四日後の土曜日は朝から雨だった。約束したとおり、午後三時に美枝子が訪ねてきた。美枝子が買いたいという、もう一軒の家のほうだ。彼女のオリーヴ色の半袖のシャツ・ドレスは、一列にならんだボタンで前あきだった。共布のベルトを結んでいた。大きな黒いこうもり傘をたたみ、玄関わきの壺に入れた。彼女は玄関のなかに入りドアを閉じた。ヒールのあるサンダルのストラップを、軽く腰を落としてはずした。
「足は濡れてるのよ」
「かまいません」
「外からしばらく見てたの。素敵な家ね。庭がよく考えてあるわ。ここに住めるかもしれないと思うと、胸がどきどきしてくるわ」
「父親には手紙を出しました」
「うれしいわ」
柴崎の腕に美枝子は指を添えた。その手を彼が取ると、ふたりはおたがいを抱き寄せ、彼は美枝子の名を彼女の耳のなかに呼び、シャツ・ドレスの下の彼女の全身が、彼の求めに応じた。
「こうなるにきまってると思ったわ」
両肩を抱かれたまま、美枝子は指先でベルトをほどいた。ベルトは足もとに落ちた。
「ボタンを上からはずして」
美枝子は彼の手を胸もとのボタンへ導いた。上から順に彼はボタンをはずしていった。美枝子はスカートの裾のいちばん下からはずした。ふたりの手はやがて彼女の胸の下で出会った。彼の手を彼女は胸のふくらみに押し当てた。
玄関のすぐ左に半開きのドアがあった。ドレッシング・ルームだ。そこへ柴崎は美枝子を導いた。
「ヨーロッパの間取りです。ひとりないしはふたり用の、新しい家の提案としての間取りだ、と父親から聞いてます。その世界ではよく知られたいくつもの間取りのなかの、ひとつだそうです。父親の先輩の学者が、その間取りのとおりに建てたのです」
「ここで服を着替えたり、お化粧したりするのね」
壁の三面鏡を彼女は見た。
「家具はほとんどそのまま買い取りました」
ドレッシング・ルームの奥は浴室だ。そして三面鏡のある壁と向き合った壁は、寝室へのドアを別にすると、残りの部分はクロゼットとしてふさがっていた。ふたりは寝室に入った。彼がドアを閉じた。壁にヘッド・ボードを接して、ベッドがふたつ、接し合ってならんでいた。
「なぜふたつなの?」
「買い取ったとき、こうでした。ご夫婦の寝室でしたから」
「ここで寝るときもあるの?」
「あります」
美枝子はシャツ・ドレスを、そして下着を脱ぎ、裸となった。彼も服を脱いだ。裸のふたりはそこで抱き合い、抱き合ったままベッドへと移動し、体の動きを合わせて同時にベッドに体を横たえた。
「美枝子」
「ここにいるわよ」
「美枝子」
「それは私よ」
「美枝子」
「あなたの女よ。それでいいのね?」
経過していく時間のなかで雨はおなじように降り続け、部屋のなかのほの暗さはおだやかにその深みを増していった。
「ドレッシング・ルームが女の気持ちをとらえるわ。あそこからお風呂場に入ることが出来て、寝室ともつながっていて」
「あの壁の向こうが居間です」
ベッドの足もとの方向を彼は片手で示した。
「居間のさらに向こうは、ドアのある壁でへだてられて、父親の先輩の学者が書斎として使っていた部屋です」
「学者の書斎は、書架がずらっと壁にならんでいて、どの棚にも分厚い原書がぎっしりという、重厚なものではないの? この家は軽快で洒落てるわ」
「自宅にそのような書斎を持つ人ではなかったのです。本は大学にありますし、そこにはご自分の研究室もありますから。自宅の書斎は個人的なもので、さすがに居心地が良いのです。僕はそこで過ごすことが多いですね」
「絵を描くの?」
「スケッチ・ブックにいろいろと描いてみたり。あるいは、考えごとですね」
「なにを考えるの?」
「たとえばこの家のことです。間取りには興味深いものがあります。いろんな好ましい空間が、さりげなくあちこちにあるのです。それを発見しては、スケッチに描いてみて、姿のいい女性が、この空間になにげなくふといるといいだろうな、などと思ったり」
「私ではいけないかしら」
「最高です」
「見ていただけるなら、どんな私でも見せるのよ」
「どうして体がこんなにすっきりしてるのですか。余計なでこぼこや、たるんだような部分が、いっさいありませんね」
「身持ちがいいからよ。食べるものも大きく影響してるでしょう。食事は和風なのよ。酒も煙草もなしで、性格も関係してるわね、きっと」
「どんな性格なのですか」
柴崎の質問に美枝子は笑った。
「いまにいろいろとわかってくるわ。辟易とさせるのではないかしら」
「楽しみにしてます」
「そうねえ、それしかないわね。でも、裸になると、自分でもきまり悪いほどに、女の体なのよ。どこもかしこも白くて、むっちりしてて。これからの季節は、裸に近い恰好で横ずわりしたり、横たわったりするでしょう。そうすると、よくわかるわね。まるでなにかを待ちかまえてるような体だということが」
美枝子は彼を微妙に抱き変えた。裸の体が触れ合う面積を最大限に広げ、
「ほら。こんな体」
と、囁いた。そして次のように続けた。
「私、夢に見たの。夢のなかで私は、都電の停留所にひとりで立ってるの。都電を待ってるのね。そして都電が来て停止してドアが開き、私がステップに高く足をかけて、都電のなかに入ろうとするの。あなたがスケッチした、あの都電なのよ。そしてその都電は、ステップに上がるときによく見たら、油絵なの。油絵に顔を近づけると、筆の動いた跡とか絵の具が重ねてある部分が、はっきり見えるでしょう。都電の前部、ドア、その周囲、そして入った内部など、すべてが油絵になってるのよ。そこへ私が入っていくの。夢のなかで私は、あなたがスケッチしたあの女性になってるの。あ、これはあの絵のなかだ、と思ったら目が覚めたわ」
「都電や美枝子さんに、斜め前から明るい陽ざしが当たっていたでしょう」
「そうなの。ステップに上がろうとする私の顔の左側が、とても明るくまぶしくて。夢のなかにあのスケッチが油絵で登場して、そのなかに私が入っていくという、不思議な夢」
柴崎は上体を起こした。美枝子に腰から上を重ねなおし、彼女を深く抱いた。彼の肩に彼女は両手をかけた。