← Library‹ 物のかたちのバラッド 孤独をさらに深める 4

バーや飲のみ屋やへいくこと、そしてそこで夜よる遅おそくまで酒さけを飲のんだりすることに関かんして、矢野やの哲郎てつろうはもともとさほど熱心ねっしんではなかった。何なん軒けんものいきつけの店みせをめぐっては酒さけを飲のむ、という種類しゅるいの酒飲さけのみでもなかった。コンパルサへは五ご度どしかいってない。コンパルサの他ほかに、彼かれの知しっている酒さけの店みせはなかった。コンパルサが東ひがしの端はしにあったあの歓楽かんらく街がいがそもそも、彼かれが自みずから足あしを向むける場所ばしょではなかった。そしてコンパルサは手塚てづかとつながっていた。手塚てづかに誘さそわれ、彼かれとともにいく店みせだった。

その手塚てづかの体からだは回復かいふくした。しかし部署ぶしょは編集へんしゅうとは関係かんけいのないところになった。手塚てづかにしばらくは楽らくをさせるための、会社かいしゃによる配慮はいりょだということだった。銀座ぎんざで偶然ぐうぜんに会あって以来いらい、手塚てづかとも疎遠そえんになった。手塚てづかに頼たのまれる仕事しごと、そしてそれらを引ひき受うける自分じぶんの都合つごうといった状況じょうきょうのぜんたいが、手塚てづかに誘さそわれて訪たずねるコンパルサに重かさなっていた。そしてその状況じょうきょうを構成こうせいしていたいくつかの要素ようそが、ほぼ同時どうじに消きえた。

時代じだいが変かわった、という言いいかたは大おおげさにすぎるが、時代じだいの急激きゅうげきな変化へんか、つまり次つぎの段階だんかいへの移行いこうというものは、矢野やのの身みの上うえにすら変化へんかをもたらした。仕事しごとの内容ないようがそれまでとは微妙びみょうに異ことなっていく、というような変化へんかだ。それにともなって、つきあう編集へんしゅう者しゃたちの顔かおぶれが変かわり、彼かれらと打うち合あわせをしたり、あるいは食事しょくじや酒さけとなるとき、そのための場所ばしょは以前いぜんとは異ことなるところになっていった。

そして時間じかんは経過けいかしていき、その経過けいかは十じゅう年ねん分ぶんへと積つみ重かさなった。コンパルサが消きえてから数すう年ねん後ごに、ある作家さっかが雑誌ざっしに書かいていたのを、矢野やのはいまでも記憶きおくしている。東京とうきょうオリンピックの前まえと後あと、という時代じだいや社会しゃかいの区切くぎりかたをめぐる文章ぶんしょうだった。一いち九きゅう六ろく四よん年ねんを明確めいかくな一いち本ほんの線せんのような境界きょうかいとして、そこでその前後ぜんごにくっきりと日本にっぽん社会しゃかいが分わかれるのではなく、前後ぜんご少すくなくとも二に、三さん年ねんの幅はばで、つまりオリンピックを中心ちゅうしんとして五ご年ねんほどの時間じかんのなかに、それ以前いぜんと以後いごを決定けってい的てきに分わけるさまざまな分岐ぶんき点てんがあるはずだ、という趣旨しゅしの文章ぶんしょうだった。この文章ぶんしょうはコンパルサや三津子みつこにも触ふれていた。店みせが消きえたあと三津子みつこは鹿児島かごしまで母親ははおやとともに住すみ、学校がっこうの先生せんせいをしている、とそこには書かいてあった。

あれから十じゅう年ねんが経過けいかした。十じゅう年ねんという時間じかんなどなにほどのこともない、という態度たいどはあり得えるとしても、十じゅう年ねんは確実かくじつに経過けいかして去さったのであり、そのなかで消きえたり変化へんかしたりしたものは多おおいはずだ。あの頃ころの自分じぶんは二十にじゅう四よん歳さいで、いまは三十さんじゅう四よん歳さいだ。独身どくしんのまま、そして両親りょうしんは健在けんざいで、彼かれらが住すんでいる家いえの敷地しきちのなかに作つくった別棟べっとうが、いまの矢野やのの住処すみかだ。

この十じゅう年ねん、イラストレーターの矢野やの哲郎てつろうは多忙たぼうだった。いまはさらに忙いそがしい。いろんな注文ちゅうもんに応おうじた。イラストレーション、そしてそれに添そえる場合ばあいとそうではない場合ばあいとを含ふくめて、文章ぶんしょうによる仕事しごと。それなりの存在そんざいになった。名前なまえは知しられている。しかし、なにかが違ちがうかな、という思おもいは彼かれの感覚かんかくの片隅かたすみに確実かくじつにあった。なにが違ちがうのかと自問じもんすると、このままでは横這よこばいが確定かくていされていくだけ、というような自答じとうをしなければならない。はまり込こんでそこを自分じぶんの世界せかいとしている。はまり込こんでいるなら、やがてそこに取とり残のこされるのではないか。

そしてこのような思おもいはおおむね不ふ愉快ゆかいだ。楽たのしくない。嫌いやだ。したがって、思おもいはするけれど、深ふかくは考かんがえないようにして退しりぞけている。しかし、自分じぶんはこの問題もんだいを意識いしき的てきに退しりぞけている、という認識にんしきは常つねにあるのだから、そのことがさらに不ふ愉快ゆかいであり、その不ふ愉快ゆかいさをどこかで否定ひていしたり無視むししたりしなければならない。自分じぶんのこういった状態じょうたいを、人ひとから端的たんてきに指摘してきされるのは、けっして楽たのしいことではない。しかし、指摘してきには感謝かんしゃしなくてはいけないのではないか。たとえば、荻野おぎの景子けいこによる指摘してきには。

荻野おぎの景子けいこは彼かれとおなじ年齢ねんれいだ。スタジオ・ミュージシャンとして、ピアノを中心ちゅうしんとする鍵盤けんばん楽器がっきを演奏えんそうするのが仕事しごとだが、彼女かのじょ自身じしんとしては歌人かじんであることが拠よりどころになっている。ものごとのとらえかたや判断はんだんのしかたは、きわめて鋭するどく正ただしい。そしてそれを言いいあらわす言葉ことばは彼女かのじょ独特どくとくのものだが、鋭するどく正ただしい判断はんだんにいたる論理ろんりの筋道すじみちは、共有きょうゆうすることが出来できる。

絵えを描えがく人ひとである彼かれの鑑賞かんしょう眼がんに堪たえる景子けいこの美貌びぼうは、ひどくきつい性格せいかくの冷つめたい人ひとにしか見みえない、という方向ほうこうで端正たんせいにまとまりすぎている。容姿ようしは誰だれの目めにも端麗たんれいそのものだ。しかしその端麗たんれいさは人ひとの視線しせんを撥はねつける性質せいしつを常つねに帯おび、寄よらば斬きるぞ、というような雰囲気ふんいきがかならず漂ただよう。髪かみのつくりや化粧けしょう、そして服ふくの好このみなどを総合そうごうして彼女かのじょの容貌ようぼうや容姿ようしに重かさねると、ほとんどの場合ばあい、彼女かのじょは銀座ぎんざの店みせのホステスに見みえる。なにかのパーティに出席しゅっせきすると必かならずコンパニオンに見みられる。夜よるの八はち時じ頃ころに銀座ぎんざを歩あるくと、黒くろいスーツに身みをかためた男おとこたちから、お早はようございます、と挨拶あいさつされる。十じゅう一いち時じ前後ぜんごには、お疲つかれさまです、という挨拶あいさつに変かわる。こうした外見がいけんが彼女かのじょの性格せいかくとどのように重かさなるのか、あるいははずれているのか、つきあって三さん年ねんになるいまでも、矢野やのにはよくわからない。かたや男おとこ、かたや女おんなとしての相性あいしょうはたいへんいい、と景子けいこは言いっている。

いまの自分じぶんのありかたに関かんして、どこかでなにかが違ちがい始はじめているという淡あわい認識にんしきは、景子けいこの鋭するどさが以前いぜんにくらべるとより深ふかく突つき刺ささる自分じぶんを作つくり出だしている、と矢野やのは思おもったりする。そのような思おもいの延長えんちょうとして、自分じぶんを景子けいこに診断しんだんさせるようなきっかけを、矢野やのは少すこしだけ作つくってみた。

「あなたは才能さいのうのある人ひとなのよ。注文ちゅうもんに応おうじてその才能さいのうを切きり分わけ、いろんな人ひとを喜よろこばせるのね。しかも絵えだから、なんでも描えがくことが出来できて。絵えはひとまずかたちでしょう。かたちのあるものを絵えにするわけだから、いつでも、いくらでも、なんでも描えがけるのね。まったくの想像そうぞうで描えがくとしても、最後さいごはかたちのあるものとして、絵えになるのよ。そうではないと絵えは出来できないわね」

「僕ぼくがいまの自分じぶんに関かんして、うっすらと感かんじている不満ふまんは、そこにあるのか」

「そことは、どこのことなの?」

「かたちのないものは描えがいて来こなかった、というような空白くうはく」

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