、僕はショッピング・センターを出た。町の中心に向かって歩いた。雑貨店の隣に玉突き屋があった。道路に面した古風な窓が、つっかい棒に支えられて開いていた。開け放ったドアに寄りかかり、地元のティーンエージャーが罐ビールを飲んでいた。
いちばん奥の台で、ラリー・デイヴィスが常連を相手にローテーションをしていた。パニオロの自宅に、さきほど、ラリーは電話をした。空港から町の玉突き屋までヒッチハイクして来たから、車で迎えに来てくれと彼は言った。
玉を狙って台にかがみこんでいたラリーは、顔をあげた。人好きのする顔の片側だけを使って、彼は微笑した。
「よう」
「ご苦労さん」
「チューブはどうだい」
サーファーの言うことは、いつもきまっている。ふた言めには波の話だ。
「海に哮えられたというじゃないか。ほんとなのか」
「ラッセルが言うには、不吉な出来事の前兆だそうだ」
「あいつは、なんだって不吉な出来事にしてしまう」
ラッセルはサーファー仲間のひとりだ。昨年から大学にかよいなおし、ハワイ史を勉強している。
「不吉な出来事ではあるけれど、ちっぽけな人間の個々の意志や運命を超越したスケールの出来事だと、彼は言ってた」
「そのうち空でも落ちて来るんだろう」
冗談のような口をきいているが、ラリーはじつは真剣なのだ。湾の沖のチューブ波で僕が聞いたあの奇怪な音を、自分も聞いてみたいという。サーファーとしての熱意と好奇心に支えられ、彼はこの島へ来た。
玉のコースを見るために台のまわりを歩きながら、
「そうだ。忘れるところだった」
と、ラリーは、古びたフレンチ・ジーンズのポケットに手を入れた。折りたたんだ航空便の手紙を一通、引っぱり出した。台越しに僕に差し出した。
日本のサーファーからだった。彼が日本からハワイの波を体験しに来ると、僕はいつも彼に会っている。空いている玉突き台に腰を降ろし、僕は手紙の封を切った。手書きしてある英文の手紙を読んだ。これが英文と呼べるかどうかは大いに疑問だが、彼が英語で喋るときのことを思い出しながら読むと、意味はつかめる。
ハワイの波を讃える言葉と、ハワイや僕に対する懐かしさを表現する言葉が、最初の二枚のレターペーパーを埋めていた。本題は三枚目からだった。
自分の友人の友人に、ハワイ音楽のバンドを作っている日本人青年たちがいる。本格的なハワイ音楽を熱心に演奏している彼らが、このたびハワイへ初めて旅をすることになった。あなたの電話番号と住所を教え、ぜひ訪ねるように言ってあるので、よろしく頼む。
以上のような内容だ。パニオロたちに紹介したら楽しいだろう。僕はその楽しさを想像してみた。
「空が落ちて来る日時は書いてないかい」
ラリー・デイヴィスが冗談を言った。
玉突き屋で一時間ほどすごし、僕とラリーはショッピング・センターの駐車場まで歩いた。空も海も、そして町なみも、燃えるような黄金色だった。陽が沈むのだ。
ジープでパニオロの自宅に帰った。玄関のポーチで利口なカメハメハが僕たちを迎えてくれた。居間にパニオロがいた。ボブ・ラインハートやジェニファー、それに録音のための技師たちもいっしょだった。録音スタッフと器材は、昨日、この島に到着した。
ジェニファーがラインハートと腕を組んでいた。僕とジェニファーのつきあいも十年以上になる。このところ忙しさにかまけて、ジェニファーの相手をしていない。ジェニファーはラインハートの底なしの優しさに惹かれている。だから彼女はラインハートといつもいっしょだ。彼女はラインハートにまかせておこう。
「録音はここですることになった」
パニオロが居間を示した。
「音響特性がものすごくいいんだそうだ」
「特別注文してスタジオをつくっても、こうはいかないよ」
録音のいっさいに関する最高責任者、グレン・ペパマンがそう言った。グレンはたくましい男だ。陸軍官給品のくすんだオリーヴ色のTシャツの、両袖を切り落としたものを着ている。胸の厚みは岩のようだし、両腕の太くて節くれだった様子は、古代ハワイの戦士を思わせた。兵隊用の作業ズボンに重いブーツでしなやかに歩きまわる姿は、海兵隊あがりのタフでプロに徹した傭兵を連想させる。
だが彼は録音のエキスパートであると同時に、優秀な音楽家でもある。現代音楽の傑作として後世に残るオーケストラ作品を、いくつも作っている。
「ここで録音するのはいいけれど、カメハメハをどうするかだな」