← Library‹ 物のかたちのバラッド もう痛くない彼女 5

店みせの奥おく、壁かべに沿そってならんでいるふたり用ようの席せきには、空席くうせきがいくつかあった。そのひとつに深町ふかまちと順子じゅんこは差さし向むかいにすわった。ふたりともチキン・カリーを注文ちゅうもんした。

「絵えを持もって来きてくださった?」

テーブルの向むこうで上体じょうたいを彼かれに向むけて傾かたむけ、順子じゅんこが訊きいた。

「持もって来きた」

鞄かばんから深町ふかまちはスケッチ・ブックを取とり出だし、あいだにはさんだままのあの絵えを抜ぬき出だした。そして順子じゅんこに手渡てわたした。壁かべに肩かたを寄よせ、その方向ほうこうに体からだを傾かたむけて、順子じゅんこは絵えを見みた。チキン・カリーが届とどくまで、順子じゅんこは絵えを見みていた。ウェイトレスがテーブルへ来くると、順子じゅんこは絵えを膝ひざに伏ふせた。そして上体じょうたいをのばし、なにごともないかのように澄すました表情ひょうじょうとなった。若わかいのにあれだけの色気いろけ、と加納かのうは言いった。その色気いろけとは、一いち例れいとしていまのような順子じゅんこなのか、と深町ふかまちは思おもった。ウェイトレスが下さがってから、順子じゅんこは伏ふせたままの絵えを深町ふかまちに返かえした。

「そっくりだわ。江利子えりこさんがおっしゃってたとおり」

順子じゅんこは笑顔えがおでそう言いった。そしてチキン・カリーを食たべ始はじめた。

「私わたくしの裸はだかをあなたは見みてないのに、よくこれだけそっくりに描えがけるわね。どこに秘訣ひけつがあるの?」

「似にてますか」

「そっくりよ」

「それは良よかった」

「いつも、こうなの?」

「いつもとは?」

「見みないで描えがくの? それとも、見みなくても描えがけるのかしら」

「見みたほうがいいかな」

「見みないまま描えがいて、よく似にていて、絵えは完成かんせいして、それでいいの?」

彼女かのじょとの会話かいわがどこへたどり着つくのか、まだ見当けんとうがつかないままに、深町ふかまちは順子じゅんこの食たべかたにも気きを取とられていた。両手りょうてや顔かおの動うごきが端正たんせいで、食たべかたはきれいだった。よく食たべる人ひとという印象いんしょうがそこに重かさなると、彼女かのじょという人ひとの元気げんきさが、食たべかたのぜんたいとして浮うかび上あがった。

「私わたくしは見みなくてもいいの?」

「いまこうして見みてるよ」

「裸はだかの私わたくし。現実げんじつの、生身なまみの、現物げんぶつの私わたくし。しかも裸はだかの」

「見みることが出来できるなら」

「見みせるわよ」

「見みますよ」

「見みたら、どうなるのかしら。もう一いち度ど、描えがいたりするの?」

「描えがくにきまってます」

「では、描えがいて。見みせるから。裸はだかくらい、いくらでも見みせるのよ」

順子じゅんこといまこうして向むき合あっている自分じぶんは、彼女かのじょによってあっけなく問といつめられ、追おい込こまれ、どこかへ囲かこい込こまれた自分じぶんであるように、深町ふかまちは感かんじた。

「いくらでも見みせる、と私わたくしは言いってるのよ」

「見みたいです」

「ホテルの部屋へやがあの絵えの背景はいけいとして、ヒントになってるのですって? 江利子えりこさんがおっしゃってたわ」

加納かのうに頼たのまれた挿絵さしえの仕事しごとでホテルの和室わしつを訪たずねたいきさつを、深町ふかまちは説明せつめいした。

「そこで見みせてあげる。そのホテルの、その部屋へやで」

「絵えに現実げんじつを重かさねるわけだ」

「いま、これから」

「なるほど」

食事しょくじを終おえてふたりは店みせを出でた。店みせの入口いりぐちのかたわらに赤あか電話でんわがあった。仕事しごとに関係かんけいしたあらゆる事柄ことがらを書かきとめておく手帳てちょうを、深町ふかまちは鞄かばんから取とり出だした。たしかこの手帳てちょうの前まえのほうだと思おもいながら、彼かれはページを繰くった。あのホテルの名なや電話でんわ番号ばんごう、そして部屋へやの番号ばんごうまで、書かいてあった。その番号ばんごうに彼かれは電話でんわをかけた。おなじ和室わしつが空あいているという。彼かれはその部屋へやを予約よやくした。

地下ちか街がいへ降おりていく階段かいだんの上うえで、順子じゅんこは彼かれと腕うでを組くんだ。ふたりは地下ちか鉄てつに乗のった。五いつつ目めの駅えきで降おり、地上ちじょうに出でると道路どうろの向むかい側がわにそのホテルがあった。彼女かのじょはロビーのソファで待まち、彼かれがチェック・インして部屋へやの鍵かぎを受うけ取とった。ナイト・クラブの入口いりぐちにエレヴェーターがあり、ふたりはそれで部屋へやのある階きざはしまで上あがった。そして部屋へやに入はいった。

「不思議ふしぎなお部屋へやなのね」

空間くうかんのぜんたいを見渡みわたしながら、順子じゅんこが言いった。彼女かのじょの言いうとおりだった。畳たたみの敷しいてあるスペースは、縁側えんがわとしか呼よびようのない木製もくせいの縁えんに上あがり、障子しょうじを開ひらいたなかにあった。縁側えんがわをへて障子しょうじで仕切しきられたそのほぼ正せい方形ほうけいのスペースは、部屋へやぜんたいのおなじく正せい方形ほうけいの広ひろがりの奥おくに、“いれこ”となっていた。縁側えんがわと障子しょうじのある二に辺へんは直角ちょっかくに交まじわり、その直角ちょっかくの角かどが部屋へやに入はいると正面しょうめんにあった。二に辺へんのうちひとつはソファのある壁かべに面めんし、もうひとつはドレッサーや小ちいさなデスクのある壁かべに面めんしていた。深町ふかまちは靴くつを脱ぬいで縁側えんがわに上あがり、障子しょうじを開ひらいた。彼女かのじょも上あがって来きた。

「絵えにあるとおりだわ」

そう言いって彼女かのじょはバッグから絵えを取とり出だした。布団ふとんの敷しいてある位置いちを、絵えのなかの布団ふとんと突つき合あわせた。そして布団ふとんのかたわらへいき、そこにしゃがんで片膝かたひざをついた。

「こういうポーズなのね」

「そうだね」

「私わたくし、裸はだかになるわ。障子しょうじの外そとに出でて、障子しょうじを閉しめて待まってて。どうぞ、と言いったら入はいって来きていいのよ」

深町ふかまちはそのとおりにした。待まつほどもなく、

「どうぞ」

という順子じゅんこの声こえを、彼かれは障子しょうじごしに受うけとめた。障子しょうじを開ひらいて彼かれはなかに入はいった。裸はだかの彼女かのじょが布団ふとんのかたわらでさきほどとおなじポーズをとっていた。自分じぶんが絵えに描えがいたのとおなじだ、と深町ふかまちは思おもった。その彼かれに順子じゅんこは絵えを差さし出だした。

「くらべてみて」

絵えを受うけ取とった彼かれは障子しょうじの近ちかくまで下さがった。そして順子じゅんこを見みた。

布団ふとんのかたわらで片膝かたひざをついたポーズの順子じゅんこの、自分じぶんを斜ななめに見上みあげる視線しせんを彼かれは受うけとめた。彼かれはかなりの衝撃しょうげきを受うけた。自分じぶんが絵えに描えがいたのは、いまのこの彼女かのじょなのだ、という認識にんしきがもたらす衝撃しょうげきだった。いま目めの前まえにいる裸はだかの彼女かのじょを、自分じぶんは予見よけんしてそれを絵えに描えがいたのだろうか。彼女かのじょは誰だれかを見みている、と加納かのうは言いった。なにかを提案ていあんしているような、判定はんていを求もとめているような、期待きたいを込こめた視線しせんを、彼女かのじょは自分じぶんを見みている人ひとに向むけている、と加納かのうは言いった。彼女かのじょが見みているのはこの自分じぶんだ。ほんの戯たわむれに描えがいた絵えがいま目めの前まえで現実げんじつとなり、その現実げんじつのなかに自分じぶんもその身みを置おいている。

「どう?」

順子じゅんこのひと言ことに促うながされて、

「そっくりだ。絵えとまったくおなじだ」

と、深町ふかまちは言いった。

「この絵えのなかできみはすぐそばにいる誰だれかを見みているけれど、それは僕ぼくだったのだ」

「見みるだけでは済すまないのよ。あなたも裸はだかになって」

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