← Library‹ 七月の水玉 七月の水玉だった

初夏しょかの快晴かいせいの土曜どよう日ひ、あまりにも陽ひざしが美うつくしいので、風かぜを体からだで受うけとめたくなったヨシオは、自分じぶんの部屋へやから庭にわへ出でた。部屋へやの外そとに小ちいさな板いたの間まがあり、そこのドアから庭にわへ出入でいりすることができた。陽ひざしも空気くうきの感触かんしょくも、部屋へやのなかで感かんじたとおりの素晴すばらしさだった。彼かれは庭にわを歩あるきまわった。

敷地しきちの東隣ひがしどなりにヨシオの住すんでいる家いえとよく似にた造つくりの家いえがあった。どちらも平屋ひらや建だてで、ぜんたいの雰囲気ふんいきだけではなく、ふとした細部さいぶまで、似にたところがたくさんあった。接せっし合あっているふたつの庭にわの、おそらくそこが境界きょうかい線せんなのだろう、敷地しきちの北きたの縁えんから南みなみの縁えんまで、まっすぐに竹垣たけがきが作つくってあった。これも竹たけ細工さいくのうちに入はいるのだろうか、人ひとの肩かたあたりまでの高たかさの塀へいが、竹たけだけによって組くまれていた。

そしてその竹垣たけがきは手入ていれがまったくなされていず、いたるところで竹たけが抜ぬけ落おち、穴あながあいていた。左右さゆういずれの方向ほうこうにも自在じざいに倒たおれ、それゆえに塀へいはまっすぐではなく、蛇行だこうしているように見みえた。地面じめんへ完全かんぜんに倒たおれ落おちている部分ぶぶんもあった。塀へいに沿そって歩あるき、その傷いたみ具合ぐあいを見みていたヨシオは、

「ヨシオくん」

と、不意ふいに背後はいごから男おとこの声こえで呼よばれた。立たちどまった彼かれは振ふり返かえった。こちらへ向むけて大おおきく傾かたむいている竹垣たけがきの向むこうに、隣家りんかの主人しゅじんが柔和にゅうわな笑顔えがおで立たっていた。ヨシオの父親ちちおやとおなじ世代せだいの、高木たかぎという人ひとだ。以前いぜんは何なん度どか見みかけたが、庭にわの向むこうのこの家いえは、いまは空家あきやだったのではなかったか、とヨシオは思おもった。

「またここに住すむことになりました。よろしく」

と、高木たかぎさんは言いった。

「こちらこそ」

「この塀へいですけれどね。先日せんじつもお父ちちさんと話はなしをしたのですよ。私わたくしのほうが長ながく空家あきやにしていたせいで、塀へいはすっかり壊こわれてしまい、ご覧らんのとおりまるで役やくに立たってません。どうしたものかと話はなしをしているうちに、庭にわに仕切しきりが必要ひつようかどうかということになりましてね。仕切しきりはいらないとお父ちちさんがおっしゃって、私わたくしも賛成さんせいだから、いったんすべて取とり払はらってしまおう、という結論けつろんになったのですよ」

「そうでしたか」

「仕切しきりがなければ庭にわは広ひろくなって、おたがいに気持きもちがいいのではないか。僕ぼくはそう思おもいます。取とり払はらう作業さぎょうをうちの息子むすこにやらせます、とお父ちちさんはおっしゃってた」

「僕ぼくのことですね」

「押おしつけるわけではないし、催促さいそくしてるのでもないけれど」

「僕ぼくがやりますよ」

「それはありがたい」

「さっそくとりかかります」

「手助てだすけが必要ひつようなら呼よんでください」

「僕ぼくひとりで充分じゅうぶんです」

「いまおいくつ?」

「高校こうこうの三さん年ねんで十じゅう八はち歳さいです」

「ひとり息子むすこさんだったよね」

ひとり息子むすこさん、という言いいかたを初はじめて聞きく、と思おもいながらヨシオはうなずいた。

「なにぶんよろしく」

「こちらこそ」

幼おさない頃ころから変かわっていないヨシオの気質きしつのひとつは、やらなければならないなにごとかが目めの前まえにあらわれたなら、そのことにすぐにとりかかって手早てばやく終おわらせてしまうという、常つねにはっきりした傾向けいこうだ。その気質きしつのとおりに、ヨシオは竹垣たけがきを取とり払はらう作業さぎょうを、すぐに始はじめた。両親りょうしんはともに外出がいしゅつして留守るすだった。彼かれらが帰宅きたくしたときには、庭にわを分わけていた竹垣たけがきはすべて取とり払はらわれ、庭にわのまんなかに積つみ上あげてあった。

次つぎの日ひ、日曜にちよう日ひの午後ごごにも、彼かれは少すこしだけ作業さぎょうをした。残のこっていた竹たけを地面じめんから抜ぬき取とり、塀へいがあった部分ぶぶんを中心ちゅうしんに、地面じめんを平たいらにならした。かつてここに塀へいがあったとは思おもえない、平たいらにきれいにつながったひとつの庭にわになった。

敷地しきちの南側みなみがわは十じゅうメートルほどの高台たかだいになっていて、低ひくい金網かなあみフェンスの外そとから下したの道みちまで、石いしを積つんだ壁かべになっていた。ヨシオの自宅じたくは西にしの端はしにあり、この西側にしがわも坂道さかみちに接せっして斜ななめに高台たかだいだった。庭にわがひとつになった二に軒けんの家いえの配置はいち、そして脇道わきみちから玄関げんかんへのアプローチなど、よく似にていた。おなじ大工だいくがおなじ時期じきに建たてたものだろう、とヨシオは思おもっていた。庭にわがひとつになったせいで、二に軒けんの家いえのおたがいに似にた様子ようすは、さらに強つよまった。

月曜げつよう日ひの午後ごご遅おそく、ヨシオが学校がっこうから帰かえると、庭にわに積つみ上あげておいた竹垣たけがきの残骸ざんがいが、すべてきれいに消きえていた。坂さかの下したにある銭湯せんとうの主人しゅじんが燃料ねんりょうの足たしにと持もっていってくれた、と母親ははおやが説明せつめいした。庭にわをヨシオは点検てんけんした。ひとつにつながった広ひろさは新鮮しんせんで、気分きぶんは良よかった。もう引ひっ越こして来きている、と母親ははおやは言いっていたが、高木たかぎさんの家いえに人ひとのいる気配けはいはなかった。

庭にわの一いち件けんはこれですべて完全かんぜんに落着らくちゃくし、したがってヨシオの念頭ねんとうから庭にわは消きえた。五ご月がつが終おわって六ろく月がつとなり、きわめて梅雨つゆらしい梅雨つゆの雨あめが始はじまった。高木たかぎさんの家いえの、庭にわに面めんした濡ぬれ縁えんに、赤あかい傘かさが立たてかけてあるのを、ヨシオは一いち度どだけ見みた。高木たかぎさんとともに引ひっ越こして来きた妙齢みょうれいの娘むすめを、ヨシオの母親ははおやはよく話題わだいにした。だがヨシオが彼女かのじょの姿すがたを見みかけることはなかった。あの赤あかい傘かさは彼女かのじょのものなのだろう、と彼かれは思おもった。そしてそのこともすぐに忘わすれた。

ひときわ梅雨つゆらしく雨あめの続つづいた週しゅうの土曜どよう日ひ、ヨシオは庭にわの水みずはけがふと気きになった。だから午後ごごすぐに、彼かれは部屋へやから庭にわに出でた。直径ちょっけいの大おおきい黒くろいこうもり傘がさをさし、彼かれは庭にわを見みて歩あるいた。水みずたまりはどこにもできていなかった。庭にわの南側みなみがわの縁えんには、金網かなあみのフェンスに沿そって排水はいすい溝こうがあった。そこに流ながれ込こむ雨水あまみずは、ひとつにつながった庭にわの両端りょうたんにある排水はいすい口くちから、高台たかだいの土中どちゅうを土管どかんで下したの道みちまで下くだっていき、そこで道みちの縁えんにある排水はいすい溝こうへと流ながれていた。庭にわの排水はいすいに関かんして問題もんだいはない、とヨシオは判断はんだんした。

人ひとの気配けはいを感かんじて彼かれは振ふり返かえった。赤あかい傘かさをさした若わかい女性じょせいがひとり、素足すあしに下駄げたをはいて庭にわの中央ちゅうおうに立たっていた。彼女かのじょは微笑びしょうを彼かれに向むけていた。彼女かのじょが立たっている位置いちは、ヨシオの体感たいかんとして、まさに庭にわのまんなかだった。あまりにも正ただしくまんなかなので、自分じぶんとしては彼女かのじょの立たっている位置いちまで引ひき寄よせられていくほかない、と彼かれは感かんじた。だから彼かれは彼女かのじょに向むけて歩あるき、自分じぶんがさしている大おおきなこうもり傘がさの半径はんけいを彼女かのじょまでの距離きょりとして、そこに立たちどまった。

「ヨシオくんとおっしゃるの?」

きれいな声こえだった。彼女かのじょは自分じぶんがこれまでに見みた最高さいこうの美人びじんではないかと思おもいつつ、

「そうです」

と、彼かれは返事へんじをした。

「私わたくしは扶美子ふみこといいます」

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