リトル・リーグのための野球場から道路をへだてた向かい側に、巨大なモンキーポッドの樹が何本もならんで立っている。残酷なまでに青い空から照りつけるマウイの太陽のなかに、モンキーポッドの樹は快適な陽陰をつくってくれていた。
徐行して来た僕は、その陽陰に車を停めた。エンジンを切り、歩道の側のドアを大きく開け放った。シートをうしろへいっぱいにずらし、腰を前に出してだらしなくすわりなおした僕は、ダッシュボードに裸足の両足をあげた。
朝の十時前から西マウイの陽ざしはこの熱さだが、樹陰に入ると気持いい。風が少し吹いて来る。トランクス一枚の体に、その風は心地良い。右足の親指で、僕はカー・ラジオのスイッチを押しこんだ。
地元の日本語放送がスピーカーから聞こえて来た。おかしな抑揚だということが僕にもわかる日本語で、人生相談がおこなわれていた。聴いている人たちから次々にかかって来る電話に応えながら、初老らしい男が人生の相談に乗っていく。電話をかけて来る人たちは老人ばかりだった。
自動車の走らない、そして人の姿もまったくない静かな裏通りに、陽ざしだけが強烈に明るい。車のラジオからは、人生の最終コーナーをいま抜けていきつつある人たちの悩みごとの相談が、聞こえて来る。聞いていて三分の一くらいなら、僕にも理解出来た。
リトル・リーグの野球場の斜め向かいは小学校だ。金網のフェンスの向こうに、濃い褐色の土をむきだしにした校庭があり、殺風景と呼んだほうがいい簡単な造りの校舎が、その校庭の端にあった。
バスケットボールのコートが、半分だけ陽陰になっていた。白いショートパンツの女のこがひとり、バスケットボールをネットに入れていた。半円形にドリブルしながら走っていき、ボールを両手に持って、ジャンプ。ボールはボードに当たり、跳ね返ってかならずネットに落ちる。ジャンプしてそのボールを取り、ふたたび半円形にドリブルして走り、こんどは反対側からジャンプ。女のこは規則的にその作業を繰り返した。
彼女のジャンプとシュートを遠くから眺めていると、校舎のまんなかの出入口から、子供たちが何人か校庭に出て来た。子供たちは白い大きな雪ダルマをかかえていた。雪で作ったダルマではない。骨組みをこしらえ、紙を貼りつけて白く塗り、目鼻や口を描きこんだものだ。ダルマの高さは、それをかかえている生徒たちの身長の、倍はあった。彼らの手作りのスノー・マンだ。
大騒ぎしながら、スノー・マンを校庭のまんなかまで、生徒たちはかつぎ出した。照りつける陽ざしのなかに、スノー・マンは安置された。
楽天家のような笑顔を浮かべているスノー・マンは、しかし、子供たちが手を離すとぐらりと重くかしぎ、なかば横倒しになった。
生徒たちは歓声をあげてスノー・マンに駆け寄り、何人かが助け起こした。まっすぐに立てなおし、スノー・マンの尻を地面に押しつけてから、大半の生徒が手を離してうしろにさがった。残る生徒が同時に手を離すと、スノー・マンはそのまま直立しているかに見えてそうではなく、さきほどとおなじく傾き、笑顔を白い雲のきらめく青空に向けた。
何度やっても、おなじことが繰り返された。ミニ・スカートをはいた、頑丈そうな体格の女の先生が、生徒たちを指導していた。腰に両手を当てて陽ざしのなかに突っ立ち、大声で怒鳴りつつ、先生は生徒たちから対策を引き出していった。
生徒たちは校庭の隅から土くれを持ってきた。スノー・マンの丸い尻の下に、彼らは土を置いていった。土の量がある程度にまで達すると、スノー・マンは倒れなくなった。
問題が解決されてもまだ先生は大声をあげ続け、生徒たちは直立したスノー・マンをしばらく眺めてから、走って教室へ引き揚げた。うしろから、先生が、ゆっくり歩いていった。
この騒ぎのあいだずっと、バスケットボール・コートの女のこは、スノー・マンには目もくれず、ドリブルとジャンプとシュートを繰り返し続けた。校庭はふたたび静かになった。
しばらくして、うしろから自動車の音が近づいた。トラックだということは見なくてもわかった。徐行して来たトラックは、僕の車のわきに停まった。マウイ郡の道路建設工事用のトラックだった。
運転台のドアが開き、作業員が僕を見下ろした。ハワイ系のたくましい男だ。両袖をとってしまった白いTシャツが、厚い筋肉の胸に貼りついていた。
「働け、この馬鹿!」
その男は、笑いながら僕に怒鳴った。
「朝からこんなとこで、なにやってんだ。不精をきめこんだ檻のなかの猿じゃないか」
「人間に近づこうと思って、こうしてラジオを聴きながら人生の哲学を勉強してるんだ」
僕は、カー・ラジオを指さした。
「人間になりたかったら、汗をかいて働くことだ」
と、その男は言った。
「働くことによって、猿は類人猿になり人間となった」
「いったい誰の学説だい」
僕の言葉に、男は右手の親指で自分の胸を示した。
「この俺さまだよ。真の人間とは、俺みたいな人のことだ」
男はかたわらのシートからなにか手に取り、僕にほうってよこした。両手でそれを僕は受けとめた。黄色いバナナだった。
「食え、エテ公!」
男を見上げ、僕はバナナを振ってみせた。
「猿を甘やかしては駄目だよ。つけあがるばかりだ」
男は深く何度もうなずいた。
「たしかに、そのとおりだ。マウイ島は猿を甘やかしてる。マアラエア湾にも、猿がたくさんいたからなあ」
反射的に僕は両足をダッシュボードから降ろした。片手でラジオを切り、もういっぽうの手でエンジンをかけた。ドアを閉じ、シートを前に引き戻した。
男を見上げ、
「餌をありがとう。湾の猿たちと分けて食うよ」
そう言って車を発進させ、僕はマアラエア湾に向かった。
湾には波が来ていた。なかなか来ないが、待てばかならず来る波だ。南あるいは西からのうねりは、ラナイ島やカフーラウェ島にはばまれ、マウイ島の西海岸には届きにくい。たとえ届いても、サーフになるための条件の整ったうねりは、数少ない。