電話が鳴った。オフィスの手前の部屋と奥の部屋と、両方で鳴っていた。どちらでも取れる電話だ。鳴っている電話のあるデスクまで、僕は歩いた。あと一歩というところで、ベルは止まった。奥の部屋から、電話に出て応対しているラリー・デイヴィスの声が聞こえた。
しばらくして、
「おい、バリー」
と、ラリー・デイヴィスが僕を呼んだ。
「なんだい」
「電話に出てくれ。グッド・ニュースだ。マウイから」
電話のあるデスクまで、僕は引き返した。そして、真珠貝の色をした、つるつるの受話器を取りあげた。落とさないように両手で持ち、耳に当てた。かたちとつるつるの手ざわりのせいだろう、僕がこの電話の受話器を持つと、三度に一度は滑らせて落としてしまう。
電話はレイモンド・カアイラウからだった。冬のハワイにたくさんいる一流サーファーたちのあいだでも、真の意味でトップ・クラスに数えることの出来るひとりだ。ワイメア湾の大波を知り抜いていることにかけて、レイモンド・カアイラウの右に出るものはいない。大昔、このハワイにカヌーで移住して来たタヒチの祖先まで、その家系をたどることが出来るという。
「レイモンド」
「やあ、バリー」
「どうなんだ、マアラエアの波は」
「まだ待ち続けているよ」
太い男性的な声で、レイモンドは低く笑った。
「あまり待つと、波の乗り方を忘れてしまうぞ」
「ここは夏の波だからな。ところで」
レイモンドは、いつものように真剣な声に戻り、次のように言った。
「きみたちが探している、アランというサーファーについてだけど」
「グッド・ニュースだって?」
「完璧にグッドではないのだけど、アランを知っているという男たちと知り合った」
「なるほど」
「ホクレア号の航海のために、タヒチから来た男たちだ。知り合った男たちはふたりいて、そのうちのひとりは、こんどの航海でナヴィゲーターを務める男だ」
「ほんとにアランを知っているのかい」
「間違いない」
「よし。それでは」
「じつに面白い話なんだ。想像だけでは、ここまで面白くはならない。真実に違いない」
レイモンドの声を受話器の奥に聞きながら、僕はデスクに腰を降ろした。そして上半身をひねり、向こうの窓から外を見た。
アラモアナの空が見えた。冬の午後の、永遠の悲しさの具現のような通り雨が、陽光のなかを過ぎ去った直後だ。洗われて澄みきった青空に、白いちぎれ雲が白く輝いていた。窓枠によって四角に切りとられた空間の下のほうに、雨に濡れて風に揺れる椰子の葉が見えた。
窓の右側の壁に、アランの写真が貼ってあった。僕たちのオフィスが作った、アランの尋ね人ポスターだ。やや上目づかいにカメラを見て微笑しているアランの、色刷りの顔写真の下に「アランという名のこのサーファーについて、情報の提供を皆さんにお願いします」という文句が見える。
「アランのポスターを見て、絶対にこの男だ、とふたりは言っている」
「よし」
「どうしたらいいだろう」
「僕がマウイへ出向こう」
「そうしてくれるか」
「アランを探している女性をつれていく」
「俺たちは、マアラエアの、ファーマー・ジョーのところにいる」
「いくよ。ホクレア号も見たいし」
「いつになる?」
「彼女の都合による。すぐに彼女と連絡をとり、折り返し電話する」
「その女性の名前は、なんといったっけ」
「ダフネ・ウォーカー」
「そうだ、ダフネといったな」
「彼女が持って来た映画を、レイモンドはまだ見てないだろう」
「見ていない」
「アランが映ってるんだ。七分ほどの短いフィルムだけど」
「素晴らしい波乗りのシーンがあるということは、見た人から聞いている」
「フィルムを持っていこう」
「それはありがたい」
「すぐに連絡する」
電話を切った僕はデスクを降りた。窓まで歩いた。眼下にある光景、つまり走る自動車や道路、建物、アラモアナ公園の椰子の樹、そして向こうの海を、僕は眺めた。
「アランが見つかったのか」
と、奥の部屋からラリーが叫んだ。
「アランを知っているというふたりの男が見つかった。タヒチから来た男たちだそうだ」
そう答えながら、僕は壁に貼ってあるアランのポスターを見た。情報を提供してくれる人たちのために、連絡先の電話番号が印刷してある。このオフィスの電話番号と、ダフネ・ウォーカーが友人と住んでいる、カイムキの家の電話番号だ。
さきほどの電話機まで引き返し、受話器を持ちあげた。耳に当てようとすると、受話器は滑って僕の手を飛び出した。両手で胸に抱きとめるようにしてデスクに落ちるのをふせぎ、左手に握りなおした。
ダフネ・ウォーカーの家の番号を、僕はプッシュ・ボタンで押した。ダフネは外出中だった。週末の買物でスーパーマーケットまでいっているという。帰って来たら折り返しこのオフィスに電話をくれるよう、電話に出た女性に僕は頼んでおいた。
「マウイへいくのかい」
受話器を置いた僕に、奥の部屋からラリーが訊いた。
「ダフネをつれていく」
「俺もいきたいんだがなあ」
残念そうにラリーが言った。こなさなければならない仕事が山のようにあり、ラリーは当分はホノルルを離れることが出来ない。ラリー自身が直接に処理しなければならない仕事だから、僕が分担するわけにもいかない。
奥の部屋へ僕は歩いた。
「老後にそなえて、事務所の重役にでもなる練習を積むには、いまが最適だ」
笑いながら僕が言った。
顔をしかめて椅子をずらし、ラリーは両脚をデスクにあげた。
「老後の計画は、もう出来あがっている」
ラリーは言った。
「パンチョ・ゴールドスタインのタコス・スタンドを引きついで、北海岸でタコスを売るんだ。おまえの孫たちには安くしてやるよ」
僕とラリーは短く笑った。オフィスの連中はいま休暇で出払っている。僕とラリーのふたりが留守番だ。
「しかし、それにしても、長かったな」
ラリーが言った。
「ダフネが初めてここへ来たのは、いつだったかな」
「三か月前だ」
「そうか。三か月のあいだ、アランに関する情報は、なにひとつ入って来なかった」
「なんにもなかった」
「普通だったら、役に立たない情報や面白半分のでっちあげにしろ、いろいろと話は舞いこんで来るはずなのに」