初夏の快晴の土曜日、あまりにも陽ざしが美しいので、風を体で受けとめたくなったヨシオは、自分の部屋から庭へ出た。部屋の外に小さな板の間があり、そこのドアから庭へ出入りすることができた。陽ざしも空気の感触も、部屋のなかで感じたとおりの素晴らしさだった。彼は庭を歩きまわった。
敷地の東隣にヨシオの住んでいる家とよく似た造りの家があった。どちらも平屋建てで、ぜんたいの雰囲気だけではなく、ふとした細部まで、似たところがたくさんあった。接し合っているふたつの庭の、おそらくそこが境界線なのだろう、敷地の北の縁から南の縁まで、まっすぐに竹垣が作ってあった。これも竹細工のうちに入るのだろうか、人の肩あたりまでの高さの塀が、竹だけによって組まれていた。
そしてその竹垣は手入れがまったくなされていず、いたるところで竹が抜け落ち、穴があいていた。左右いずれの方向にも自在に倒れ、それゆえに塀はまっすぐではなく、蛇行しているように見えた。地面へ完全に倒れ落ちている部分もあった。塀に沿って歩き、その傷み具合を見ていたヨシオは、
「ヨシオくん」
と、不意に背後から男の声で呼ばれた。立ちどまった彼は振り返った。こちらへ向けて大きく傾いている竹垣の向こうに、隣家の主人が柔和な笑顔で立っていた。ヨシオの父親とおなじ世代の、高木という人だ。以前は何度か見かけたが、庭の向こうのこの家は、いまは空家だったのではなかったか、とヨシオは思った。
「またここに住むことになりました。よろしく」
と、高木さんは言った。
「こちらこそ」
「この塀ですけれどね。先日もお父さんと話をしたのですよ。私のほうが長く空家にしていたせいで、塀はすっかり壊れてしまい、ご覧のとおりまるで役に立ってません。どうしたものかと話をしているうちに、庭に仕切りが必要かどうかということになりましてね。仕切りはいらないとお父さんがおっしゃって、私も賛成だから、いったんすべて取り払ってしまおう、という結論になったのですよ」
「そうでしたか」
「仕切りがなければ庭は広くなって、おたがいに気持ちがいいのではないか。僕はそう思います。取り払う作業をうちの息子にやらせます、とお父さんはおっしゃってた」
「僕のことですね」
「押しつけるわけではないし、催促してるのでもないけれど」
「僕がやりますよ」
「それはありがたい」
「さっそくとりかかります」
「手助けが必要なら呼んでください」
「僕ひとりで充分です」
「いまおいくつ?」
「高校の三年で十八歳です」
「ひとり息子さんだったよね」
ひとり息子さん、という言いかたを初めて聞く、と思いながらヨシオはうなずいた。
「なにぶんよろしく」
「こちらこそ」
幼い頃から変わっていないヨシオの気質のひとつは、やらなければならないなにごとかが目の前にあらわれたなら、そのことにすぐにとりかかって手早く終わらせてしまうという、常にはっきりした傾向だ。その気質のとおりに、ヨシオは竹垣を取り払う作業を、すぐに始めた。両親はともに外出して留守だった。彼らが帰宅したときには、庭を分けていた竹垣はすべて取り払われ、庭のまんなかに積み上げてあった。
次の日、日曜日の午後にも、彼は少しだけ作業をした。残っていた竹を地面から抜き取り、塀があった部分を中心に、地面を平らにならした。かつてここに塀があったとは思えない、平らにきれいにつながったひとつの庭になった。
敷地の南側は十メートルほどの高台になっていて、低い金網フェンスの外から下の道まで、石を積んだ壁になっていた。ヨシオの自宅は西の端にあり、この西側も坂道に接して斜めに高台だった。庭がひとつになった二軒の家の配置、そして脇道から玄関へのアプローチなど、よく似ていた。おなじ大工がおなじ時期に建てたものだろう、とヨシオは思っていた。庭がひとつになったせいで、二軒の家のおたがいに似た様子は、さらに強まった。
月曜日の午後遅く、ヨシオが学校から帰ると、庭に積み上げておいた竹垣の残骸が、すべてきれいに消えていた。坂の下にある銭湯の主人が燃料の足しにと持っていってくれた、と母親が説明した。庭をヨシオは点検した。ひとつにつながった広さは新鮮で、気分は良かった。もう引っ越して来ている、と母親は言っていたが、高木さんの家に人のいる気配はなかった。
庭の一件はこれですべて完全に落着し、したがってヨシオの念頭から庭は消えた。五月が終わって六月となり、きわめて梅雨らしい梅雨の雨が始まった。高木さんの家の、庭に面した濡れ縁に、赤い傘が立てかけてあるのを、ヨシオは一度だけ見た。高木さんとともに引っ越して来た妙齢の娘を、ヨシオの母親はよく話題にした。だがヨシオが彼女の姿を見かけることはなかった。あの赤い傘は彼女のものなのだろう、と彼は思った。そしてそのこともすぐに忘れた。
ひときわ梅雨らしく雨の続いた週の土曜日、ヨシオは庭の水はけがふと気になった。だから午後すぐに、彼は部屋から庭に出た。直径の大きい黒いこうもり傘をさし、彼は庭を見て歩いた。水たまりはどこにもできていなかった。庭の南側の縁には、金網のフェンスに沿って排水溝があった。そこに流れ込む雨水は、ひとつにつながった庭の両端にある排水口から、高台の土中を土管で下の道まで下っていき、そこで道の縁にある排水溝へと流れていた。庭の排水に関して問題はない、とヨシオは判断した。
人の気配を感じて彼は振り返った。赤い傘をさした若い女性がひとり、素足に下駄をはいて庭の中央に立っていた。彼女は微笑を彼に向けていた。彼女が立っている位置は、ヨシオの体感として、まさに庭のまんなかだった。あまりにも正しくまんなかなので、自分としては彼女の立っている位置まで引き寄せられていくほかない、と彼は感じた。だから彼は彼女に向けて歩き、自分がさしている大きなこうもり傘の半径を彼女までの距離として、そこに立ちどまった。
「ヨシオくんとおっしゃるの?」
きれいな声だった。彼女は自分がこれまでに見た最高の美人ではないかと思いつつ、
「そうです」
と、彼は返事をした。
「私は扶美子といいます」