僕から少し離れたところに、ラリー・デイヴィスがサーフボードに腹ばいになっている。僕はボードの中央にまたがり、上体を起こしている。夜だ。湾の出口近くの海に、僕たちふたりは浮かんでいる。
今夜も星空に青い月が君臨している。月の位置はすでに高い。月が昇る時間に合わせて、僕とラリーは、パニオロの家から黒い砂の海岸へ、ジープでやって来た。そしてサーフボードで沖に出た。
ラリーは何度もチューブ波に挑戦した。そのたびに、いつものラリーそのままに、限りなく美しくチューブと対決し、調和した。海底からはなんの音も聞こえない、とラリーは言った。僕もチューブに入ってみた。あの夜の恐怖がよみがえった。だがあの不気味な音は聞こえなかった。
波の上で体を休めながら、僕たちはチューブ波を見ている。波の裾野から仰ぎ見るチューブは、月光を浴びて壮絶な美しさだ。浅瀬の上で高さをきわめた波がアーチになって空間へ張り出す瞬間から、スロープの根もとにまっ白い噴火のように落下しつつ北へ走るまで、息を止めて見守ってしまう。
チューブが走りきって消滅すると、夜の海の広がりが、見ているだけですくみあがるような量感をたたえて、目の前に横たわる。星空と海が接する水平線のあたりを見つめていると、無限の空間の彼方へ引きこまれていくような錯覚が、全身をつかまえる。
「おい、バリー!」
波の向こうから叫ぶように、ラリーが言った。ボードに腹ばいになったまま、彼は顔を横向きにボードに横たえていた。小さな波が、彼の顔に覆いかぶさった。顔の上を流れ去る波を、口をすぼめて吹きとばした。
「保養地をつくる連中は、この湾をヨット・ハーバーにするつもりだ」
「完成模型がもう出来てるよ」
「どこにあるんだ」
「郡庁オフィス」
「見たのか」
「見た。夢のように美しい。この地球に最後まで生き残ったひとりの男の、死にぎわの夢のように」
「ヨット・ハーバーになったら、この波もなくなるぞ。海底は深く掘りなおされるにきまってるから」
「準備段階の測量が、すでに終わってる」
「とにかく、抵抗しような」
「やるよ」
陸から湾を渡って海原へ、風が吹いた。濡れた体を撫でるその風のどこかに、音楽を聞いたように思った。
パニオロの家では、録音がおこなわれているはずだ。彼らの演奏が、風に乗って聞こえたのだろうか。僕は夜を振り仰いだ。流れ星が、夜空のまんなかを、斜めに長く飛んだ。
「流れ星だ」
ラリーが言った。
「きれいなもんだ」
「願いごとはしたかい」
「うっかりしてた」
夜の海が、広すぎるゆりかごのように、浮かんでいる僕たちを揺り動かし続けた。しばらくして、僕たちはチューブ波の外に向かった。もう一度ずつ、チューブに入ることにしたのだ。外に出て位置をとった。ラリーが先に波をつかまえる。彼は波を待った。
月が頭上ほぼ真上だ。僕たちを中心にして、海いっぱいに、銀の鱗片が無数に浮かび、そのひとつひとつが揺れ動いていた。波が近づいた。振り向いて距離とスピードをはかっていたラリーが、ふと空を仰いだ。なにかを探すように夜空のあちこちに目を向けた。そして僕を見た。
「バリー。聞いたか」
と、ラリーが言った。
その瞬間、僕もおなじ言葉を叫んでいた。
「ラリー! 聞いたかっ!」
うしろから接近して来る波が、海面を大きく隆起させた。いつに変わらぬうねり波のパワーをサーフボード越しに全身に感じながら、海底ごと高く持ちあげられるような錯覚の奥にひそむ不気味さに、あの音が重なった。
遠い戦場から聞こえる砲撃のような、地を這う重低音だ。テイクオフには完全におくれたまま、せりあがった波の頂上で、ふたたび僕たちは音を聞いた。あの夜の音に似ている。大地が割れて動くような音だ。だが、伝わって来るのは海底からではない。夜の空間のなかを、その音は重く波動して来る。
ふたりの浮かんでいる波が高さをきわめていく動きと、音が急激に大きくなっていくことが、重なり合っていた。だから音の発生源はこの波だという錯覚が、ごく自然にふたりをとらえた。
「バリー!」
と叫んだラリーは、サーフボードに腹ばいとなった。両手でレールをつかんでいた。僕もサーフボードの上に伏せた。
やりすごした波がアーチになり、北の岬に向かって走り出すと、波の隆起は低く落ちていった。しかし音はさらに大きくなった。重い音波が体感出来るほどだ。
「ラリー!」
「バリー!」
おたがいに名前を叫びあうのが、やっとだった。顔をあげて僕は湾の奥を見た。音はその方向から来ているように思えた。周囲の空気が揺れていた。重くて奇怪な音が、完全に湾を覆っていた。その音の下で僕たちはふるえた。
湾の広がり。黒い砂の海岸。椰子の林。見なれた夜の光景が、僕の目に映った。音は大きくなりつつ、なおも続いていた。その音がどこから来るのか。広がりのある重い音だから、発生源を特定しにくい。
湾に面した小さな町の明かり。その町のすぐ裏に黒く迫っている山裾。畑や牧場。さらに視線をあげ、険しくそびえる山を僕は見た。
「バリー! バリー!」
サーフボードになかば立ちあがったラリー・デイヴィスは、必死に山の頂上を指さしていた。山は中腹からいきなり垂直に切り立つ。深い林は月光を吸いこんで黒々と底なしだ。いつ見ても量感のあるその山が、横に屏風のようにつらなっている。平たく夜空に向かって突き出ている頂上のひとつから、火が噴き出ていた。
ゆらめく炎ではなく、噴火だった。噴水のように、まっ赤な火のかたまりが夜空へ噴きあがり、空中で粉々に砕けて飛び散った。山なみの底から絞り出すような律動をともなった太い火柱が、まっすぐ星空に向かって立った。山の頂上は真紅に溶け、小さく何度も爆発していた。不気味な重い音は、すべてそこから来ていた。
「バリー! 火山だ! 噴火してる!」
ラリーが絶叫した。
それからしばらく、僕たちは口がきけなかった。動くことも出来なかった。黒い山の頂上に視線をしばりつけられたまま、噴火に見入った。