アランが使っていた赤いサーフボードは、パペーテのビル・ハミルトンの自宅に置いてあった。それをラリーがホノルルに持って帰った。いまそのボードは僕たちのオフィスにある。奥の部屋の壁に作ってある、16ミリ・フィルム映写用のスクリーンのわきに、アランのサーフボードは立てかけてある。
「明かりを消してもいいかしら」
ダフネが言った。
「いいよ」
ラリーが答えた。
部屋の明かりが消えた。暗くなった。ダフネは映写機のスイッチをオンにした。スクリーンが四角に明るくなった。
ダフネが作った、アランについての映画の試写が、これから始まる。見るのはダフネと僕、それにラリー・デイヴィスとビル・ハミルトンの四人だけだ。タヒチからホノルルに帰って来て以来、ダフネはぶっとおしで働いた。ホクレア号の出発を見送りにホノルルへいった日をのぞいて、ほかの日は毎日、フィルムとの格闘だった。
現像が出来て来ると、自分が撮ったフィルムのオール・ラッシュを映写して頭のなかに叩きこんだダフネは、ナレーションの台本作りにとりかかった。僕たちのオフィスの電動タイプライターで台本を作成しつつ、同時に頭のなかでラッシュ・フィルムの編集を彼女はおこなった。
台本が出来あがり、推敲を終えると、その一部分をダフネは僕に読んで聞かせた。聞きながら、彼女の映画に対する僕の期待は、いちだんと高まった。
それから彼女はフィルムの編集にとりかかった。ナレーションの分量とフィルムの長さをつきあわせ、ナレーションのない部分、音楽だけがかぶさる部分、そしてサウンドはいっさいなしに映像だけで見せる部分に区分けした。フィルムを映写しつつナレーションを自分で読んで録音したダフネは、フィルムの最終的な編集を終え、微調整をすませた。
ナレーションと音楽の磁気テープをフィルムに光学録音しなおし、オプティカルもすませた。タイトル、そしてクレディットを作った。
最初に彼女が考えていたよりも十分だけ長くなり、完成したフィルムの映写時間は五十五分だった。その完成品が、いま僕たちの目の前のスクリーンに映し出されている。
フィルムは現実の時間の経過をほぼ忠実に追っていた。雨のパペーテから始まった。雨が降る南太平洋の島の午後だけを撮っても、ダフネの映像には底の知れないスリルがあった。雨に煙る湾と、その湾へ急激に落ちこんでいる深い緑の険しい山に、物語への期待が静かな律動となって感じられた。
ダフネのクールで明晰な声は、映像に調和していた。ビル・ハミルトンがパペーテで初めてアランに会うところから、ダフネは静かに語っていった。雨の夜、ハミルトンが自宅で自分の8ミリを映写してみせる場面が再現され、ハミルトンの撮った8ミリが五十フィートぜんぶ、インサートされていた。色調や粒子の違いが、重なり合って進行する時間の経過を、痛いほどスリリングに感じさせた。
8ミリ・フィルムのインサートのあと、ビル・ハミルトンがアランに会う以前へと、時間はフラッシュ・バックした。サンディエーゴでのアランとダフネの出会いが語られ、ダフネが撮影したアランの波乗りのフィルムのすべてが、インサートされた。
ピアイラグの小さな貨物船。出航の準備をするハミルトン。そしてパペーテの港からの出航。大海原。沈む太陽。手ぎわよく時間は進行し、あの無人の環礁が、水平線の小さな島影となって、ついに登場した。
島に近づき、高い太陽のもと、四十度の熱さを超える陽ざしのなかでボートによって環礁にあがっていくありさまが、カメラ・アイで紹介された。ラリー・デイヴィスはまだ登場しない。
白日夢のようなサーフが、スクリーンに映った。ダフネの手にかかると、サーフは、なおいっそう妖しい魅力を発散した。環礁ぜんたいが、そして、それをとりまく南太平洋の海が、スクリーンから僕たちにのしかかり始めたのは、場面が夕方になってからだった。
落日のシークエンスに、僕は息をのんだ。自分の呼吸がそのまま止まってしまわなかったのが、いまでも不思議だ。すべてのものが淡い黄金色に染まり、燃え立つような赤さから濃いオレンジ色へ落ちていき、やがて薄い闇が迫って来るまでの時間経過を、ダフネはこれ以上にはあり得ないほど感動的に、フィルムに撮っていた。
スクリーンに映り続ける光と影に、僕たちは叩きのめされた。そして夜の空に星が出て月が昇ると、夢のなかにしかあり得ないはるか遠い世界に、僕たちは運びこまれた。
星がすさまじい。濃紺の深い夜空を、星が埋めつくした。空の部分よりも、星のほうが多い。空のぜんたいが銀色に輝いている、と言ってかまわない。星はみな巨大だ。手をのばせば届きそうに思える。小さな環礁に向かって、星はいっせいに飛んで来るみたいだ。その轟々たる音が、いま聞こえるかいま聞こえるかと、僕は身をすくめつつ待ちかまえる。
月は生き物だった。青く白い月光は、この小さな島を、風と波の音のほかにはなにもない静けさの底へ、突き落とした。リーフの外からいきなり落ちこんでいる底なしの海溝の深さは、そのまま、月光のすぐ隣にある夜の深さと密度だった。同時録音された波の音が、僕たちを圧倒しぶちのめした。海の広さと深さが、絶えまなく襲いかかって来た。
月光を受けとめて、環礁もまた奇妙な生き物になった。月光の当たっている部分は白く輝き、当たっていないところは、果てのない奥行きをかかえた闇になった。月が位置を変えると、ついさっきまで影の底に沈んでいたものが白く輝いて生き、白かった部分が闇になった。ハイ・スピード撮影ではないのに、月の位置の変化とともに深い息をして生きる環礁ぜんたいが、スクリーンを見る人の内部を犯した。
椰子やパンダナスの葉が風に鳴り、影と光を間断なく交錯させつつ、はためいた。落日の最後の時間、まっ赤に染まった砂浜に、西の端から東の端まで、鮮明な黒い影を長く落としていた椰子やパンダナスだ。