ホノルルからマウイのカフルイ空港まで、飛行機はよく揺れた。マウイは快晴で陽ざしが強かった。空港の小さな建物の外に、レンタ・カーの小さなオフィスがいくつか軒をつらねている。そこでダフネは車を借りた。アボカードの皮のような色をしたファイアバードだった。
スターターのモーターが断末魔のような悲鳴をあげて回転し、ボディぜんたいが激しく振動してエンジンが始動した。そのファイアバードで、僕たちは島の西へ向かった。ダフネが運転し、僕が道順を教えた。
マウイ島は、東西ふたつの方向にある火山が、ひとつにつながって出来た島だ。東側が大きく、西が小さい。地図で見ると、島ぜんたいは胸像のようなかたちだ。その胸像の顎のすぐ下、喉もとにあたる部分が、マアラエア湾だ。
ファイアバードを走らせながら、ダフネはいつもよりはしゃいでいた。アランについての情報が得られるので、うれしいのだろう。タヒチから来たふたりの男たちは、アランはもう生きてはいないだろうと言っているという。このことを昨日のうちにダフネに伝えておけばよかったと、僕は軽い後悔を覚えた。
マアラエア湾のすぐ近く、歩いても十五分とかからないところに、ジョーというサーファーが住んでいる。正式な名前をなんというのか、誰も知らない。マアラエアで農業にうちこむかたわら、めったに来ないことで有名なこの湾のサーフで波乗りをしている男だ。誰もが彼のことをファーマー・ジョーと呼んでいる。
濃い緑の小さな森を背に、木造の四角い家が二軒ならんでいる。板張りの壁には白くペンキが塗られ、窓やドアの枠はくすんだグリーンだ。だが、そんな色がわからないほどに、家の外には熱帯の草木が茂っている。
二軒の家は、以前は独立した家屋だったのだが、ヴェランダのような渡り廊下をファーマー・ジョーが作り、二軒の家を一軒につないでしまった。ヴェランダの裏は、森と接するまでの草の生えたスペースが、快適な陽陰のある中庭のかわりになっている。
東側の建物の隣にファイアバードを停め、僕とダフネは車を降りた。高床式のポーチをあがり、スクリーン・ドアを開いてなかに入った。
「男の香りがするわ」
ダフネが言った。部屋のなかを興味深そうに見渡し、
「居心地の良さそうな家ね」
と、言った。
この家の主人はファーマー・ジョーだ。いつここへ来ても、見るからにぐうたらそうな新顔のサーフ・バムが、社会保障を頼りに何人も共同生活をしている。ダフネが言うように、波乗りだけが仕事の男どうしなら、住み心地は良いだろう。
奥の部屋へ歩いた。誰もいないようだった。ヴェランダまで出てみると、向こうの家から、地元のラジオ局の日本語放送が聞こえた。
「ジョー!」
と、僕は呼んでみた。
ヴェランダの向こうに、男がひとり、姿を見せた。白い半袖シャツにショート・パンツをはき、裸足だった。男は僕たちを見つめた。
ミクロネシア系の男だろう。小柄だがものすごく頑丈そうな体格をしていた。頑健さの具現のような体は深く陽焼けし、奥行きのある力強さが不思議なおだやかさと溶けあい、彼の体の隅々にまでいきわたっていた。彼を見ていると安心感を覚えた。長い年月をかけた直接の体験をとおし、自分の世界を知り抜いたその男の自信は、静かな力強さとなって発散され、そばにいる人を安心させるのだ。
この男は海の男だ、と僕は直感した。
「タヒチからいらしたかたですか」
僕は訊いた。
「イエス」
と、男は答えた。そして、僕たちに向かって歩み寄った。
「カアイラウが今日ここへ来ると言っていた、バリー・カネシロとダフネ・ウォーカーですね」
フランスなまりのような癖のある英語で、男が言った。
「そうです」
ダフネが答えた。
「私はピアイラグといいます」
男は右手を差しのべた。僕たちは握手を交わした。ピアイラグの大きな手に包みこまれるような握手だった。ヴェランダの向こうにもうひとり、男が姿をあらわした。アメリカ人だということは、身のこなしや表情ですぐにわかった。
「やあ」
と、彼が言った。肩のあたりをぼりぼりとかきながら僕たちのほうへ歩いて来て、
「ハワイで蚊帳を吊って昼寝をするのも久しぶりだ」
と、陽気な口調で彼は言った。
「しかし、あの蚊帳には穴があいている。蚊に刺されてしまった」
男はビル・ハミルトンといった。ピアイラグとは昔からつきあっている親友どうしで、タヒチからともにハワイまで来たのだという。
「ひとりでは心細いとピアイラグが言うので、エスコートのようについて来たのですよ。彼は陸の上だと、妙に人見知りしたり神経質になったりするから。それに僕はハワイにずいぶんごぶさただし」
ファーマー・ジョーは畑に出ている、そしてレイモンド・カアイラウはマーケットへソーダを買いにいった、とピアイラグが言った。
奥の部屋に引き返した僕たちは、すわって話をする場所を見つけた。壁に寄せて、ソファともベッドともつかない台が毛布に覆われてあり、ピアイラグとビル・ハミルトンがそこにならんで腰を降ろした。
ピアイラグと向きあえるフロアにあぐらをかいたダフネは、化粧ダンスに背をもたせかけた。ドアのわきにあった小さな椅子に、僕は背もたれを前にしてまたがった。
「アランは、あそこにいる」
腕をまっすぐにのばし、ピアイラグは壁を指さした。
部屋の向こうの隅に、フロアから天井まで届く長さのサーフボードが、立てかけてあった。そのすぐわきの壁に、アランのポスターが押しピンでとめてあった。
「あそこにいるアランは、影にすぎない。現実のアランは、もうこの世にはいない」
ダフネはクールだった。ピアイラグがまず最初に口にした決定的な結論に表情を変えず、
「では、アランは、どうなってしまったのですか?」
と、ピアイラグに訊き返した。
ピアイラグはダフネを見た。たとえようもなく澄んだピアイラグの視線が、負けず劣らずに純粋なダフネの視線に結ばれた。この一瞬、ふたりの心のもっとも深い部分に宿る結晶のようなものが、ふたりのあいだの空間のなかで溶けあってひとつになった。僕はそれをはっきり感じた。
「アランは」
と、ピアイラグは言った。
「海に降服した」