← Library‹ 物のかたちのバラッド もう痛くない彼女 6

四よん日か後ごの祝日しゅくじつに江利子えりこから深町ふかまちの自宅じたくに電話でんわがあった。

「翻訳ほんやくの原稿げんこうがまた少すこしたまったのよ。ヨシオに見みてもらいたいのだけれど、連絡れんらくがつかないのよ。彼かれはいったい、どこにいてなにをしてるのかしら」

「いったん僕ぼくが受うけ取とりましょうか」

「それでもいいわ。でも、使つかい立だてしてしまうわね」

「いっこうに構かまいません」

「お店みせでもいいかしら」

「どこでも」

「お店みせはちょっと直なおすところがあって、人ひとが入はいって工事こうじしてるのよ。午前ごぜん中ちゅうにほとんど終おわると言いってるわ」

「午後ごご三さん時じくらいならいいですか」

「三さん時じね。店みせにいるわ」

そして三さん時じちょうどに、深町ふかまちはミロンガへいった。ドアは開ひらいていた。なかに江利子えりこがひとりでいた。彼女かのじょはカウンターを示しめした。原稿げんこうの入はいっているA4の封筒ふうとうが斜ななめに置おいてあった。

「これですね」

「電話でんわしてるのだけれど、ヨシオはまだつかまらないのよ」

「僕ぼくがかならず渡わたします」

「どこでなにをしてるのかしら。休やすみの日ひに引ひっぱり出だして、ごめんなさいね」

原稿げんこうの入はいった封筒ふうとうを深町ふかまちは鞄かばんに入いれた。

「順子じゅんこさんがまた来きてくれたのよ。友ともだちとふたりで。水曜すいよう日ひだったかな」

「聞きいてます」

「あら、そう」

「二に時間じかんいて、後半こうはんはお客きゃくさんがたくさんいて、楽たのしかったと言いってました」

「カウンターに入はいってもらったのよ。こういうところにどのくらい似合にあうか、試ためしてみたくて。いい女性じょせいね。あれだけきれいで、頭あたまが良よくて、よく気きがついて。しかもいろんな人ひとと話はなしが出来できて。たちまち人気にんきだったわ。ここは順子じゅんこさんに代かわってもらいたいくらいよ。私わたくしは小説しょうせつに専念せんねんして」

彼女かのじょは店みせの奥おくへ歩あるいた。

「こっちへいらっしゃい」

振ふり返かえって江利子えりこは深町ふかまちにそう言いった。

カウンターの奥おくの端はしまで、彼かれは歩あるいた。カウンターの縁えんに腰こしを軽かるくもたせかけて、江利子えりこはまっすぐに立たった。両腕りょううでを開ひらき、

「ここへいらっしゃい」

と江利子えりこは言いった。

彼女かのじょのすぐ前まえに深町ふかまちは立たった。

「もっと近ちかく。遠慮えんりょしなくていいのよ」

彼かれの腰こしに片手かたてをかけ、江利子えりこは彼かれを引ひき寄よせた。

「体からだを重かさねて。ぴったりと」

彼かれを両腕りょううでで抱だき寄よせた江利子えりこは、顔かおをうしろに引ひいて彼かれを見みた。

「僕ぼくのお嫁よめさんになる人ひとに水みず商売しょうばいはさせられない、とあなたの顔かおに書かいてあるわよ」

そう言いった江利子えりこは、ない、と平仮名ひらがなで、深町ふかまちの口くちもとに人ひとさし指ゆびの先さきで書かいた。

「抱いだいて。腕うでをまわして、しっかりと」

両腕りょううでに江利子えりこを抱だき込こむと、彼女かのじょの骨格こっかくの良よさを彼かれははっきりと感かんじた。シャツのすぐ下したにある胸むねのふくらみは思おもいのほか固かたさをたたえていた。彼女かのじょの太腿ふとももの曲面きょくめんを彼かれは自分じぶんの脚あしに受うけとめた。その曲面きょくめんには引ひき込こまれる奥行おくゆきがあると同時どうじに、撥はねのける反発はんぱつ力りょくのようなものも充分じゅうぶんにある、と彼かれは感かんじた。しっかり深ふかく抱いだけと言いわれてそのとおりにしていると、やがて自分じぶんの体からだに伝つたわってくるのは、中野なかの江利子えりこという人ひとの異性いせいそのものの体からだの魅力みりょくだった。

「順子じゅんこさんと結婚けっこんするの?」

江利子えりこが訊きいた。

「そんなこと、まだなにもきめてませんよ。知しり合あったばかりだし」

「順子じゅんこさんは完全かんぜんにその気きよ」

さらに深ふかく彼かれを抱だき寄よせた江利子えりこは、彼かれの肩かたに顔かおを軽かるく横よこたえ、

「残念ざんねんだわ」

と、小ちいさな声こえで彼かれのうなじに言いった。

「タッチの差さだったわ。あなたを口説くどいて、あるいは誘さそって、体からだの関係かんけいを作つくって、私わたくしの体からだで発散はっさんすることを覚おぼえさせて、私わたくしの言いうことを聞きく人ひとにしようかな、と思おもってたのよ。いまの私わたくしは男おとこはいらないけれど、あなたならいいわ。あなたが私わたくしに一途いちずになるようだったら、私わたくしはそれに応こたえてもいいのだし。でも、ほんのちょっと、遅おそかったわね。急いそぐことはない、なんて思おもったのが失敗しっぱいね」

抱だき合あったままで江利子えりこの言葉ことばを彼かれは受うけとめた。江利子えりこの言葉ことばが江利子えりこそのものとして、体からだから体からだへ、直接ちょくせつに伝つたわってくるような錯覚さっかくがあった。

「どう?」

「ヨシオがいいですよ」

深町ふかまちが言いった。

「私わたくしにヨシオを押おしつけるの?」

「ヨシオは江利子えりこさんのような成熟せいじゅくした美人びじんが好すきです。たいへん妙みょうな奴やつですけれど、いい奴やつです。ひどいことはしません」

「そうね。そう言いわれると、ヨシオでもいいような気きがしてくるわ。さっそく、誘さそってみよう」

「僕ぼくからも言いっておきましょうか」

「リーゼントのことを言いっといてよ。嫌きらわれるからそれはもうやめろ、と言いって。ねぎ坊主ぼうずのはじけたような髪かみをした、英語えいごの出来できる青年せいねんを、私わたくしの体からだになじませよう。楽たのしみだわ」

そう言いって笑わらった江利子えりこは、

「あら、あなた」

腰こしを彼かれに押おしつけ、彼女かのじょは左右さゆうの太腿ふとももを前後ぜんごに動うごかした。

「勃起ぼっきしてるの?」

左右さゆうの太腿ふとももで彼女かのじょは交互こうごにさぐった。彼かれは腰こしを引ひいた。

「駄目だめよ、逃にげないで」

彼かれの腰こしを両手りょうてで引ひき寄よせ、それを自分じぶんの下腹したはらで迎むかえた。

「立たってるわ」

「あたりまえですよ」

「なぜ?」

「江利子えりこさんとこうすれば、誰だれだって立たちます」

「いくら立たててもいいけれど、順子じゅんこさんに貧乏びんぼうさせたらいけないのよ」

「させません」

「絵描えかきは貧乏びんぼうの代だい名詞めいしではなかったかしら」

「僕ぼくは違ちがいます」

「順子じゅんこさんが所帯しょたいやつれしても、あれだけきれいなら、かえって色気いろけが深ふかまっていいかもしれないわね」

「僕ぼくは大丈夫だいじょうぶです」

「今日きょうはこれからどうするの?」

「もう自宅じたくへ帰かえります」

今日きょうは夕方ゆうがたから順子じゅんこさんがうちへ遊あそびに来きます、という台詞せりふを深町ふかまちは頭あたまのなかで言いってみた。ひとりの女性じょせいゆえに、もうひとりの女性じょせいにうしろめたさのような気持きもちを抱いだくという、彼かれにとっては初はじめての体験たいけんがそこにあった。

「帰かえってヨシオをつかまえます。自宅じたくはおたがいにすぐ近ちかくなのです」

「ここへ来くるように言いっといて」

「僕ぼくはもう帰かえります」

「残念ざんねんねえ、こんなに勃起ぼっきしてるのに。これをどうやって鎮しずめるの?」

「駅えきまで歩あるいていくあいだに、おさまります」

「鞄かばんで前まえを隠かくして歩あるくといいわ」

両腕りょううでから江利子えりこは彼かれを解放かいほうした。彼かれは鞄かばんを置おいたところまで歩あるいた。江利子えりこが店みせのドアを開ひらき、彼かれは外そとへ出でた。

「ヨシオに言いっといて」

「かならず」

江利子えりこはいったんドアを閉とじた。少すこしだけ間まを置おいて、彼女かのじょはドアを開ひらいて外そとに出でた。鞄かばんを前まえに持もって歩あるいていく深町ふかまちを、

「康祐やすすけさん」

と、声こえを可愛かわいく張はり上あげて呼よんだ。

深町ふかまちは振ふり返かえった。

「鞄かばんがよく似合にあうわよ」

それだけ言いって江利子えりこは店みせに入はいり、ドアを閉とじた。

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