← Library‹ 波乗りの島 ベイル・アウト 3

ホノルルからマウイのカフルイ空港くうこうまで、飛行ひこう機きはよく揺ゆれた。マウイは快晴かいせいで陽ひざしが強つよかった。空港くうこうの小ちいさな建物たてものの外そとに、レンタ・カーの小ちいさなオフィスがいくつか軒のきをつらねている。そこでダフネは車くるまを借かりた。アボカードの皮かわのような色いろをしたファイアバードだった。

スターターのモーターが断末魔だんまつまのような悲鳴ひめいをあげて回転かいてんし、ボディぜんたいが激はげしく振動しんどうしてエンジンが始動しどうした。そのファイアバードで、僕ぼくたちは島しまの西にしへ向むかった。ダフネが運転うんてんし、僕ぼくが道順みちじゅんを教おしえた。

マウイ島とうは、東西とうざいふたつの方向ほうこうにある火山かざんが、ひとつにつながって出来できた島しまだ。東側ひがしがわが大おおきく、西にしが小ちいさい。地図ちずで見みると、島とうぜんたいは胸像きょうぞうのようなかたちだ。その胸像きょうぞうの顎あごのすぐ下した、喉のどもとにあたる部分ぶぶんが、マアラエア湾わんだ。

ファイアバードを走はしらせながら、ダフネはいつもよりはしゃいでいた。アランについての情報じょうほうが得えられるので、うれしいのだろう。タヒチから来きたふたりの男おとこたちは、アランはもう生いきてはいないだろうと言いっているという。このことを昨日きのうのうちにダフネに伝つたえておけばよかったと、僕ぼくは軽かるい後悔こうかいを覚おぼえた。

マアラエア湾わんのすぐ近ちかく、歩あるいても十じゅう五ご分ふんとかからないところに、ジョーというサーファーが住すんでいる。正式せいしきな名前なまえをなんというのか、誰だれも知しらない。マアラエアで農業のうぎょうにうちこむかたわら、めったに来こないことで有名ゆうめいなこの湾わんのサーフで波乗なみのりをしている男おとこだ。誰だれもが彼かれのことをファーマー・ジョーと呼よんでいる。

濃こい緑みどりの小ちいさな森もりを背せに、木造もくぞうの四角しかくい家いえが二に軒けんならんでいる。板張いたばりの壁かべには白しろくペンキが塗ぬられ、窓まどやドアの枠わくはくすんだグリーンだ。だが、そんな色いろがわからないほどに、家いえの外そとには熱帯ねったいの草木くさきが茂しげっている。

二に軒けんの家いえは、以前いぜんは独立どくりつした家屋かおくだったのだが、ヴェランダのような渡わたり廊下ろうかをファーマー・ジョーが作つくり、二に軒けんの家いえを一いち軒けんにつないでしまった。ヴェランダの裏うらは、森もりと接せっするまでの草くさの生はえたスペースが、快適かいてきな陽陰ひかげのある中庭なかにわのかわりになっている。

東側ひがしがわの建物たてものの隣となりにファイアバードを停とめ、僕ぼくとダフネは車くるまを降おりた。高床たかゆか式しきのポーチをあがり、スクリーン・ドアを開ひらいてなかに入はいった。

「男おとこの香かおりがするわ」

ダフネが言いった。部屋へやのなかを興味きょうみ深ふかそうに見渡みわたし、

「居心地いごこちの良よさそうな家いえね」

と、言いった。

この家いえの主人しゅじんはファーマー・ジョーだ。いつここへ来きても、見みるからにぐうたらそうな新顔しんがおのサーフ・バムが、社会しゃかい保障ほしょうを頼たよりに何なん人にんも共同きょうどう生活せいかつをしている。ダフネが言いうように、波乗なみのりだけが仕事しごとの男おとこどうしなら、住すみ心地ごこちは良よいだろう。

奥おくの部屋へやへ歩あるいた。誰だれもいないようだった。ヴェランダまで出でてみると、向むこうの家いえから、地元じもとのラジオ局きょくの日本にっぽん語ご放送ほうそうが聞きこえた。

「ジョー!」

と、僕ぼくは呼よんでみた。

ヴェランダの向むこうに、男おとこがひとり、姿すがたを見みせた。白しろい半袖はんそでシャツにショート・パンツをはき、裸足はだしだった。男おとこは僕ぼくたちを見みつめた。

ミクロネシア系けいの男おとこだろう。小柄こがらだがものすごく頑丈がんじょうそうな体格たいかくをしていた。頑健がんけんさの具現ぐげんのような体からだは深ふかく陽焼ひやけし、奥行おくゆきのある力強ちからづよさが不思議ふしぎなおだやかさと溶とけあい、彼かれの体からだの隅々すみずみにまでいきわたっていた。彼かれを見みていると安心あんしん感かんを覚おぼえた。長ながい年月としつきをかけた直接ちょくせつの体験たいけんをとおし、自分じぶんの世界せかいを知しり抜ぬいたその男おとこの自信じしんは、静しずかな力強ちからづよさとなって発散はっさんされ、そばにいる人ひとを安心あんしんさせるのだ。

この男おとこは海うみの男おとこだ、と僕ぼくは直感ちょっかんした。

「タヒチからいらしたかたですか」

僕ぼくは訊きいた。

「イエス」

と、男おとこは答こたえた。そして、僕ぼくたちに向むかって歩あゆみ寄よった。

「カアイラウが今日きょうここへ来くると言いっていた、バリー・カネシロとダフネ・ウォーカーですね」

フランスなまりのような癖くせのある英語えいごで、男おとこが言いった。

「そうです」

ダフネが答こたえた。

「私わたくしはピアイラグといいます」

男おとこは右手みぎてを差さしのべた。僕ぼくたちは握手あくしゅを交かわした。ピアイラグの大おおきな手てに包つつみこまれるような握手あくしゅだった。ヴェランダの向むこうにもうひとり、男おとこが姿すがたをあらわした。アメリカ人にんだということは、身みのこなしや表情ひょうじょうですぐにわかった。

「やあ」

と、彼かれが言いった。肩かたのあたりをぼりぼりとかきながら僕ぼくたちのほうへ歩あるいて来きて、

「ハワイで蚊帳かやを吊つって昼寝ひるねをするのも久ひさしぶりだ」

と、陽気ようきな口調くちょうで彼かれは言いった。

「しかし、あの蚊帳かやには穴あながあいている。蚊かに刺さされてしまった」

男おとこはビル・ハミルトンといった。ピアイラグとは昔むかしからつきあっている親友しんゆうどうしで、タヒチからともにハワイまで来きたのだという。

「ひとりでは心細こころぼそいとピアイラグが言いうので、エスコートのようについて来きたのですよ。彼かれは陸りくの上うえだと、妙みょうに人ひと見知みしりしたり神経しんけい質しつになったりするから。それに僕ぼくはハワイにずいぶんごぶさただし」

ファーマー・ジョーは畑はたけに出でている、そしてレイモンド・カアイラウはマーケットへソーダを買かいにいった、とピアイラグが言いった。

奥おくの部屋へやに引ひき返かえした僕ぼくたちは、すわって話はなしをする場所ばしょを見みつけた。壁かべに寄よせて、ソファともベッドともつかない台だいが毛布もうふに覆おおわれてあり、ピアイラグとビル・ハミルトンがそこにならんで腰こしを降おろした。

ピアイラグと向むきあえるフロアにあぐらをかいたダフネは、化粧けしょうダンスに背せをもたせかけた。ドアのわきにあった小ちいさな椅子いすに、僕ぼくは背せもたれを前まえにしてまたがった。

「アランは、あそこにいる」

腕うでをまっすぐにのばし、ピアイラグは壁かべを指ゆびさした。

部屋へやの向むこうの隅すみに、フロアから天井てんじょうまで届とどく長ながさのサーフボードが、立たてかけてあった。そのすぐわきの壁かべに、アランのポスターが押おしピンでとめてあった。

「あそこにいるアランは、影かげにすぎない。現実げんじつのアランは、もうこの世よにはいない」

ダフネはクールだった。ピアイラグがまず最初さいしょに口くちにした決定けってい的てきな結論けつろんに表情ひょうじょうを変かえず、

「では、アランは、どうなってしまったのですか?」

と、ピアイラグに訊きき返かえした。

ピアイラグはダフネを見みた。たとえようもなく澄すんだピアイラグの視線しせんが、負まけず劣おとらずに純粋じゅんすいなダフネの視線しせんに結むすばれた。この一瞬いっしゅん、ふたりの心こころのもっとも深ふかい部分ぶぶんに宿やどる結晶けっしょうのようなものが、ふたりのあいだの空間くうかんのなかで溶とけあってひとつになった。僕ぼくはそれをはっきり感かんじた。

「アランは」

と、ピアイラグは言いった。

「海うみに降服こうふくした」

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