『白い波の荒野へ』という短篇小説を、僕は雑誌『野生時代』の創刊号に書いた。一九七四年のことだったと思う。まもなく文芸雑誌を創刊するからそこに小説を書くように、と僕は角川春樹さんから依頼された。翻訳の仕事をとおして、その頃の僕はすでに角川さんと知り合っていた。文芸雑誌とはどのようなものなのか、僕にはよくわからなかったが、短篇ひとつならなにか書けるだろう、と僕は思った。
当時の僕はたいへんに多忙だった。雑誌『ワンダーランド』とそのあとの『宝島』をめぐる作業、そして僕自身の雑誌ライターとしてあるいは翻訳者としての仕事が山のようにあった。角川さんはその何十倍も多忙だったはずだ。彼の文芸雑誌は準備期間を終え、創刊号のための作業に入った。僕が仕事で出向いている場所に角川さんは自らあらわれ、文芸雑誌の創刊号のための短篇をかならず書くように、と僕に念を押した。本気の依頼であることが、このとき僕にはようやくわかった。僕は締切りを告げられた。
なにか書けるだろうとは、なにが書けるかの問題だ。書けることはほとんどない、という発見ないしは確認を、僕はしなくてはならなかった。この頃の僕は、『ワンダーランド』そしてその続きの『宝島』で、『ロンサム・カウボーイ』というタイトルのもとに、文章を連載していた。
二十歳の頃から自分が書いてきた、どの文章とも異なるような文章だった。そういうものを書きたくなったから、僕は書いたのだ。評論でもなければノン・フィクションでもなく、感想文でも紀行文でもなく、要するに連載の毎回はそれぞれ独立した物語だった。だからそれは僕にとっては小説の始まりだった、と僕は考えることにしている。僕にとって小説のデビュー作は、『ロンサム・カウボーイ』だ。
『野生時代』の創刊号に書いた短篇は、この『ロンサム・カウボーイ』の延長線上に位置するものだ。そこでならやっとそれだけを書くことが出来た、という言いかたはたいへんに正確だと、二十数年後の当人が思う。『野生時代』という文芸雑誌の創刊号に書く小説として、『ロンサム・カウボーイ』の延長線上の、ハワイの波乗りの話しか、僕は書くことが出来なかった。
書いた原稿を編集部に読んでもらい、支持を得たのち、僕はぜんたいを書きなおした。当人としては言葉づかいを引き締めなおしたつもりだった、というようなことをいま僕は思い出している。タイトルをつけたときのことを、ついでに書いておこう。さてタイトルをどうすればいいものか、考えてもアイディアは浮かばないまま、時間だけが経過していきそうな気配になった。
なんとか早くにタイトルをきめたいと思った僕の目にふととまったのは、当時の角川文庫の新刊だった。帯のコピーに「白い荒野へ」という言葉があった。あてどない旅の途上にある青年の必携品としての文庫本、というイメージで角川文庫は宣伝されていた。このコピーのなかに「波の」という言葉を加えて、短篇のタイトルは『白い波の荒野へ』となった。
『アロハ・オエ』『アイランド・スタイル』『シュガー・トレイン』『ベイル・アウト』の四篇は、『野生時代』の創刊から三、四年あと、同誌に書いた。『白い波の荒野へ』の主人公とその周辺を使って、連作のようにいくつかさらに書いてはどうか、という提案を編集部から受けたからだ。言葉によるそのような試みが自分に可能かどうか、五分五分のところで僕は引き受け、この四篇を書くことが出来た。
『白い波の荒野へ』は、『いい旅を、と誰もが言った』というタイトルの単行本に、まず収録された。あらたに書いた四篇が揃ってから、『白い波の荒野へ』を加え、書いた時間順に配列し、『波乗りの島』というタイトルで文庫になった。一九八〇年のことだ。それから十年以上をへて、おそらく一九九〇年代に入ってから、おなじ内容のまま単行本になった。だからここにあるこの文庫本は、四度めのかたちだ。
いい機会だから校正刷りは丁寧に読み、納得のいくところまで訂正や修正を加えてはどうかと、編集作業の全域を担当したフリーランスの編集者、吉田保さんが僕に提案した。まっとうな提案だから、僕は受けなければいけない。僕は校正刷りを細かく読んだ。訂正や修正を加えた。その結果として校正刷りは、業界の言葉で言うところの、「まっ赤なゲラ」となった。
ゲラとは校正刷りのことだ。校正用にガラガラと音を立てて仮に刷るから、ガラ刷りと呼ばれた。それがいつのまにかゲラと訛って、いまもそのまま通用している。まっ赤とは、赤いボールペンで訂正や修正を書き込んだことによる、校正刷りの紙面ぜんたいの印象のことを言う。
二十数年後におこなう推敲、などと僕は冗談を言いながら作業にとりかかったのだが、校正の作業はけっして冗談などではなかった。『波乗りの島』をつらぬく主題に、僕は初めて出会ったからだ。書いたときには主題の自覚などまったくなしに、書いていて心地良いことのみを反射的に書いていく、というスタイルで書いた。それから二十数年をへて、書いた当人が読みなおしてみると、『波乗りの島』を構成する五篇を、ひとつの主題がつらぬいている事実を、発見することとなった。
その主題はごく簡単に書くと次のようなことだ。なににしろ存在するものは消えていく。消えていくにあたっては、どこかになんらかのかたちで、それは痕跡を残す。たとえば一度だけの大波は、それを撮影した映画フィルムのなかに、痕跡として残る。その痕跡を受け渡された次の人たちが、痕跡のなかからなんらかのクリエイティヴな力を引き出して、それを自分たちのものとしていく。
人が島に生きることの象徴であるような古い民家や、懐かしいジェネラル・ストアが、開発の前に消えていく。古き佳きハワイを残す小さな町が、火山の噴火で溶岩に埋めつくされる。波乗りのために美しく使うことの出来る波が、発電所の工事で永久に消えてしまう。歴史を継承する双胴のカヌーが、そして優秀なサーファーが、嵐の海に消えていく。それらの痕跡は、人の記憶のなかに、映画フィルムのなかに、あるいは歌にかたちを変えて、とどまり続ける。