「スリップは持ってますか」
柴崎が訊いた。
「スリップ?」
美枝子が訊き返した。
「そうです」
「下着のスリップ?」
「はい」
「いろいろ持ってるわ」
「スリップ姿でアイロンをかけている、大人のいい女を絵にしてくれ、という注文を受けたのです。外国ふうというか、ヨーロッパ風味で、ということでした」
「いまはアイロンをかけているという、その女の人の日常の一場面ね」
「そうだと思います。アイロン台というものがありますね。立ってアイロンをかけるための。この家にもあります、洗濯機の脇に立てかけてあります」
「あるわね」
「アイロン台を使って、スリップ姿で立ってアイロンをかけている、大人のいい女だそうです。アイロン台から上を、彼女の頭のてっぺんくらいまで、画面に取り込めばいいのです。彫りの深い大人の美人が、スリップ一枚でアイロンをかけているところです」
柴崎の説明を聞いた美枝子は、
「映画で見たような気がするわ」
と言った。
「なんという映画だったかしら。確かフランス映画よ。そんな場面があったわ。有名な映画よ」
「注文してくれたのは美枝子さんとおなじ年代の編集者ですから、その映画のことが記憶にあるのかもしれません」
「きっとそうよ。私がスリップ一枚でアイロン台でアイロンをかけている姿を、あなたは見たいのね」
「そうです」
「今度、いろんなスリップを持って来るわ。すっきりしたのがいいわね、肩紐が細くて」
「髪は変えないでください。いまのその髪は、ぴったりですから」
「私が映画で見たのは、くわえ煙草だったような気がするわ。スリップ一枚のくわえ煙草で、アイロンをかけてるの。確かに大人のいい女だけど、どこか娼婦的でもあって」
「そういう絵を望んでいるのだと思います。小説雑誌の挿絵です」
「私にそっくりに描いてね」
裸のふたりは横向きに抱き合っていた。彼にさらに深く体を預けた美枝子は、片方の太腿を大きく彼の腰にまわした。
「ね。そっくりに」
「そうします。なぜか女性の絵の注文が多いのです」
「あれだけうまければ。それに、そういう時代でもあるのよ。女がいろいろとおもてに出て来て、活躍するのね」
「主題としては不滅ですからね」
「そうね。自画像の次が女で、その次が裸婦かしら。そこから富士山とか南瓜などへ、分かれていくのよ」
美枝子の言いかたに柴崎は笑った。
「あなたの絵は洒落てるわ。絵として作り出される雰囲気のなかに、どこか外国ふうなところがあって」
「女シリーズという企画の注文も受けました。毎号、いろんな人が、その人の思い描く女性を描くのです。カラーのページで、折りたたんであるのを開くと二ページになるのです」
「どんな人を描くの?」
「西瓜を食べる女、というタイトルにしようと思っています」
「きれいな女の人が、食卓で西瓜を食べてるの?」
「裸です」
と、柴崎は答えた。
「この外の庭が、背景として最適です。タイル敷きのテラスがあって、デッキ・チェアが置いてあり、そこにすわった裸の女性が、テーブルに両足を上げて無心に西瓜を食べてます。夏の陽ざしを全身に浴びて」
「ビキニくらい着せたら?」
「それも考えましたけれど、裸のほうがいいようです。三日月に切った赤い西瓜です」
「そういうことを、自分もしてみたいと私は思うわ」
「ここに住んだら、いつでも出来ますよ。もうすぐ夏ですし」
「あなたの絵のとおりに再現してみたいわ」
「おなじ出版社の、別の企画も引き受けました。社長がアメリカで買って来た、ポストカード・ブックという企画です。切り離すと絵葉書になっていて、三十枚で一冊です。シリーズで何冊も刊行したいと言ってます。雑誌で試みる女シリーズを、そこへ延長させることは出来ないだろうかと相談を受けて、一冊まるごと、僕がいろんな女性を描くことになりました」
「大変だわ」
「印税という支払い方式で、前払いの半額を小切手でもらいました。六千部を印刷するそうです」
「遊んでるように見えても、責任はそれなりに伴うのね。三十人も女性を描くのは、大変なことだわ。場面も女性も、空想で作るの?」
美枝子のその質問に、柴崎は次のように答えた。
「考えてもなかなか解決しないことでも、ひと目見れば、ああ、そうか、と解決することはたくさんあります」
「女を描くとき、この私は参考になるかしら」
「なります」
「どんなとこが?」
「一挙手一投足です。呼吸のひと息。なにげないひと言。ふとした視線の動き」
「観察するのね」
「そうです」
「そして記憶しておくの?」
「そうです。自分のものにするのです」
「よく見ておいて。なんでも見せるわ」
彼の腰に上げていた太腿で、美枝子は彼の体を自分に引き寄せた。
「西瓜を食べる人も、私にそっくりに描いて」
「都電の人もそっくりですよ」
「アイロンをかける人も」
「そうです」
「最近のきみは、おなじ女ばかり描くね、と言われるわ、きっと」
ふたりは笑った。
「女だけでなく、どんな絵でも描くの?」
「そうです」
「選り好みはしないの?」
「いまはそれどころではないのです」
「なんでも引き受けて、なんでも取り込むのね」
「はい」
「だからついでに、私も抱いてもらえるのね。よかったわ。うれしいのよ」
「僕もです」
「油絵は描かないの?」
「来年の夏に展覧会の予定があります。僕も含めて三人で作っている、自転の会、という私的なグループがあります。僕が十八歳のときに出品したコンクールで、次点になった三人で作ったものです。次点をもじって、自転としたのです。最年長の人は七十歳になります。この三人の展覧会が、来年の夏に予定されてます」
「出品するのね」
「します。踏切を描きます」
「電車がとおるのを人が待ってるのね」
「商店街のなかの踏切です。遮断棒が降りていて、何人もの人たちが、踏切のこちら側と向こう側で、電車の通過を待っています」
「人生にすればいいのよ。いろんな人が踏切の前に立っていて、よく見ると人生なの。生まれたばかりの赤子から、腰の曲がったおばあさんまで。いろんな年齢、つまり人生のいろんな段階の人たち。わざとらしくしなければいいのよ。ごく自然に」
「それはいいですね」