← Library‹ 七月の水玉 彼女が謎だった夏 3

直子なおこの喫茶きっさ店てんは今日きょうは定休ていきゅう日ひだ。撮とるにあたってはよく相談そうだんしましょう、と原田はらだは直子なおこに言いわれた。だから今日きょう、その相談そうだんのため、彼かれは彼女かのじょの喫茶きっさ店てんへ来きた。定休ていきゅう日ひ、とだけ書かいた小ちいさなカードが、ドア・ガラスの枠わくに差さし込こんであった。ドアは開ひらいた。彼かれはなかに入はいった。

テーブルに向むかって直子なおこが椅子いすにすわっていた。今日きょうもフランス語ごの歌うたがLPから再生さいせいされていた。直子なおこは椅子いすを立たった。その動作どうさの美うつくしいめりはり、そしてまっすぐに立たったときの姿すがたの良よさなどを、彼かれは受うけとめた。そのテーブルへ歩あるいた彼かれは、標準ひょうじゅんレンズをつけた写真しゃしん機きをテーブルに置おいた。

「今日きょうから撮とるの?」

「念ねんのために持もって来きました」

「コーヒーをいれるわ」

直子なおこはカウンターへ歩あるいた。そしてコーヒーをいれ始はじめた。再生さいせいされていたLPの片面かためんが終おわった。カウンターの壁かべぎわにレコード・プレーヤーがあった。そこへいった直子なおこは、LPを裏うらに返かえしてアームを降おろした。何なん人にんかの歌手かしゅたちのオムニバスLPなのだ、と彼かれは思おもった。直子なおこは彼かれのコーヒーをテーブルへ持もって来きた。そして椅子いすにすわりなおした。

「どうしましょうか」

直子なおこが言いった。

どうすればいいか、いまの彼かれには見当けんとうもつかなかった。人物じんぶつの撮影さつえい体験たいけんは、学校がっこうで撮とったヌードだけだ。あとは友人ゆうじんたち、そして町まちを歩あるくさまざまな人ひとの、スナップだ。ひとりの人物じんぶつを集中しゅうちゅうして撮とった体験たいけんは、彼かれにはなかった。大学だいがくにあるあの女性じょせい像ぞうを彼かれは思おもった。三さん年ねんという時間じかんのなかで、いろんな季節きせつのさまざまな光ひかりのなかで、存分ぞんぶんに撮とった。

「これから夏なつになるわ。私わたくしは夏なつがいちばん好すきよ」

では夏なつのあいだに撮とればいい、と彼かれは反射はんしゃ的てきに思おもった。新聞しんぶん社しゃでのアルバイトは九きゅう月がつ十じゅう五ご日にちからときまった。それまでの期間きかん、直子なおこの撮影さつえいに集中しゅうちゅうするといい。夏なつのなかの直子なおこ。あの像ぞうも季節きせつは夏なつだ。スカートや半袖はんそでのシャツは、いまとおなじではないか。夏なつという正解せいかいは、ずっと以前いぜんからあの像ぞうとともにあった、と彼かれは思おもった。

「映画えいがのようにしましょうか。私わたくしがひとりで主役しゅやく、季節きせつは夏なつ、そして背景はいけいはいまの東京とうきょう」

スティル写真しゃしんの連続れんぞくする映画えいがを、原田はらだは想像そうぞうしてみた。その映画えいがが一いち冊さつの本ほんになっている状態じょうたいへと、彼かれの想像そうぞうはつながった。なおさら夏なつだ、と原田はらだは思おもった。夏なつというひとつの連続れんぞくした光ひかりのなかでの、直子なおこのさまざまな姿すがた。見みる人ひとはそこに物語ものがたりを感かんじる。

「映画えいがには撮了という日ひがあるのよ。撮影さつえい終了しゅうりょうね。アップと言いってたわ」

「クランク・アップですか」

「そう。撮つまみ了りょうの日ひをきめておくと、その日ひに向むけて気持きもちが集中しゅうちゅうすると思おもうのよ」

言いうことがいちいち正ただしい、と原田はらだは思おもった。その思おもいのままに、

「八はち月がつ三十さんじゅう一いち日にちをアップの日ひにします」

と、彼かれは言いった。

微笑びしょうした直子なおこは次つぎのように言いった。

「背景はいけいは東京とうきょうでも、東京とうきょうのどこでなければいけない、ということはないのね」

この指摘してきも正ただしい。どこでもいいから、そのときその場ばでの、なにげない一瞬いっしゅん。それを見逃みのがさなければそれでいい。直子なおこのこの顔立かおだちは、あらゆる角度かくどに耐たえることが出来できるはずだ。撮とるのは楽らくなのではないか、とも原田はらだは思おもった。

「敗戦はいせん後ごの日本にっぽんで、若わかい女性じょせいの体からだだけが可能かのう性せいを秘ひめているように思おもえた、と長谷川はせがわ先生せんせいはおっしゃっていました」

原田はらだが言いった。

「体からだとは骨格こっかくだと思おもいます。僕ぼくがあの像ぞうを撮影さつえいして得えた結論けつろんは、この像ぞうは骨格こっかくがいい、ということでした。藤森ふじもりさんの骨格こっかくは写真しゃしんに向むいています」

彼女かのじょの体からだの動うごきは的確てきかくな鋭するどさを持もっている。これまで観察かんさつしたなかにも、素晴すばらしい一瞬いっしゅんはたくさんあった。自分じぶんはそれを記録きろくすればいい。どう撮とるか、というような工夫くふうや思案しあんはいっさい必要ひつようない、と言いうよりも邪魔じゃまだ。この女性じょせいを写真しゃしんに撮とることは、自分じぶんにとっては挑戦ちょうせんである、と彼かれはひとまず結論けつろんした。その結論けつろんに彼かれの気持きもちは高たかまった。

そして彼かれは不思議ふしぎに思おもった。これだけの人ひとが、ここで喫茶きっさ店てんの主人しゅじんをしている。彼女かのじょを見みるのは店みせへ来くる客きゃくだけだ。十じゅう八はち年ねん前まえに彼女かのじょを彫刻ちょうこくのモデルにしたあの彫刻ちょうこく家かは目めが高たかい。どんないきさつだったのか。いずれ教おしえてもらえるだろう。

「このお店みせはいつからなのですか」

と原田はらだは訊きいてみた。

「私わたくしが三十さんじゅう歳さいのときから。学校がっこうの先生せんせいになろうと思おもって、体育たいいくの学校がっこうを出でたのよ。女優じょゆうになるといいと熱心ねっしんに言いってくれた人ひとがいて、ニュー・フェースのテストに合格ごうかくして、ニュー・フェースになったの。大部屋おおべやの新人しんじん女優じょゆう。ニュー・フェースだけで作つくったカレンダーのための写真しゃしん撮影さつえいが、最初さいしょの仕事しごとだったわ。八はち月がつが私わたくしの月つきで、伊豆いずの海岸かいがんで水着みずぎ姿すがたになったのよ。芸名げいめいは藤ふじなお子こ。藤森ふじもりから藤ふじの字じをとって、直子なおこは直じかだけ平仮名ひらがなにして。ろくな役やくがつかなかったわ」

「どうしてですか」

「なぜかしら」

「戦後せんごすぐのことですね」

「世よのなかが少すこし落おち着ついてから。日本にっぽん映画えいがは粗製そせい濫造らんぞうの時代じだい。最初さいしょの出演しゅつえん作さくはシナリオが出来できてないまま、撮影さつえいに入はいったのよ。いつまでにアップ、いつまでに完成かんせいと、予定よていだけはきまってるから、とにかく撮とり始はじめるのね」

ろくな役やくがつかなかったとは、少すくなくとも映画えいがのなかには居い場所ばしょがなかったということではないか、と原田はらだは思おもった。美人びじんすぎるし、おまけにこの体からだだ。

「肉体にくたい派はという言葉ことばがあったのよ。いまでもあるかしら。裸はだかに近ちかい姿すがたで体当たいあたり演技えんぎ。きつい化粧けしょうをして、太腿ふともももあらわに脚あしを組くみ、冷つめたい表情ひょうじょうで煙草たばこをふかしたり」

そう言いって直子なおこは笑わらった。

「要ようするに半端はんぱな女おんなの役やくね。半端はんぱでしかも型かたにはまっていて。情婦じょうふとか娼婦しょうふ。さもなければ、誘惑ゆうわくする役やく。意地いじ悪わるな女おんな、冷つめたい女おんな。私わたくしはいいのだけれど、親したしい人ひとたちが見みてくれて、スクリーンの上うえの私わたくしを現実げんじつの私わたくしと混同こんどうするのよ。それが嫌いやで映画えいがはやめることにしたの。最後さいごの出演しゅつえん作さくでは、夜よるの港みなとの倉庫そうこを包囲ほういする警官けいかん隊たいとピストルを射うち合あって、私わたくしは死しんだのよ。あお向むけに横よこたわって絶命ぜつめいしている私わたくしを、真上まうえから撮とったの。そのときになると突然とつぜん、なぜか私わたくしのスカートは腰こしまで裂さけていて」

「映画えいがは十じゅう年ねんほど続つづいたのですか」

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