← Library‹ 波乗りの島 改訂文庫版のためのあとがき

『白しろい波なみの荒野あらのへ』という短篇たんぺん小説しょうせつを、僕ぼくは雑誌ざっし『野生やせい時代じだい』の創刊そうかん号ごうに書かいた。一いち九きゅう七なな四よん年ねんのことだったと思おもう。まもなく文芸ぶんげい雑誌ざっしを創刊そうかんするからそこに小説しょうせつを書かくように、と僕ぼくは角川かどかわ春樹はるきさんから依頼いらいされた。翻訳ほんやくの仕事しごとをとおして、その頃ころの僕ぼくはすでに角川かどかわさんと知しり合あっていた。文芸ぶんげい雑誌ざっしとはどのようなものなのか、僕ぼくにはよくわからなかったが、短篇たんぺんひとつならなにか書かけるだろう、と僕ぼくは思おもった。

当時とうじの僕ぼくはたいへんに多忙たぼうだった。雑誌ざっし『ワンダーランド』とそのあとの『宝島たからじま』をめぐる作業さぎょう、そして僕ぼく自身じしんの雑誌ざっしライターとしてあるいは翻訳ほんやく者しゃとしての仕事しごとが山やまのようにあった。角川かどかわさんはその何十なんじゅう倍ばいも多忙たぼうだったはずだ。彼かれの文芸ぶんげい雑誌ざっしは準備じゅんび期間きかんを終おえ、創刊そうかん号ごうのための作業さぎょうに入はいった。僕ぼくが仕事しごとで出向でむいている場所ばしょに角川かどかわさんは自みずからあらわれ、文芸ぶんげい雑誌ざっしの創刊そうかん号ごうのための短篇たんぺんをかならず書かくように、と僕ぼくに念ねんを押おした。本気ほんきの依頼いらいであることが、このとき僕ぼくにはようやくわかった。僕ぼくは締切しめきりを告つげられた。

なにか書かけるだろうとは、なにが書かけるかの問題もんだいだ。書かけることはほとんどない、という発見はっけんないしは確認かくにんを、僕ぼくはしなくてはならなかった。この頃ごろの僕ぼくは、『ワンダーランド』そしてその続つづきの『宝島たからじま』で、『ロンサム・カウボーイ』というタイトルのもとに、文章ぶんしょうを連載れんさいしていた。

二十にじゅう歳さいの頃ころから自分じぶんが書かいてきた、どの文章ぶんしょうとも異ことなるような文章ぶんしょうだった。そういうものを書かきたくなったから、僕ぼくは書かいたのだ。評論ひょうろんでもなければノン・フィクションでもなく、感想かんそう文ぶんでも紀行きこう文ぶんでもなく、要ようするに連載れんさいの毎回まいかいはそれぞれ独立どくりつした物語ものがたりだった。だからそれは僕ぼくにとっては小説しょうせつの始はじまりだった、と僕ぼくは考かんがえることにしている。僕ぼくにとって小説しょうせつのデビュー作さくは、『ロンサム・カウボーイ』だ。

『野生やせい時代じだい』の創刊そうかん号ごうに書かいた短篇たんぺんは、この『ロンサム・カウボーイ』の延長えんちょう線せん上じょうに位置いちするものだ。そこでならやっとそれだけを書かくことが出来できた、という言いいかたはたいへんに正確せいかくだと、二十にじゅう数すう年ねん後ごの当人とうにんが思おもう。『野生やせい時代じだい』という文芸ぶんげい雑誌ざっしの創刊そうかん号ごうに書かく小説しょうせつとして、『ロンサム・カウボーイ』の延長えんちょう線せん上じょうの、ハワイの波乗なみのりの話はなししか、僕ぼくは書かくことが出来できなかった。

書かいた原稿げんこうを編集へんしゅう部ぶに読よんでもらい、支持しじを得えたのち、僕ぼくはぜんたいを書かきなおした。当人とうにんとしては言葉ことばづかいを引ひき締しめなおしたつもりだった、というようなことをいま僕ぼくは思おもい出だしている。タイトルをつけたときのことを、ついでに書かいておこう。さてタイトルをどうすればいいものか、考かんがえてもアイディアは浮うかばないまま、時間じかんだけが経過けいかしていきそうな気配けはいになった。

なんとか早はやくにタイトルをきめたいと思おもった僕ぼくの目めにふととまったのは、当時とうじの角川かどかわ文庫ぶんこの新刊しんかんだった。帯おびのコピーに「白しろい荒野あらのへ」という言葉ことばがあった。あてどない旅たびの途上とじょうにある青年せいねんの必携ひっけい品ひんとしての文庫ぶんこ本ほん、というイメージで角川かどかわ文庫ぶんこは宣伝せんでんされていた。このコピーのなかに「波なみの」という言葉ことばを加くわえて、短篇たんぺんのタイトルは『白しろい波なみの荒野あらのへ』となった。

『アロハ・オエ』『アイランド・スタイル』『シュガー・トレイン』『ベイル・アウト』の四よん篇へんは、『野生やせい時代じだい』の創刊そうかんから三さん、四よん年ねんあと、同誌どうしに書かいた。『白しろい波なみの荒野あらのへ』の主人しゅじん公こうとその周辺しゅうへんを使つかって、連作れんさくのようにいくつかさらに書かいてはどうか、という提案ていあんを編集へんしゅう部ぶから受うけたからだ。言葉ことばによるそのような試こころみが自分じぶんに可能かのうかどうか、五ご分ふん五ご分ぶんのところで僕ぼくは引ひき受うけ、この四よん篇へんを書かくことが出来できた。

『白しろい波なみの荒野あらのへ』は、『いい旅たびを、と誰だれもが言いった』というタイトルの単行たんこう本ほんに、まず収録しゅうろくされた。あらたに書かいた四よん篇へんが揃そろってから、『白しろい波なみの荒野あらのへ』を加くわえ、書かいた時間じかん順じゅんに配列はいれつし、『波乗なみのりの島しま』というタイトルで文庫ぶんこになった。一いち九きゅう八はち〇れい年ねんのことだ。それから十じゅう年ねん以上いじょうをへて、おそらく一いち九きゅう九きゅう〇れい年ねん代だいに入はいってから、おなじ内容ないようのまま単行たんこう本ほんになった。だからここにあるこの文庫ぶんこ本ほんは、四よん度どめのかたちだ。

いい機会きかいだから校正こうせい刷すりは丁寧ていねいに読よみ、納得なっとくのいくところまで訂正ていせいや修正しゅうせいを加くわえてはどうかと、編集へんしゅう作業さぎょうの全域ぜんいきを担当たんとうしたフリーランスの編集へんしゅう者しゃ、吉田よしだ保たもつさんが僕ぼくに提案ていあんした。まっとうな提案ていあんだから、僕ぼくは受うけなければいけない。僕ぼくは校正こうせい刷すりを細こまかく読よんだ。訂正ていせいや修正しゅうせいを加くわえた。その結果けっかとして校正こうせい刷すりは、業界ぎょうかいの言葉ことばで言いうところの、「まっ赤かなゲラ」となった。

ゲラとは校正こうせい刷すりのことだ。校正こうせい用ようにガラガラと音おとを立たてて仮かりに刷するから、ガラ刷すりと呼よばれた。それがいつのまにかゲラと訛なまって、いまもそのまま通用つうようしている。まっ赤かとは、赤あかいボールペンで訂正ていせいや修正しゅうせいを書かき込こんだことによる、校正こうせい刷すりの紙面しめんぜんたいの印象いんしょうのことを言ゆう。

二十にじゅう数すう年ねん後ごにおこなう推敲すいこう、などと僕ぼくは冗談じょうだんを言いいながら作業さぎょうにとりかかったのだが、校正こうせいの作業さぎょうはけっして冗談じょうだんなどではなかった。『波乗なみのりの島しま』をつらぬく主題しゅだいに、僕ぼくは初はじめて出会であったからだ。書かいたときには主題しゅだいの自覚じかくなどまったくなしに、書かいていて心地良ここちよいことのみを反射はんしゃ的てきに書かいていく、というスタイルで書かいた。それから二十にじゅう数すう年ねんをへて、書かいた当人とうにんが読よみなおしてみると、『波乗なみのりの島しま』を構成こうせいする五ご篇へんを、ひとつの主題しゅだいがつらぬいている事実じじつを、発見はっけんすることとなった。

その主題しゅだいはごく簡単かんたんに書かくと次つぎのようなことだ。なににしろ存在そんざいするものは消きえていく。消きえていくにあたっては、どこかになんらかのかたちで、それは痕跡こんせきを残のこす。たとえば一いち度どだけの大波おおなみは、それを撮影さつえいした映画えいがフィルムのなかに、痕跡こんせきとして残のこる。その痕跡こんせきを受うけ渡わたされた次つぎの人ひとたちが、痕跡こんせきのなかからなんらかのクリエイティヴな力ちからを引ひき出だして、それを自分じぶんたちのものとしていく。

人ひとが島しまに生いきることの象徴しょうちょうであるような古ふるい民家みんかや、懐なつかしいジェネラル・ストアが、開発かいはつの前まえに消きえていく。古ふるき佳きハワイを残のこす小ちいさな町まちが、火山かざんの噴火ふんかで溶岩ようがんに埋うめつくされる。波乗なみのりのために美うつくしく使つかうことの出来できる波なみが、発電はつでん所しょの工事こうじで永久えいきゅうに消きえてしまう。歴史れきしを継承けいしょうする双胴そうどうのカヌーが、そして優秀ゆうしゅうなサーファーが、嵐あらしの海うみに消きえていく。それらの痕跡こんせきは、人ひとの記憶きおくのなかに、映画えいがフィルムのなかに、あるいは歌うたにかたちを変かえて、とどまり続つづける。

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